元・英雄の規格外すぎるアトリエ生活 〜第二の人生は気ままに楽しく〜

三船十矢

第1話 最強の英雄

 300年にも及ぶ古の封印を破り、邪竜グリモアが復活した。

 グリモアは世界を破壊し尽くすほどの力を持った存在だった。地は荒れて、天は大きな風が吹き荒れた。

 人々が世界の終わりを感じるには充分すぎる風景だった。


 だが、それは絶望を意味しない。

 彼らには希望があったからだ。


 人類最強の英雄ラルクス。


 齢100を超える老人ながら、武に全てを捧げた肉体は鋼を超える強靭さを持つ。

 今まで何度も世界の脅威を救った英雄は、今度も人類のために立つことを決断した。そんなラルクスを見て、グリモアが大笑いする。


「グハハハハハハハ! お前のような枯れた老人がこのグリモアに勝てるとでも?」


「ふふふ」


「何がおかしい?」


「いつだって巨悪は私を侮る。そして、いつだって同じようなことを言って敗北していった。邪竜よ、お前も同じ道をたどるつもりかね?」


「笑わせる!」


 かくして、邪竜と英雄の激闘が始まった。それは、いつ終わるともわからない、まさに神々の最終戦争を思わせるような激戦であった。

 明らかに、邪竜は今までの敵よりも強い。

 人々はさしもの英雄ですら勝てないのかと思ったが――


 勝ったのは英雄だった。


「ぬおおおおおおおおおおお!」


 英雄が咆哮とともに放った拳が、邪竜の眉間に突き刺さる。ついに限界を迎えた邪竜は絶叫し、その巨体を地に沈めた。


「終わりだ邪竜よ……私の勝ちだ」


「はっはっはっは、強いなあ、まさか人の器で我が力を凌駕するものがいようとは思わなかった」


 ただ、グリモアの言葉はこう続いた。


「残念ながら、引き分けだ」


「……?」


 理解できなかった言葉の意味を、英雄はすぐに理解した。


「がはっ!?」


 口から大量の血がこぼれ、体中の傷口から血がとめどなく流れ出す。


「こ、これは……!?」


「はははははは! 邪竜の血には呪いが込められている! 我を倒す者を道連れにする呪いがな! 人よ、お前の命はもうここまでだ!」


 しかし、英雄の顔に絶望はなかった。むしろ、口元に浮かんだのは笑みだった。


「ふ、ふふふ……そうか、お前が私に終わりをくれるのか」


「悔しくないのか?」


「竜族には理解できないだろうが、私は100を超えた老人だ……今さら惜しむ命などありはしない。この程度で絶望を与えたつもりであれば、残念だったな」


「ははは、そうか! すぐに終わる短き命だったなあ、お前たちは! だが……お前に与える絶望に続きがあるとすれば?」


「……どういうことだ?」


「お前は転生する。今の記憶を持ったまま、新しい生を受けるのだ!」


「……? それのどこが絶望なのだ? むしろ愉快じゃないか! 再び私は、今の経験を持ったまま若い肉体で最強を目指すことができるのだから!」


「単純に若返るだけならばそうだろう……だが、違う。お前の何かが反転・・する」


「……? 反転?」


「そうだ! それも、お前が最も大切だと思う、何かだ! それが勇気ならば、来世のお前は夜にすら怯える臆病者として生きることになるだろう!」


「それは困ったな……」


 英雄は視界が暗くなるのを感じた。どうやら、この肉体はもう限界らしい。


「さあ、新たなる世界への旅立ちだ。思うがままにならぬ肉体を抱えて後悔するがいい!」


 グリモアの言葉には続きがあった。


「そして、私の魂もまた生まれ変わる。気をつけることだ。お前の存在を見つけ次第殺す……抵抗する余地などないと思え」


「なるほど、反転による無力化で確実に復讐する――それがお前の呪いの本質か……」


 英雄の意識が闇へと落ちていく。

 五感が失われて、世界との境界が曖昧になった。やがて、全ては漆黒と静寂に包まれる。泥濘のような暗黒に呑み込まれて――

 やがて、光が見えた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「あー、あー、あー、あー!」


 己の魂の輝きを音にしたような、元気な赤子の声が聞こえる。


 聞こえる?

 いや、違う。私の口から出ている!


 なんで!?


 混乱した頭に、地獄の底を思わせる『声』が響き渡った。


 ――お前は転生する。今の記憶を持ったまま、新しい生を受けるのだ!


 邪竜グリモアの声が。

 その瞬間、私は全てを思い出した。

 どうやら、本当に転生してしまったらしい。

 小さな私の肉体は両手両足をバタバタとさせながら、生きていることを証明するかのように暴れている。


「無事に生まれましたよ。元気な男の子です!」


 私の体の汚れをタオルで拭ってくれている年老いた産婆がそんなことを言ってくれた。その後、小さな私を横のゆりかごに置いてくれた。

 その際、チラリと窓の向こう側に暗い夜を見たが、特に湧き上がる感情はなかった。勇気を失った臆病者にはならずにすんだようだ。


 ……では、何が反転した?


 まあ、考えていても仕方がない。いずれはわかるだろう。まずはできることから始めよう。生まれたばかりとはいえ、こんなところで寝転んでいることがそもそも無駄だ。

 上半身を起こそうとする。

 ……ん?

 私の意思に反して、上半身がピクリとも動かなかった。どういうことだろう? よくわからないまま、もう一度、身を起こす。


 ――動かない。


 そんなバカな!?

 前世だと、生まれてすぐに立ち上がり天に向かって拳を突き上げることができたのに!

 それができない!?

 邪竜が言っていた呪いの影響だろうか? 私は素直に落ち込んでしまった。前世では生まれて間もなく腕立て伏せや腹筋、スクワットをして体を鍛え続けていたのに……。


 きっと体調不良なのだろう、という一縷の望みはすぐに潰えた。

 前世では2日でできた立って歩くことが、全くできなかったのだから!

 それができるようになったのは、1歳がすぎてからだ。


 いかん! すぐに体を鍛えなければ!


 そう思ったが、以前のような頑強さはなく、そもそもトレーニングをするための筋肉すら育っていない。

 ……これが邪竜の呪いの影響なのだろう……。


 一体、何が反転したのだろうか?


 それがわかったのは三歳になったときのことだ。ようやく己の体を感じる・・・ことができるようになったのか、直感的に自分の能力に気がついた。


 前世で私が持っていた『全戦闘適正』が反転し、『全生産適正』になっていたのだ。


 生産者――すなわち何かを作り修理するもの。

 前世での破壊の権化から、生み出すものへのプロフェッショナルになったわけだ。


 真逆の人生か……。


 しかし、私はそれほど落ち込んではいなかった。むしろワクワクするものを感じていた。

 血で血を洗う日々に疲れていたのも事実だ。

 違うことをするのも、また一興。

 それに……現世での脆弱な肉体をどれほど鍛えたところで、前世のような最強には至らないことは、すでにわかっている。たとえ、前世の知識と経験を持ってしても、だ。


 残念ながら、今の肉体は常人と変わらない。どれだけ鍛えても、与えられた枠の外には出られない。器の限界は努力でどうにもならないのだ。


 だからこそ、こう思う。

 思う存分、現世でできることに勤しむのも悪くはない。圧倒的強者の責務として世界を救い続けてきた。せっかくなのだから、今世をのんびり楽しむのも悪くはない。


 それに、もうひとつ興味深いこともある。


「はさみ……はさみ……あれ、どこかな?」


 長い紐を持った母親が部屋に姿を見せて、キョロキョロと辺りを見回している。


「どうちたの?」


「あのね、紐を切りたくてハサミを探しているんだけど……どこ?」


 それには答えず、私はだらんと垂れ下がっている紐のカーブを指でつまんだ。


「ここで、りたいの?」


「うん。ハサミがねえ……」


 ぷつっ。

 私の指の間で、とても小さな音がした。


「わかんない!」


 にこやかな笑顔で答えた後、私はトコトコと部屋を出ていった。

 背後で母親が驚きの声をあげる。


「はさみ、はさみ……え、あれ!? 紐が切れてる!?」


 私が切ったからだ。

 邪竜は言っていた。前世の経験と知識は持っていける、と。

 幼児の指先にそんな筋力があるはずがない。しかし、前世の私には巨大な邪竜をも人の身だけで屠り去る『技』がある。

 どうやら、それは間違いなく受け継がれているらしい。その技術に、前世の戦闘能力に匹敵するほどの生産の才能を組み合わせれば――


 なかなか面白いことになるんじゃないか?

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