第18話 呼び出し

朝食をとった後、俺はいつものように学校へ行き、1時間目の授業の開始を待っていた。


ぼんやりと前を見つめていたその時、視界の隅に1人の顔が見えた。

渡辺風香だ。まだ入学して1ヶ月と半月。俺が顔と名前を一致させられる生徒は少ない。それこそ、泰正とクラスの数人、写真部員、そして風香くらいだった。


それほどには、俺は彼女の存在感の大きさを肌で感じていた。クラスメイトの反応を見ても、風香に注目しているのがわかる。


このクラスの誰かに用でもあるのかな。

そんなことを考えていると、風香と目があった。

「あ、昨日ぶつかってきた人よね?ちょっといい?」

「え?あ、はい」

突然のことに驚いた俺は、なぜか敬語になってしまう。

「ここじゃまずいかな、場所変えましょう」

俺は何やら不穏な予感を憶えつつ、席を立った。


風香に誘導されてやって来たのは、美術室だった。

「私1時間目美術なの、ちょうどいいわ」

そう言うと、風香は抱えていた美術の教材を机に置いた。

絵の具やら木材やら、いろんな匂いが混ざった部屋だ。俺は芸術選択で、書道を選んでいたので、美術室には来たことがなかった。


「それで、ここにあなたを呼んだ理由だけど」

チラチラと周りを見回していると、とても友好的とは言い難い声で風香は話し始めた。

「まずまぁ、昨日は悪かったわね。私もぼーっとしてたし」

「あぁ、はぁ、まぁ僕もすみませんでした」

「なんで敬語?同学年なんだからタメ口でいいじゃない」

「そ、そうですね。そう…だね?」

「うける」

クスッと笑った彼女の笑顔に、俺は一瞬見惚れてしまった。


が、すぐに現実に呼び戻される。

「それでね、一個聞きたいことがあるの」

「う、うん」

「昨日の昼休みくらいから、私のスマホに付いてたキーホルダーがないの。あなたとぶつかったときに落としたかも知れなくて…何か知らない?」

風香が困ったような表情をして尋ねてきて、俺は記憶の引き出しを一つ一つ確かめるように、昨日の昼休み、特に風香とぶつかった時のことを思い出そうとした。


だが、俺の記憶する限りでは、落とし物を見たり、風香とぶつかった時に何かが落ちる音を聞いた覚えはない。

「うーん、俺が覚えてる限りでは、特に心当たりはないかな…ごめん、力になれなくて」

俺は風香の気に触らないよう、事実だけを端的に伝え、丁重に謝罪した。

「そっか、いいのいいの!気にしないで。呼び出して悪かったわね、じゃ、1時間目始まるし、戻っていいわよ。ありがとう」

「う、うん」

意に反してあっさりとした返答だったので、俺は少々驚いた。

だがまあ、話してみれば、意外に普通の女子というか、想像よりキャピキャピしていなかったので、新たな発見だと感じた。


ふと俺は、疑問に思ったことを聞いてみた。

「ん?なんでわざわざ場所を変えたの?これくらいの話、教室でしても問題はないと思うけど…」

「え?ああ、それはね、あまり人の多いところだと、周りが私に話しかけてきたり、男子と2人で話してたらコソコソ言われるかもしれないじゃない?だから、呼んだの。まぁ、1時間目が美術だったってのもあるけど。とにかく、時間とってごめんなさいね」

再び風香に謝られ、なんだか申し訳ない気持ちになってしまう俺は、場所を変えたことの理由に多少の違和感を覚えつつ、美術室を後にした。

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