モリアーティが卒業する日

十野康真

第一章 名探偵は超コミュ障

担任からの密命

 長慶寺ちょうけいじ丹恋にこは小学校、中学校を通して常に生き物係だった。正確には中学時代は飼育係だけれど、係の実態は何ら変わらない。

 動物に詳しくもなく、大好きだと胸を張って言えるのは犬や猫のような愛玩ペット動物くらいだ。にもかかわらず、小学校で最初に選んだ係とは違う係を担うのは面倒、というだけの理由で高校でも生き物係を選ぼうと決めていた。

 サーフボードが似合いそうな、満遍なく日焼けした遠山とおやま先生が、体育科教員らしく太く鍛えられた上腕で細いチョークを黒板にかつかつぶつけながら係一覧を書いていく。騒がしさと、初々しさに満ちた教室の中で、チョークの音ははっきりと聞こえるのが不思議だった。

 まずはじめに学級委員、体育係、保健係、といったどんな学校でも学級自治のために必要な係が白く記された。

 高校も、小中とさして変わらない。丹恋は拍子抜けした気分だった。

 後ろの席の小岩井こいわい結莉ゆうりがボールペンのノック部分で丹恋をつんつんと突いてくる。振り返ると、校則の弛さを最大限に活用したピンクゴールドの髪色で、K-POPアイドル風のメイクをした彼女が頬杖をついていた。


「何選ぶ? 全員何かの係は担当しなきゃなんでしょ?」

「うん、そう言ってた」

「そっか。で、丹恋は?」

「生き物係か、飼育係」

「どっちも一緒じゃん」

「そ。だって、他の係したことないもん」

「いやいや、そんな人聞いたことないって」


 小馬鹿にするみたいに結莉がけらけら笑う。

 結莉とはつい三日前の入学式で出会ったばかりだが、同じお笑い芸人が好きだと判明し、良く話すようになった。ネオン煌めく繁華街でナンパを巧みに受け流す姿を思い浮かべてしまいそうな外見だが、地に足が付いているとわかったのも仲良くなった理由だろうか。

 結莉は派手めのファッションが板についているが、丹恋自身は高校入学をきっかけに腰まである長髪を深みと艶のあるゴールドに染めてみたものの、馴染んでいないような気がしていた。


「丹恋ちゃん、ちょっと……」


 左横に座る春日かすが璃子りこが切ない表情で丹恋を名前を呼んだ。百五十センチ半ばしかない丹恋よりも更に小柄で、げっ歯類のような雰囲気の璃子は気が弱いのか自分が悪くないときも申し訳無さそうな顔をする。


「どうしたの?」

「あのね、黒板見てみて」


 蛍光灯の明かりがうるうるした目に反射している。そんな庇護欲を唆る目で言われると、何でも願いを叶えてあげたい衝動で胸が締めつけられる。

 見ると、遠山は既に全ての係を書き終えたあとだった。


「書き終わったって教えてくれたの?」

「それもあるんだけど、違うの。丹恋ちゃんにとっては大事なことでしょ? ほら、あそこ」


 含みのある言い方に首を傾げながら、丹恋はもう一度黒板を見てみる。今度は注意深く、手を皿のようにして。


「うっそ……」


 丹恋達の通う東京都B区にある桜日おうじつ高校。

 まずまずの進学実績と自由な校風の程よいバランスから、偏差値に比べて倍率は高い。丹恋もその志望者の一人で、一月下旬に桜日高校を受験した。しかし、志望するにあたってのリサーチが甘かった。

 生き物係も、飼育係も、黒板のどこにだって書かれていない。この高校は生き物を愛でて、命の大切さを気づかせるという方針はとっていないのだ。

 面倒を避けたいという怠慢な発想で同じ係を選択してきた自分自身を丹恋は恨んだ。どの係が安牌なのか、という嗅覚が一切働かなかった。

 結論が出ないうちに、学級委員が真面目そうな眼鏡をかけた男子生徒と、髪を短く切り揃えた快活な印象の女子生徒に決まった。新学級委員の仕切りのもとで各係の文字の下に全員に配布されている名前付きのマグネットを貼っていくことになった。

 ええっと、と口に出しながら黒板の前を彷徨った末、結局、丹恋は図書委員を選んだ。ミステリー小説は良く読むし、委員の特権で新作を図書室に入れてもらえるかもしれないという邪心がそうさせた。

 しかし、公正なじゃんけんによる選抜により、あっけなく落選。希望者のいなかった係を見渡すと、あとは面倒そう、かつ全く興味の持てないものしか残っていなかった。

 皆の第二希望にあたる係を始めに選んでおけば、大きな失敗はしない、という基本中の基本を丹恋は高校生になってようやく学んだ。

 何てことなの。

 心の中で、なぜか往年の名作少女漫画のような台詞を丹恋は呟いた。

 その後も丹恋は信じられない”ついてなさ”でじゃんけんに負け続け、ついに最後の二人になった。

 ――あれ、おかしくない?

 そう思ったのは丹恋だけではなかったようで、学級委員の女子生徒が遠山に訊ねた。


「人数が合わなくないですか? 係はあと一枠なのに、残っているのは二人ですよ?」

「いや、これでいい。最後まで残った一人には俺からスペシャルな係に任命する」


 遠山は不敵な笑みを浮かべ、ちらりと丹恋の方を見た。

 嫌な予感が心の蛇口からどばどばと流れている。スペシャルは、悪いベクトルのスペシャルだ。しかも、遠山は丹恋が任命されることになるだろうと踏んでいるらしい。なんと、不本意なことか。

 対戦相手を見ると、地球滅亡を誕生日に知らされたみたいな複雑な表情をしていた。アンラッキーな状況だが、それは互いに同じだ。そんなに思い詰めた顔をされると、勝っても喜べないどころか慰める役目まで背負う羽目になりそうだった。

 しかし、勝負は勝負だ。正々堂々という言葉が、三度の飯ほどではないにせよ、丹恋の好きな言葉ランキングには上位に食い込む。

 拳に息を吹きかけ、勝利の女神を宿らせる。ここまで散々裏切ってきた神ではあるが、今度こそは想いが通じるはずと信じている。

 学級委員による合図のあとで、勢い良く小さな拳を振り下ろす。

 相手の手は指先までぴんと開かれていた。


「良し、決まったな。長慶寺は次の休み時間、俺に時間をくれ」


 運の悪さに項垂れながら、丹恋は担任の言葉を受験勉強のときに聴いていたラジオよりぼんやり受け止めていた。

 項垂れたままの丹恋をよそに、クラス運営に関する事項が次々と決まっていった。進行を卒なくこなす学級委員の二人を見る限り、彼らはずっとリーダーシップをとってきたタイプなのだろう。学級委員をはじめに選んでいれば、競争も少なく、同じ係でいられただろうか、と思いかけたが、自分にはてきぱきと進行できるような能力はないな、と丹恋は思い直した。

 チャイムが鳴ると、宣言通りに遠山が丹恋を手招きした。


「丹恋、がんば!」

「頑張って、丹恋ちゃん」


 璃子は心配そうな顔だが、結莉はこの世の何よりも面白がって励ましていた。

 ――ちくしょー、他人事だと思って。


「悪いな、長慶寺」


 担任は形だけの謝意を見せた。それが逆に鼻についたし、実家は寺なのかと必ず訊かれる可愛さの一つもない名字で呼ばれたことも気に入らなかった。丹恋と書いてニコと読む。自分でも気に入っている下の名前で呼んでほしかった。


「なんで、係を黒板に書かなかったんですか? スペシャルなって濁したのも何かやましいことがあるんですよね?」

「勘がいいなぁ。だが、やましいっていうのとはニュアンスが違う。ま、良かったよ。人の良さそうな長慶寺が残って」


 遠山の「場所を変えるぞ」という声に従い、丹恋は渋々彼の後を追い、職員室まで移動した。遠山は自分のデスクの椅子に座るよう丹恋に促し、彼は腕を組んで丹恋を見下ろしている。丹恋が何事かをしでかし、説教されているようではないか。


「私の運の悪さを指導するんですか?」

「どうした、急にネガティブになって。説教するなんて一言も言ってないだろうが」

「それはそうなんですけど」

「まあ、そんなことより本題だ。長慶寺にやってもらう係なんだが」

「はい」

「係って言うと、聞こえが悪いんだがな……良かったら、剣持けんもちを気にかけてやってほしいんだ。あいつ、あれから教室に来てないだろ?」


 遠山は頬を掻き、冗談ではないと示すように苦笑していた。少しして、丹恋は趣旨を理解した。

 どうやら自分は、今度はクラスメイトの世話を焼くことになったのだ、と。

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