宰相 鸞龍

第75話 鶴氅衣の男


手入れの行き届いた庭園に横一列に並ぶ三人。


屋敷の奥から一人の男が現れた。


白地に黒い縁取りの美しい着物を着た青年。


この服は鶴氅衣かくしょういという鶴の羽毛を織り込んだ高級品である。


胸元をはだけさせ、だらしなく着崩しているにもかかわらずどこか高貴な印象を受けるのはそのゆったりとした雅やかな動作からか、気品ある整った顔立ちからか。


髭鬚ししゅをたくわえた、涼し気な目の優男だった。


ヘルスメンは帽子を取りひざまずくと、右拳を左手で包み胸の前に合わせ、頭を下げた。


「いいよ、ヘルスメン。

 かしこまった場じゃない」


すぐに面を上げたヘルスメンは青年に対しても馴れ馴れしくニカッと笑顔を見せる。


青年はフェラクリウスとカートに向かって優しく微笑みながら声をかけた。


「いらっしゃい。

 遠路はるばるご足労頂いた」


その優しい声も、細めた目も、妖しい色気を纏っている。


「俺は鸞龍ランリュウ

 アナタたちをアンに招待した人間だ」


フェラクリウスとカートも順番に名乗り、挨拶をする。


続けざまにフェラクリウスは最初の質問をぶつける。


「まず聞いておきたい。

 アンタは何者だ?」


「この国の宰相。

 王より政治の全権を任されている」


「はあっ!?」


カートは驚愕し、思わず声が漏れた。フェラクリウスも流石にうなった。


地方役人なんてレベルじゃない。想像よりもずっと上の人間が出てきた。


いち商人のヘルスメンが、どうやってこの地位の人間と繋がりを持ったというのか。


それにしても、王族のカートはともかく、どこの馬の骨ともわからぬフェラクリウスとこんなプライベートな場で会おうなど随分と不用心ではないか。


そういえばどこかの国王も同じ事をしていたな。そう考えると、なんとなく親近感が湧く。


同時にこの男もまた、彼に劣らぬ大器なのかもしれない。


「そんな人間が俺たちに何の用だ?」


その質問には答えず、鸞龍ランリュウは三人を屋敷の中へ手招いた。




言われるがまま客室に通され、ピカピカに磨かれたテーブルにつく。


埃一つない豪勢な客間に薄汚い身なりのフェラクリウスはあまりにも不釣り合いであった。


そのうえ後に続く赤いのはさらに輪をかけて汚らしい。


だが、鸞龍ランリュウは全く意に介していないようだった。


フェラクリウスは侍女が運んできた紅茶にためらわずに口をつける。


毒を盛られる疑いなど微塵も抱いていないようだ。


カートもそれを見て杯を口に運ぶ。


口に含んで気付いたが、それは紅茶では無く梅を漬け込んだ酒だった。


フェラクリウスは梅酒を一気に飲み干し、杯を勢いよく卓に置いた。


「悪いが、作法ってもんはわからねえんだ。

 アンタも気を遣わないでくれると助かる」


「俺も助かるよ。

 堅苦しいのは嫌いでね」


本当か?と、カートが疑念を抱く。


それを見透かしたように、鸞龍は視線だけカートに移して微笑む。


「礼節を重んじる人間が

 こんな格好で客人の前には現れない」


言いながら鸞龍ランリュウは椅子の上に片膝を立てもう一方の足を投げ出した。


それから向かいに座るフェラクリウス、カート、ヘルスメンに対しようやく本題を口にした。


「アナタたちに会うために」


ゆったりと、落ち着いた口調は聞き手の興味を引く独特の話術であった。


「俺は二つの条件を飲んだ」


即座にフェラクリウスが異を唱える。


「俺は条件なんて付けてない」


「わかっている。

 条件を付けたのはヘルスメンだ」


ハッとした表情でカートがヘルスメンを見る。


売ったな…?


とはいえ、それほど怒りは湧いてこなかった。


彼は商人だ。


双方に利益を生む会合のセッティングならば報酬が発生するのは当然。


事実、この日のために資金も労力もかかっている。


むしろこちらに報酬を要求しなかった分良心的なのかもしれない。


苦笑いを浮かべるカートに対し、ヘルスメンはへらへら笑っていた。


「その条件とは?」


「一つはフェラクリウスの腕を治す事」



「この場では全て包み隠すことなくお話する」


そう言って鸞龍ランリュウは微笑み、杯を口に運んだ。


「何故かブラジャーで吊ってるその左腕。

 この後すぐに治療しよう」


「…もう一つは?」


操氣術そうきじゅつについて二人に説明する事」


「そうきじゅつ?」


耳慣れない言葉に、思わずカートが聞き返す。


「カートキリアに無い技術なので

 こちらの名で呼ばせてもらった。

 エネルギーを変換する技術。

 東でも“操氣術”の他に“気功術きこうじゅつ”など、

 呼称が完全に統一されているワケではない。

 西では“魔法”や“魔術”。

 技術が確立した地域によって様々だ」


「ま、“魔法”の事か!!」


思わず椅子から立ち上がり、カートが叫んだ。


「…それが最も耳に馴染むかい?

 では“魔法”で統一しよう」


「『ちんちんよわよわ病』に

 『たっちゃうマン』とか『タッチャマン』といった

 複数の呼び名があるのと同じ理屈だな」


「そんな病は知らないが調べておこう」


調べる必要など無い。


フェラクリウスの迂闊な一言が、一国の宰相に全くもって無駄な知識を入れてしまった。


「“魔法”についても、

 彼の治療が終わった後にじっくり語ろう」


願ってもない。その話が聞けるだけで、カートがアンにきた成果と言えよう。


「この二点がヘルスメンの出した条件だ。他には何も。

 今回の手配にそれ以上の見返りは無い。

 彼の善意だ。責めないでやってほしい」


「ヘルスメン…」


彼の方を見ると、相変わらず薄汚いにやけ面で鸞龍ランリュウの話を傾聴している。


東に最適の旅行プランがある。と、彼は口にした。


あの時点で既に、自分が望んでいた“魔法”の情報を手配してくれていたとは。


「報酬はいらない」。「俺からの報酬」。全て偽りは無かったのだ。


カートは彼を疑いの目で見たことを恥じた。


「ヘルスメンとの関係は?」


会話が一区切りつくと、間髪入れずフェラクリウスが次の質問を提示する。


「彼は友人だが…立場上は上司にあたる。

 各国の情報収集を行う諜報員

 “千里眼”の一人だ」


「お前、結局スパイかよ…」


侮れない。カートがため息を吐いた。


「そんな大層なもんじゃないよォ。

 やってる事はただの世間話よ、マジで」


軍人であるカートは彼の行為が違法であればそれを取り締まる義務がある。


だが、今さらこの軽薄な赤い男を処罰する気は一切起きなかった。


鸞龍ランリュウが彼をフォローするように付け加える。


「国家機密に関わるスパイ行為は重罪だが、

 彼はそうではない。

 カートキリアの軍人にこれを明かす事が

 その証明だと思ってほしい」

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