第18話




「……?」


 ふと目を覚ますと、自分はベッドの上で横たわっていて、傍らには先日別れを告げたはずの、赤髪で紫肌の少女──ムチ子が座っていた。

 よく見れば前回よりももう少し縮んでいる。間違ってもムチムチなんて効果音はなりそうにない姿だ。

 

「……ムチ子?」

「おはよう。おバカさん」


 口調は以前と同じく強いままだったが、ムチ子はどこかバツの悪そうな顔をしていて。

 

「……その、ごめん」


 妙に取り繕うこともなく、彼女は俺に向かって頭を下げた。

 なぜムチ子がここにいるのか、どうして彼女に謝られているのか、皆目見当のつかない俺は首を傾げるしかなく。

 そんな混乱状態の俺に、ムチ子は順を追って事態を説明していった。



 まず、俺とインは発情で混乱して意味不明な過激筋肉トレーニングをしていたらしく、それを見かねた式上先輩が俺たちを催眠術で眠らせてくれたのが、いまから二時間前の出来事で。

 ちょうど同じタイミングでムチ子がこの家に訪れ、彼女が今の状況を式上先輩と話し合った結果、俺とインを別々の部屋で分けることになったそうだ。

 まだ眠りから覚めた直後だからか、不思議とムラムラはしていない。


 そして、なぜムチ子が帰ってきて、俺に謝ったのか。


「長年この地域だけを一人で縄張りにしていたから……アタシ、他の地域のサキュバスの事情を知らなくてね。

 話を聞く限りサキュバスって種族自体がかなり衰退してたみたいで、よそ者を受け入れる余裕も義理もない~って突っぱねられて、ついでに魔力も奪われちゃって……」


 一拍置いて、ムチ子は一回り声を小さくしてから再開する。


「呪いの大本であるアタシの体調とか魔力の流れがおかしくなったせいで……あの、呪いも……暴走しちゃって……ごめんっ」


 そんな謝られたところで、まだいまいちよく分かっていない。

 呪いの暴走とはどういうことだろう。


「せ、性欲が五倍になるって言ったけど、本当にただ性欲が増えるだけなの!

 あんなっ、狂ったように筋トレしかしなくなるほど思考能力を奪う作用は……本来、この呪いにはないって話……。

 だからアンタたちがおかしくなったのは、サキュバスの現状もロクに調べずに街を出てったアタシの責任。

 ホント、浅慮だった。下手したら筋トレよりヤバイことしてたかもしれないし……ごめんなさい」


 ムチ子に割と本気で謝られて、俺は狼狽えてしまった。

 コイツってこんな奴だったか? 人間を捕食してそれを止めに来た俺たちに呪いが付与されても、それは自分を触ったお前たちが悪い、なんて言ってたやつだぞ。

 ……裏があると、俺は考える。


「ムチ子」

「な、なに……?」

「お前──媚びてるだろ」


 俺がそう言った瞬間、ムチ子の肩がビクっと跳ねた。結構失礼な物言いをしたのだが、どうやら図星らしい。

 呪いの事を全て俺たちに責任転嫁してきたあの悪魔っ子が、まさか呪いの暴走程度でこんな風に謝るはずがない。

 彼女は今、俺に対して謝り倒すことで同情を誘おうとしているのだ。多分。


「……えぇそうよ」


 認めんのはやいな……。


「だ、だってアタシが住める地域ここしかないんだもの! 

 またここの人間から精気を吸わないといけないの! 生きるために! 悪いっ!?」

「逆ギレすんなって。悪いなんて言ってないだろ」

「ねーえーっ! 謝るから見逃して!

 淫夢とかアタシの魔力を察知しても見て見ぬフリして!

 通報しないで捕まえないでぇ!」


 いや、通報されるレベルの淫夢って、まさかまた意識が昏倒する程の量の精気を吸い取ろうとしてたのか?

 前に交わした俺との約束は──あぁ、確かに『保証できない』とは言ってたな。

 俺結構お前の事信じてたんだけどなぁ……。


「しょうがないじゃないお腹ペコペコなんだから!

 魔力奪われるわ警察に追われるわで体は縮むし、あっちもこっちも他のサキュバスがいて精気吸えなくてずっと何も食べてないのよ!

 体が縮んだ分もっとたくさん精気を吸って回復しなきゃいけないのにっ!」

「……その、精気じゃないと駄目なのか? 他のものでお腹膨れたりしない?」

「精液なら大歓迎だけど」


 聞いた俺が悪かった。

 そうだよな。抜きゲーみたいな世界のサキュバスだもんな。

 

「むしろ夢で精気吸うより精液を直接摂取する方が好きな──」

「まて、わかった、わかった……それ以上は口にしなくていい。言われなくても何となくわかるから」


 ムチ子の声を遮って頭を抱えた。

 殊勝な態度の裏に我が身可愛さの見逃して宣言があったものの、ムチ子の意見も分からなくはない。

 精気を吸うことは俺たちが食事をすることと同義であり、彼女はいま食料に飢えて苦しんでいる。

 彼女も今は耐えられているが、飢餓状態が長く続けば正真正銘の搾精モンスターと化してしまうだろう。最悪死人が出る可能性すらある。

 一体どうしたものか。


「なぁ、ムチ子」

「何よ」

「さっきは遮って悪かった。精気と精液の具体的な違いについて教えてほしい」

「言われなくても分かるって言ったくせに……」


 まぁいいわ、教えてあげる。

 そう言ってムチ子は両手を開いた。


「簡単に言えば濃さと量の違いって感じ。

 濃度も精液の方が高くてお腹も膨れるけど、単純に精液は搾精するのが面倒ね。

 いちいち対象の雄を絶頂させなきゃいけないし、食事をする分には精気で事足りる」


 ムチ子先生からとても分かりやすい解説を頂いた。たすかる。

 いろいろと話を聞く限り、過程が面倒くさいものの精気と違って精液の摂取の場合は単純に回数と量が少なくていいという事が判明した。

 精液を絞る場合は別段相手が気絶するまで絞る必要もない……と。

 それで精液を絞ることに関して別段嫌悪感がないのなら、じゃあ欲求不満な男性の相手をしてあげればお互いwin-winなんじゃないか、と提案してみると。


「精気と違って精液は味の当たり外れが大きいの。

 食べなきゃ分かんないしそれをいちいちやるのも面倒。

 美味しいご飯精液を毎日自分から注いでくれる相手でもいれば話は別だけど、そんなのいないし精液摂取にシフトすることはないわね」


 結論は『面倒くさい』であった。こいつ面倒くせぇな。

 ていうかさっきから精液精液連呼してて自分でも辛くなってきた。地獄みたいな会話だ。


「スンスン……あー、でもアンタからは美味しそうなご飯の匂いするなぁ」

「え? おい、ちょっと待て。もし俺を襲おうとしたらフライパンでぶん殴って警察に叩きだすぞ」

「べっ、別に襲うつもりなんてないし。殴るなんて怖いこと言わないでよ……なっ、殴らない、わよね……?」


 ムチ子がプルプルと震えだして、なんだか俺が脅してるみたいな雰囲気になってる。

 ただの牽制のつもりだったのだが、予想以上に怯えられてこっちまで罪悪感が出てきた。

 小さい少女が怯えて俺が威圧感を放っている光景は、傍から見れば完全に事案だ。


「……悪かった」


 一応怖がらせてしまったのは事実なので謝っておく。

 するとムチ子はまだ若干怯えつつも、俺の様子を窺うかのように顔を覗き込んできた。


「……あ、あのさ」

「何だ?」

「えっと……よ、良ければ、呪いがある二週間は……アタシが抜いてあげよっか?」


 何でそうなるんだ。


「ほらっ、アタシが抜いたらアンタは五倍になった性欲を発散できるし、アタシはお腹を満たすことが出来る。これってアンタが言った通りウィンウィンってやつじゃない?」

「俺はセックスすると別の呪いで死んじまうんだ。無理だよ」

「うぇっ? …………ぁ、いや、でもっ、えっち以外にも抜く方法あるでしょ! 手とか口とかさ!」


 話し方というか、額に汗を浮かべながら説得する今のムチ子からは、かなり必死な感情が伝わってくる。

 俺の事情はともかくとして、彼女からすればいま言っている方法が一番丸いし、それが実現できればしばらくは安泰だから必死になる気持ちもよく分かる。

 本番以外ならセーフ、というのも恐らく事実だ。



 ──しかし。

 それよりも先に決めなければいけない、やらなければならないことが俺にはある。

 俺はベッドから降りて、部屋のドアノブに手をかけた。



「ちょ、ちょっと、どこ行くのよ?」

「インと話をしてくる。お前との話も後でしっかりするから、悪いけどここで待っててくれ」

「えぇ……? でも、そのインって娘、今はあのロリっ娘に自慰の手ほどきを受けてるんじゃ──あ、ちょっと!」


 彼女の言葉を最後まで聞かず、俺は自室を後にした。

 この家の二階で布団が用意されている部屋は他に一つしかないため、インと先輩の場所もそこだと見当がついている。

 


 ……インを家に連れ帰ってアイツをベッドに寝かせた時、彼女は『自分の体を使え』と言った。

 そんなとんでもない言葉を口走った時の彼女は、無表情だけど顔が真っ赤で、なにより”涙”を目尻に浮かべていたのだ。


 俺も余裕があるわけではないが、きっとインは俺以上にこの状況で精神が疲弊してしまっている。

 心が壊れてしまう直前まで──追い詰められている。


 だから話さなければならない。

 早急に聞き出さなければならない。

 彼女のゲームクリアの条件を、俺は知り得なくてはいけない。



 ……もし、クリア条件が時間経過の俺と違って、やろうと思えば達成できるようなものだったら。


 俺は今すぐにでもを生き返らせて、この状況から解放してやらなければならないから。


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