また僕になる‐転生を夢見ていたのに生まれ変わったら僕だった‐
Ryoh
序 転生を夢見たはずなのに
両親を見送った。先に父、その10年後に母が、どちらも天寿を全うしたとは言い難いが、僕が思うに悪くない形で旅立っていった。闘病期間こそあったが、綺麗な姿だったのだ。
親ガチャがなんだ、ヤングケアラーがどうだと騒がれる世の中で、いわゆる金持ちではなかったが、衣食住に困ることはなかったと記憶している。両親が僕に窮屈さを感じさせなかっただけなのか、それとも本当に幸せな家庭だったのか、今となって考えてみれば後者だったのだろう。さらに言えば、両親とは良好な関係を築けていたと思う。これを幸せと言わずしてなんと表現すべきだろうか。若い頃にはきりがない上を見ていたが、この歳になったら分かる。僕は幸せな家庭にいた。
そして今、僕は死の淵に立っていた。母が亡くなって12年後、2052年のことだ。
不摂生をしていたわけではない。健康診断だって半年に一度は受けていた。ただ、いつもより少し体調が悪かったのでかかりつけ医に行ったら、医者が血相を変え、そのまま大きな病院送りになった。みるみるうちに悪化し、ベッドから動けなくなるまで4日。30年くらい前に話題になったエクモが装着され、意識は朦朧としている、らしい。と言うのも、考えることはできているし、耳も聞こえてはいるのだが、どうにも動ける状況ではない。病院側の動きはどうやら慌ただしい。ご家族は、キーパーソンは、なんて言葉が聞こえてくる。どちらもいなくて申し訳ない。
ああ、死ぬのか。両親より長生きできなかったな。短命な一族だったのか、真相は定かではないが、父は70歳、母は75歳でそれぞれ亡くなった。僕は今、62歳だ。平均寿命どころか健康寿命にも達せなかった。何度も言うが不摂生をしていたわけではない。
いよいよ死ぬわけだが、僕は冷静だった。家庭は持たなかった、いや持てなかったので、悲しむ妻や子はいない。交友関係は控えめだったので僕の死が伝わるかは分からないが、即座に伝えたい人がいるかと言えば微妙なところだった。入院準備の時に記入済みのエンディングノートを持ってきていたので、死んだら誰かが見つけてくれるだろう。退職した時に将来を見据えて葬儀会社の互助会に入っておいたので、死んだ後のことも大して心配ない。我ながらなんて準備がいいのだろう。まあ、こんなに早く決着がつくとは思っていなかったが。
そんなことより、重要なのはその先だ。僕がまだ若い頃に流行した『異世界転生』の物語。不慮の事故や事件で死んでしまった主人公が、気がついたら異世界に転生している、と言うのが大筋だった。あの頃は次から次へとそんな物語が出てきて、どれがどの話か分からなくなりながらも、僕は夢中になっていた。数ある話のうち、ネットスーパーのスキルを持った主人公の物語は秀逸だった。異世界にいながら、こちらの世界の買い物ができるのはロマンすら感じた。自分が転生するのは魔法や魔獣の存在する世界なのか、それとも神に気に入られてチート能力を得られるのか、妄想を膨らませたものだ。いつ頃から廃れてしまったのだろう。もう思い出せないが、一大ムーブメントはいつの間にか去っているものだ。そしてブームが終わるころには、漫画やライトノベル、そしてアニメからはさすがに卒業していた。
こんな時だ。今でも夢見ることはできるだろうか。行ってみたかった異世界に思いを馳せる。やっぱり最強主人公になって戦うのがいいか、反対にスローライフを過ごす系か。ドラゴンにはちょっと会ってみたい。
ああ、書けばよかったのか。あの熱量があった時に。今さらどうしようもないが、残したものは何もない、平凡で退屈な人生だった。あらゆるコンテンツを享受するばかりで自分からは何もしなかった。小説を書こうなんて、若い頃はノートの片隅に何かを書いた気もするが、いつしかどんどん大人になって、そんな事を考えることもなくなった。大半の人間がそうなのだろう。それでも確かに幸せで、これ以上を望むのは罰が当たりそうだ。
そういえば、両親はちゃんと転生を果たしたのだろうか、なんて。仲の良かった二人のことだ。今頃はもうとっくに、再会を果たして幸せに暮らして、僕を迎えに、そこまで。
「起きて、恭太」
ああ、母の声だ。そうか、やっぱり迎えに来てくれたのだ。目を開けると、眩しい光が飛び込んできた。何度か瞬きを繰り返し、目を擦る。その手があまりに柔らかく感じられて、僕は体を起こした。スムーズだ。死んだらこんなに楽に動けるのか。
「おはよう、ちゃんと起きれたね」
母だ。その姿は随分若い。30歳に満たない、気がする。死んだら若返るのか? そんな馬鹿な。だが、目を擦った手も若々しいどころか、完全に子供のそれだった。呆然としている僕の元に、声を聞きつけたのか父がやってくる。
「トースト焼けてるぞ、顔洗ってきなさい」
天からのお迎えってこんなに日常的なのか? 何を言っていいか分からず、とりあえず頷いた。そう言えば天国までの長い階段を昇る間、一言も発してはいけないなんて物語を昔見たような気がする。だがここは記憶を辿るまでもない、一度も出たことがない実家だ。天国への階段なんてありはしない。向かった洗面台の鏡に、5歳くらいの僕が映っている。その表情からは疲れたオッサンの顔が見え隠れしている。このままだと両親を不安にさせてしまい、天国へ迎えられなかったら困るので、顔を洗いシャキッとした。子供用の何とかレンジャーの歯ブラシと甘いいちご味の歯磨き粉で歯を磨きながら、これってヨモツヘグイにならないだろうか、もう死んでいるからいいかなどと考えた。
それにしてもリアルだ。生まれてからのほとんどを過ごした実家。いつだったか風呂場や洗面台、キッチンはリフォームをしたのだが、ちゃんと以前の姿をしている。牛乳パックに新聞紙を詰めて並べて作った、母お手製の踏み台も健在だ。洗濯かごに貼ったシールはまだ綺麗な形を保っている。このかご、こんな頃からあったんだな。そう言えば昔はなんでも物持ちがよかった、気がする。今(ここから見ると未来?)は安い物をすぐに買い替える、消費優位の時代なので、ちょっと羨ましささえある。
洗顔にばかり時間を掛けていられないので、ダイニングへと向かった。父は新聞を片手にコーヒーをすすっている。母は台所に立ち、弁当箱とにらめっこしているようだった。
「おはよう」
僕は意を決して声を掛けてみることにした。発した声はオッサンのものではなく、声変わりもしていない幼いものだった。
「はい、おはよう。パン冷めるぞ」
「玉子焼きの端っこ食べる?」
言いながら菜箸で玉子焼きの、切り落とされた端っこを皿に乗せてくれる母。今日は甘めだよ、と母が笑う。ああ、ヨモツヘグイでもなんでもいいや。いただきます、と言いながら懐かしい玉子焼きに箸をつけた。
「箸の持ち方綺麗になったな」
「えっ、どこで練習したの? 幼稚園?」
しまった。この頃は握り箸だったかもしれない。でも両親は嬉しそうなので、大人げなく喜んでいる自分がいる。その勢いで玉子焼きもトーストも食べ、牛乳だって飲み干した。普通だ。あまりに日常だ。特別に絶品なわけではなく、だが思い出補正でめちゃくちゃに美味く感じられた。これで黄泉の国の仲間入りと言うわけだが、どうにもしっくりこない。死後の世界ってこんな感じなのだろうか。嘘をついたら閻魔大王に舌を抜かれるとか、天国の人は協力して飯を食うから太っているとか、うっすら覚えている話は本当におとぎ話だったのかと面食らう。
ブラウン管のテレビの左上には時計が表示されていて、僕は漠然と、準備しなきゃと思った。ごちそうさまと言いながら皿とコップを台所に持っていくと、母は目を丸くした。ああ、この習慣もまだ後のものだったか。幼稚園でお母さんのお手伝いしなさいって言われたから、と適当なことを言い、僕は目を覚ました子供部屋へ足早に向かう。母が用意してくれたのだろう、幼稚園の制服が折り畳みテーブルの上に置かれている。こんなに小さい可愛らしいものを着ていたのだな。両親はきっと、苦労はたくさんあれ、楽しかったことだろう。子供どころか家庭を持たなかった僕には、味わったことのない感覚だけれど。
部屋に掛けられたカレンダーを見た。1996年4月。8月で6歳になる年だ。と言うことは、幼稚園では年長クラスか。来年度から小学生、と言ってもまだ1年あるが。夢のようだがリアルすぎる天からのお迎えはいつまで続くのだろう。これじゃまるでタイムリープ、だ。
あれ? 僕は今、時を遡っているのではないか?
転生を夢見ていたはずなのに、僕は生き直しを始めたのではないだろうか。僕という人生をほぼ最初からやり直す、のか? なんだか複雑な気持ちだ。僕は確かに幸せな人生を歩んだ。だがそれは後年気づいたことで、若い頃はそんな風に思っていなかった。もっと大きくなれるんじゃないかとか、もっとすごいやつになれるんじゃないかとか、そういう漠然とした夢のまた夢を見ながら、努力を怠ったのが僕だ。安定はしていたけれど、冒険を選ぶことはできなかった。家庭を持つなんてもってのほかだった。両親が与えてくれた当たり前を、妻子に同じようにしてやれる自信がなかった。だから独り身を選ばざるを得なかったのだ。やり直せ、ということか? 妻子を持って幸せにして、両親とも円満に過ごす。これが僕の心残りだと言うのだろうか。
ならば遡りすぎではないだろうかと、思わなくもない。何も幼稚園からやり直さなくても。まさかこの時点で未来が決まっていたとでも言うのだろうか。雑に嫌な人生だと感じてしまう。
ちょっと夢見ていた異世界への転生は果たされなかった。だが、僕の人生を物理的にやり直す権利をもらった、気がする。あえて取らなかった選択肢を、掴みにかかることもできるわけだ。もしかしたら短命を健康寿命くらいまで伸ばすこともできるかもしれない。
「着替え終わったー?」
母の声がする。何もしていない。僕は急いでパジャマを脱ぎ、面倒なシャツボタンを留めた。
とにかく生き直してみよう。いつ夢が覚めるか分からないが、せっかくもらったロスタイムだ。楽しんだっていいだろう。
着替えを整えた僕は、お弁当を受け取るために台所へと向かった。
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