第125話 本物の脅威
「はぁ……はぁ……クソ……クソォ!」
とある地方都市の古くさいビル。その地下に広がる秘密の空間にて。
疲れ果てた状態で膝を突いた犬飼洋子は、罵倒を漏らしながら拳を地面に叩きつけていた。
山田カリンによって犬飼グループの秘密が全世界に発信、証拠隠滅も完封されたあと。犬飼洋子は腹心の部下たちとともに警察の手を逃れ、どうにか行方をくらますことに成功していた。
ただその逃走は決して楽なものではなく、相応の労力を払う羽目になった。
逃げだす前に本国との関与を示す機密情報などを完全消去する必要があり、自宅や隠しアジトを巡る過程で都内警官をまくために随分と力を使ってしまったのだ。
「犬飼洋子の身体」から別の身体に移ることができればもっと楽に逃げられたのだが……精神寄生は強力かつ便利な力である反面、発動にはかなりの準備が必要になる。あまりにも唐突だった山田カリン襲撃を前にそんなことをしている余裕はなく、こうしてギリギリの逃走になってしまったのだった。正直もう立ち上がるのもしんどいくらいである。
幸い自分を含めて重要情報を多く持つ腹心の部下たちが捕まるようなことはなかったし、隠しダンジョンの仕掛けは遠隔でも解除可能なものだったのでアレが人為的なものとバレることはないが……ズタボロの現状といい資金源や研究基盤を失ってしまったことといい、大打撃もいいところだった。それこそ普通はすべてを諦めてもおかしくないほどに。
だが、
「まだよ……! ここからどうにか再起するわ……! いますぐ私の指揮下に入りなさいあなたたち……!」
その秘密の地下空間で犬飼一派を迎え入れた者たちに、犬飼洋子は手負いの獣のような瞳で言い放っていた。
「手始めに指名手配された『犬飼洋子の身体』を捨てて、また都合のいい大企業を乗っ取るところからだわ……! いますぐそのための準備をはじめて!」
犬飼洋子が部下たちとともに逃げ込んでいたのは、犬飼が長を務める侵略工作部隊日本支部の別働隊が所有する隠しアジトのひとつだった。工作部隊は誰かがへまをした際に芋づる式に検挙されないよう独立性の高いいくつかのチームに分かれており、半ば手柄を競い合うような構図になっている。ここはそのうち犬飼に次ぐNO.2、「あの女」の指揮下にある組織なのだ。
しかし各チームの独立性が高いとはいえ、日本の侵略工作部隊を束ねる支部長である犬飼洋子に絶対的な指揮権が与えられていることに違いはない。緊急時には独立性など無視して命令する権限が犬飼洋子にはあり、いまがまさにその権利を行使すべきときだった。
NO.2が精神寄生によって乗っ取っている企業は犬飼工業よりも小さく、使える資金も研究設備も犬飼グループで培ったものに比べてお粗末ではある。しかしそれでも予備として機能するには十分であり、ゆえに犬飼洋子はこの場の絶対的支配者として再起の準備を部下たちに命じていた。支部長の地位を維持……するのは無謀でも、せめて粛正を避けるだけの立て直しは早急に図らねばならない。
が、
「……? なにをしているの? とっとと動きなさい」
犬飼洋子は訝しげに眉をひそめていた。
NO.2の部下どころか、いま自分と一緒に逃げてきた直属の部下たちでさえ、気まずそうな顔をしたまま動かないのだ。
「無駄ですよ。あなたにもうそんな権限はないと全員に通達済みですから」
「は……?」
聞こえてきた声に犬飼洋子が振り返れば……いつの間にかそこにいたのは20代ほどにしか見えない白衣姿の女。
身体の名前は猫屋敷忍。この隠しアジトの所有者であるNO.2本人だった。
昔からいけすかないと思っている部下だ。
いつも周囲をバカにするような目をしていて上司への態度も悪い。そしてその瞳はいま、力を使い果たして這いつくばるこちらをあからさまに見下していて、思わず怒鳴りつけそうになった。
いや、いまはそれよりもこいつの発言である。
「あんた、なにを言っているの? 確かに私の失態はあまりにでかいけど、これまでの功績も考えれば昨日の今日でいきなり権限を剝奪されるはずが――」
「ほら、これが証拠です」
「は? ……な!?」
犬飼洋子は目を見開いていた。
猫屋敷忍の手の甲に、侵略工作部隊日本支部の支部長であることを示す紋様が浮かんでいたからだ。さらに慌てて自分の手の甲に魔力を込めるのだが……そこにはなにも浮かんでこない。
支部長の地位が、いつの間にか目の前の女に奪われていたのだ。
「どういうこと……!? 」
犬飼洋子は愕然と声を漏らす。
いやいましがた自分でも言ったように、冷静に考えるまでもなく今回の大失態は支部長の地位を剝奪されて当然のものではあるのだが……だからといってこのいけすかない女が即座に支部長に任命されるというのもおかしな話だった。
猫屋敷忍はNO.2ではあるが、それは過去のダンジョン研究が評価されてのものあり、何年も結果を出せていない現状でいきなり支部長になれるわけがない。それこそ海外で成果を上げている支部長が日本担当としてスライドしてくるほうが遥かに自然。そしてその場合、どこの支部長が日本を担当するかでしばらく揉めるはずだった。
そうして指揮権が残っている間に、無謀とは思いつつどうにか体勢を立て直す予定だったのだ。
だというのに――。
「あり得ないわ! 私が降格するだけならまだしもこんなにすぐ後任が……それもお前が任命されるなんて!」
それこそこいつのことだ。
長年スランプにあるとはいえ天才魔道技師とも呼ばれた技能で支部長の証を偽装でもしたのかと本気で疑う。
すると猫屋敷忍は心底楽しそうにくすくすと笑い、
「それがですねぇ。あなたがやらかすと同時に〝これ〟を上に報告したら……即決で私を日本担当支部長に昇格させてくれたんですよ」
バサッ。
まるで野良犬に餌をやるかのように犬飼洋子の眼前へ紙束が放られる。
あまりにも無礼なやり方だ。だが、
「は……!?」
その紙束にまとめられた内容が目の端に引っかかった次の瞬間、犬飼洋子は紙束を引っ掴んで中身に目を通していた。
そこにまとめられていた「研究成果」があまりにとんでもないものだったからだ。
「あ、あんたこれどういうこと……!? 最終段階とまではいかないまでも、世界への侵略計画を10年以上前倒しできる代物じゃないの!? それこそちまちました工作や暗躍なんて段階を一気にすっ飛ばせるくらいに! いやそれどころか、この技術があれば山田カリンを早々に潰せてた可能性すら……!?」
意味がわからなかった。
確かにこいつは魔道技術の天才だ。いま犬飼たちが普通に使っている「探索者のユニークスキル覚醒」の簡易化なども猫屋敷が発見したものであり、侵略計画に貢献した技術は数多い。
だが〝これ〟はいくらなんでも逸脱しすぎだ。
本国の国家規模研究施設はもとより、犬飼工業よりも劣った設備と資金でこんな成果を複数叩き出せるなど、にわかには信じられかった。データの改ざんを本気で疑うほどに。
それになにより信じがたいのは、
「あんた、なんでこれをすぐ報告しなかったの!? この研究結果、今日昨日に都合よく辿り着いたもんじゃないでしょう!? これさえあれば山田カリンを潰せてた可能性が高いし、隠しダンジョンが見つかるなんて最悪の事態だって避けられたはずなのに――」
「だってなにも考えず報告なんてしたら、あなたに手柄をかすめ取られちゃうじゃないですか」
「……!?」
端的に語られたその理由に、犬飼洋子は愕然と言葉を失った。
「いやですよねぇ組織って。研究資金をもらえるのはいいんですけど、一番結果を出す人ではなく、要領や立ち回りの上手い人が成果そこそこでも上にいけちゃうんですから。私、そっち方面の頭脳労働は苦手で苦手で」
猫屋敷忍はうんざりしたように続ける。
「だから研究結果を正式に報告する前にあなたを上手いこと追い落とすチャンスを何年も伺ってたんですけど……こんな都合のいい天変地異みたいなことが起きるなんて私もびっくりです」
「ま、さか……じゃあ、何年も結果を出してないように見えたのは……!?」
「ねぇ、なんでこんなことになったのかわかりますか、〝犬飼〟さん」
部下の告白に声を枯らす犬飼を見下ろし、猫屋敷忍は嗜虐的に微笑む。
「あなた、いろんな意味でボスの器じゃないんですよ。だから土壇場で部下に足をすくわれて……こうして無様を晒すことになるんです。ま、組織運営とか私も苦手なので人のこと言えませんがね」
そして猫屋敷忍はずっと言ってやりたかったことを言えてスッキリしたとばかりの表情を浮かべ、
「まあご心配なさらず。あなたがずうううっと達成できなかった課題は新しく支部長に就任した私が新技術をもってすべて片付けてあげますから。そのまま安心して落ちぶれてくださると嬉しいです」
支部長の証である紋様と絶対的な研究結果を見せつけるように犬飼をせせら笑うのだった。
「こ、の……」
そんな猫屋敷忍に犬飼洋子は全身をぶるぶると震わせて、
「この魔女があああああああああああああああああああああああああ!」
虎視眈々と下克上を狙い間接的に自分を破滅に追いやった女に雄叫びをあげて掴みかかる。
だが――ドゴン!
「がっ!?」
突如その場だけ重力が増したかのように、犬飼洋子は床に叩きつけられていた。
ただでさえ消耗していたところに強力な攻撃を食らい、すぐに動かなくなる。
「指名手配犯の身体持ちなんて本当は処分しちゃうのが一番なんですけど……本人の意にそぐわない精神移動も大変ですし、いままでの意趣返しも兼ねて飼い殺しにでもしておきましょうか」
新しい支部長として部下に犬飼の拘束を命じ、嫌いだった上司の無様な姿に猫屋敷忍は改めて笑い声をあげる。
「あはは。本当にいい気分。目障りな上司を潰す機会をくれるなんて、山田カリンには感謝ですねぇ。とはいえ……」
と、猫屋敷忍はその瞳をすっと細めた。
「こっちはいい資金源である犬飼グループを存続させたうえで
そして猫屋敷忍は盛大に研究結果を披露できる機会への高揚とカリンへの殺意が混じった笑みを浮かべ、
「じゃあ……早速始めちゃいましょうか。この世界を手に入れるための第一歩にして、山田カリンを深淵最奥までおびき寄せて潰すための悪巧み。大規模ダンジョン崩壊ってやつを」
世界を混乱に陥れるその計画を速やかに始動するのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――
というわけでだいぶ長くなってしまいましたが、犬飼工業は実のところブラックシェルポジションだったようですわね……。
そしていまのうちに言っておくと、めちゃくちゃ険悪な関係の犬飼様と猫屋敷様はそのうち仲良く(?)なる可能性がありますわ
※そしてすみません。本当は掲示板回も入れる予定だったのですが文字数がえげつなくなってしまったので分割ですわ。次回掲示板回を挟み、その次からまたカリンお嬢様メインの新章に入っていきますの
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