第32話

「イン……?」


 扉を開いた先にいたのは、まるで能面のような無表情を湛えた黒髪でポニーテールの少女。

 それはあの抜きゲーみたいな世界で共に戦っていた、女体化した親友の姿そのものだった。


「……ど、どうしてその姿に」

「コウ」


 俺が言いかけた言葉を遮って、彼女は冷たい瞳で此方を見つめた。


「不法侵入だよ。なに考えてるの」


 ぐうの音も出ない正論だが今はそれどころじゃない。

 妙な事を口にしていた親友の様子を見に来てみれば本人がTSしていて、しかもその傍らには悪魔もいるとなれば、不法侵入云々での押し問答などしている場合ではないんだ。


「おまえ何をするつもりだ……? どうして悪魔と一緒にいるんだ」


 怒声の混じった俺の問いを聞いても、黒髪の少女は微動だにしない。

 あの世界でもそうであったように、取り澄ましたような表情のまま、眉ひとつすらピクリとも動かしやしない。

 憤る俺に無感動な少女は背を向け、ウサギのぬいぐるみの姿をした悪魔と向き合った。


「オレが──私がNTRの二人を助けに行く」

「……は?」


 何を言ってるんだコイツは。


「コウはここで待ってて。一応言っておくけど、助けなんていらないから」

「なにいって──おいっ!?」



 彼女の言葉に狼狽えている間に、インは傍らの悪魔と手を繋ぎ──その姿を消してしまった。









 一つ。インは悪魔と契約して、クリアすれば式上桃彩とサキュバスのムチ子を此方の世界に連れてくることが出来るゲームを用意させ、それに参加した。


 二つ。平行世界の人間を俺たちのいるこの世界に転移させる事の代償として、インは男の肉体を悪魔に差し出し、異世界で使っていた入れ物の女の肉体になってしまった。


 三つ。彼女に協力したウサギの悪魔は、数いる悪魔たちの中でも特に卑劣な部類に入るヤツだということ。


 以上の三つが、以前俺をゲームに参加させたクマの悪魔から聞き出した、今回の騒動の真相だ。

 現在はインがいなくなった部屋の床に座り、電話をかけて呼び出したクマ悪魔と対面しながら話をしている。

 ちなみに海夜には先に帰ってもらった。


「──以上が火路インについての情報だけど、他に質問ある?」


 クマのぬいぐるみの様な見た目の悪魔はフワフワと宙に浮かびながら、俺に淡々と事実だけを述べた。

 彼から聞かされた情報に頭を抱えつつ、俺は顔を上げてクマ悪魔に質問をした。


「……なんでゲームなんだ」

「と言うと?」

「あのバカ、わざわざ肉体まで差し出したんだろ。それなのにどうしてゲームをクリアしないと連れて来られない、なんて条件付けたんだ。もう代償は支払ってるんだろ?」


 あろうことかインは既に男の肉体を失ってしまっている。わざわざ苦労して元通りに生き返ったというのに、アイツはまた感情の起伏が顔に出ない無表情っ娘な女の子になってしまったのだ。

 到底信じたくはない……が、タチの悪いことにその事実を既にこの目で目の当たりにしてしまっている。


 認める他ない。最近ずっとウジウジしていた俺にアイツがキレて女体化までしてしまった、という目の前の現実を。

 しかし、それにしたって何でゲームなんか?


「あー、それね。実は悪魔と人間の取引ってさ、面倒くさいんだけど基本的にはゲームとか儀式とかを通すことで初めて成立すんの。

 だから代償として肉体を渡したからといって、物々交換みたいにその場ではい終わりって感じにはできないんだよね。

 火路インが肉体を差し出したのは……まぁ、いわゆる参加資格ってやつだよ。

 わたしだったらウサギみたいに代償の先払いなんてセコい真似はしないけど」

「先払い……どういうことだ?」

「ウサギは卑劣な部類に入るズルいやつだって言ったろ? アイツは先に火路インに男の体を支払わせたみたいだけど、普通はゲームをクリアしたその時に代償とクリア賞品を交換するワケ」


 ……つまり、インは騙されたってことか?


「遅かれ早かれクリアすれば男の肉体は失ってたわけだし、騙されたってのはちょっと違うかな。

 まあ、火路インがゲームに失敗して途中で死んだ場合は、ウサギには彼の肉体が渡らないはずだったから……ちょっとウサギが一方的に得してるってのは事実かも」


 あのウサギのぬいぐるみの悪魔、なかなか悪魔らしく小賢しい真似をしやがったわけか。

 インがもし失敗したとしても、既に彼の男の体を得ているウサギ野郎には損失がないってことだ。


「つまりウサギにとっては、火路インがクリアしようが死のうがどうでもいい。……むしろこのゲームを過酷なものに仕立て上げて、苦しむ火路インの姿を悪魔界に生放送でもすればウサギの懐は潤いまくる。憎たらしい奴だね、まったく」

「……ちょっと待て。おいクマ、いまその生放送ってやつの枠が出来てるのか確認することは出来るか?」

 

 俺に言われてどこからともなくスマホを取り出したクマ悪魔は、画面を起動させてポチポチと操作すると──軽く笑った。


「アハハっ。すごいな、よく分かったね。本当に生放送の枠できちゃってるよ。タイトルは【TS少女が死亡確定の無理ゲーに挑んだ結果wwワラワラ】だって。概要欄には死に方予想のアンケートまであるし。

 ウサギのやつ、火路インのことクリアさせないで殺す気満々だな」


 ……いまさら驚きはしない。何せ相手はあの悪魔だ。介入しないとか言っておいて最終日には介入しまくって俺たちを苦しめたあの悪魔たちが何をしようと不思議ではない。


 しかし、驚きはなくとも怒りはある。

 まさしく腸が煮えくり返る程の憤りを。

 せっかく生き返ったのに俺に黙って男の肉体を捨てて死地へ飛び込んだアホ親友と、そんな彼を利用して愉悦に浸っていやがるクソ悪魔に対して、だ。



「……いや、違うな」



 思い出してみろ。

 元を辿れば今回の騒動は、いつまでも先輩とムチ子の事を引きずっていた俺のせいだ。


 俺が仲間を失った悲しみに打ちひしがれていたせいで、インはこんな暴挙に出たのだ。

 分かりやすい空元気なんかしないで辛さをインと共有するべきだった。彼と話すべきだった。そうすれば少なくともインが俺に怒りを覚えるなんてことは無かったはずだ。


 でも、そうはならなかった。ならなかったんだよ。だからこの話はここでお終いだ。

 

 前を見て、現実を見て、今この状況を打破する策を講じるべきだろう。

 後悔して悩んでる暇なんてないのだ。

 俺はとにかくまずインを助けだして、それから彼をハメたクソ野郎ことウサギ悪魔も一発ぶん殴らなければ気が済まない。


「……クマ悪魔、力を貸せ」

「いいの? こっちは別に構わないけれど……親友を助けるためとはいえ、わたしの力を借りたら本末転倒じゃない?」

「他に方法がねぇんだよ。……で、お前は何が欲しい」


 腹を決めて悪魔の手を借りることにした俺の言葉を受けて、悪魔は手を顎に添えて一考する。

 まさか命とか言われたら厳しいが、アイツを助けられて尚且つこの世界で生きられるんなら、視力とか多少の寿命くらいならくれてやるつもりだ。


「……決めた」

「聞かせてみてくれ」

「んっふふ。──代償、なしでいいよ」

「……はっ?」


 クマの言葉に一瞬動揺したが、首を振って我に返る。

 こいつはあのウサギと同じ悪魔だ。甘い言葉に乗せられてはいけない。


「どういうつもりだよ、お前」

「参加の代償は無しでいいよって言ったんだ。おまえはしっかりゲームをクリアして生き返って、わたしに地位を与えてくれたからね。人間の言葉で言う……リップサービスってやつ?」

「そんな都合のいい話があるか。じゃあなにか? お前は無償で俺の頼みを聞いてくれるって?」


 そうではないよ、と悪魔は俺の言葉を一蹴する。

 ならどういうことだ。


「無償じゃあない。おまえには火路インのゲーム参加の資格を与える代わりに、ウサギの企画をぶっ壊してもらう。それに失敗したらわたしはお前の魂を貰うよ」

「……具体的に何をさせたいんだ」

「簡単だよ。ほれっ」


 クマのぬいぐるみが俺に手渡してきたのは、インカム付きのヘッドカメラだった。


「それ付けてゲームに参加して、わたしの生放送の主役になってくれ。ウサギがご丁寧に用意してくださった仕掛けを余すことなく全部攻略して、尚且つ火路インをクリアに導いてもらう」

「いいのか? そんな俺にとって都合のいいような条件で?」

「ふふっ……いいことを教えてあげよう。悪魔ってのは人間の失敗より、同族が落ちぶれる姿のほうが好きなんだ。人間を陥れようとしているウサギの生放送より、それをぶっ壊してヤツを嘲笑うわたしの放送の方がきっと盛り上がるに決まってる。わたしは別に誰が生きようが死のうがどうでもいいけど、それを利用できるなら何でも使うってだけの話さ。


 ……それに、失敗したら魂をもらうって言ったろ? おまえにも相応のリスクはある」



 こいつもまた例外ではない、というわけか。

 同族を利用して愉悦に浸ろうとするその姿は、まさしく悪魔そのものだ。

 実はコイツの方があのウサギよりヤバイやつなんじゃなかろうか。


 ──まぁいい。俺だってインを助けるためなら、使えるものは何でも使うつもりだ。


 それが悪魔に利用されることだろうと、親友を取り戻すためだったら喜んで引き受けてやろうじゃないか。


「せいぜい期待に応えられるよう頑張るよ。ちゃんと応援しててくれよな」

「はぁ? に、人間の応援なんかするかっての」

「おっ、ツンデレか? お前もかわいいところあるな、クマ」

「……はいはい勝手に言ってな。──そらっ、時間ないから転送始めるよ」


 悪魔に言われて足元へ視線を落としてみれば、段々と俺の体が透明になっているのが分かった。


「あとコレ靴。武器もいる?」

「武器はなにがある?」

「フライパンしかないけど」


 ならそれを使わせてもらおう。あっちの世界でも空から降ってくる変態天使をフライパンで打ち返したので、この武器はそこそこ使えるほうだ。


「じゃあ行ってらっしゃい、主陣コウ」

「おう。ありがとな、クマ」

「……別に? せいぜい死なないように頑張りな~」


 まったく素直じゃない悪魔に見送られつつ──俺はこの世界から転送された。


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