第17話



 青空に茜色が混じり始めた頃、本日の授業を終えたは急ぎ足で校舎を飛び出して行った。


 片手でスマホをいじって、科学部の面々に「今日は休み」といった文面のメッセージを送りつつ、バスへと乗り込む。

 目指す先は後輩君──主陣コウ君の自宅だ。

 サキュバスの呪いによって発情した彼と、自慰のやり方を知らなかったがために性欲を溜め込んでしまったイン君の二人を、昼休み前に早退させたのだがアレから一向に連絡が来ない。


 もし二人が理性を忘れてえっちをして、それで死んでしまっていたら、なんて考えると──手が震えてきた。

 悪い展開を考えるのはやめておこう。きっと二人とも大丈夫だ。


「……あっ、降りなきゃ」


 以前教えてもらった住所の近くに差し掛かったため、バスを停めて下車した。

 彼の家は一軒家で、住宅街の一角にあるとの事だ。

 スマホの地図アプリとにらめっこをしながら、入り組んだ住宅街を散策していく。


 

 コウ君とイン君は、ボクにとって特別な存在だ。

 ボク自身の科学力を以って助けた人間というのは、彼らが初めてだった。

 コウ君……後輩君とのファーストコンタクトは、ボクが性欲に負けて逆レイプしかけるという控えめにいって最悪の出会い方だったものの、なんとか汚名返上をしようと頑張っていれば、後輩君は割とあっさりと許してくれた。


 なんというか、彼はお人好しだ。

 セックスすれば爆発して死ぬ、なんて致命的な呪いを抱えていて、それを知らず結果的に彼を殺そうとしてしまっていたボクを許してしまった。

 正直最初に協力することになった時は、もっと嫌われているか、殺しかけた弱みを利用してコキ使われるかとも思っていたのに、ふたを開けてみれば後輩君は口々に『仲間』と言う。

 彼にとって、ボクはもう仲間であるらしかった。

 彼を殺しかけたボクが、だ。


 ……そんな事を言われたら、死んでも守りたくなるに決まってるじゃないか。

 こんなことで罪滅ぼしになるとは思わないけれど、彼と彼が大切にしているあの少女だけは、何があってもボクが守りきる。

 外へ出歩けば三分でエロイベントに遭遇するのがこの世界だ。

 発情フェロモンやサキュバスの呪い以外にも問題はたくさんあるだろうが、出来る限り全力であの二人をサポートしよう。

 それがボクにできる唯一の贖罪だ。

 彼らの為なら何だってやる。


 ──そう決めた時から、ボクの思考はスケベ一色ではなくなった。

 彼らの話を聞く限り、この世界の住人は少なからず頭のネジが飛んでいるらしいが、まともなあの二人と接することでボクは少しだけネジを締めることが出来たのかもしれない。

 彼らの言う『元の世界』の人間に比べたら、まだまだスケベ脳な頭のおかしい奴かもしれないけれど、この世界の基準に則って考えればボクも多少はまともな人間のはずだ。

 そう信じて、彼らと接している。

 胸の内に秘めた大きな色情をひた隠しにしながら、頼れる先輩として。



「……ここかな?」


 地図と標識を確認する限り、目の前にある二階建ての一軒家が後輩君の自宅のはずだ。

 チャイムを押してみる。


「……でない」


 二、三回と繰り返し押してみたけれど、反応がない。

 試しにドアノブを引いてみると──開いている。

 鍵もかけずに不用心な後輩だな、なんて思いつつ中の様子を窺ってみると、玄関には脱ぎ散らかされた学園指定の革靴とローファーが置かれていた。

 靴があるということは、後輩君もイン君もこの家にいるはずなのだが……。


「後輩くーん? イン君も、いるのかーい?」


 声を掛けつつ中へお邪魔したが、一階の居間に彼らの姿はない。

 それに。


「何の音だ……?」


 天井から何やら妙な音が聞こえてきている。

 それを不審に思って二階へと昇り、変な音楽が聞こえてくるドアの前に立つと、後輩君の声が僅かに聞こえた。

 何を言っているが分からないけど、とりあえず生きていることが分かってホッと胸をなでおろした。

 よかった。けど、何をしているんだろう。

 そっと部屋のドアを開けて、恐る恐る中の様子を覗いてみると──



「うぅぐぐグっ!! ああ゛ぁっ腹筋いてぇ!!」

「コウ、姿勢が崩れてきてる。頭をさげちゃダメ、ちゃんと胸も張って」



 ──イン君を背中に乗せて、後輩君がプッシュアップしている。

 ちなみに彼に乗っているイン君も片手にダンベルを持っていて、その異様な光景にボクは一瞬目が眩んだ。

 ……何してんだ。


「ぐああぁぁっ! も、もう駄目だぁ……」

「……私も、腕うごかなくなってきた」


 突然ぶっ倒れる二人。ダンベルが床に着弾して大きな鈍い音が響き渡り、一瞬ビビった。


「ふ、二人とも……?」


 声を掛けようとすると、後輩君が汗だくになりながら床に手をついて、ぷるぷる震えつつ立ち上がろうとしている。


「まだだ……っ、ぐっ、性欲を何とかするためには、筋肉を──ッ!」

「馬鹿かキミは」

「式上先輩!? 邪魔しないでくださいッ!」 


 完全に錯乱状態じゃないか。そんなハードワークな筋肉トレーニングを素人がやったところで、体が悲鳴を上げるだけだろうに。

 何があったのかは知らないが、結局二人ともえっちな事はしないで、筋トレをすることで誤魔化す方向に舵を切ったらしい。アホか。

 筋トレって別に体に負荷をかけ続ければいいってもんじゃないと思うんだけどな……。

 とりあえず、無茶を続けようとするおバカ二人を鎮めるべく、ボクはポケットから紐を括りつけた五円玉を取り出した。


「し、式上先輩っ? なにを──」

「オラッ催眠!!」

「──ぐぅ……」


 とりあえず催眠で二人とも眠らせた。

 一旦眠って脳を回復させないと、冷静な状態には戻れないだろう。


「……はぁ。目を離したらこれって、先が思いやられるなぁ」


 額に手を当ててため息をついた。

 インのことは俺に任せてください、なんて言って学校を飛び出したと思ったらこの状況だ。

 性欲に駆り立てられてイン君を襲わなかったのは……まぁよく理性を保ったとは思うけど、別の意味で理性が飛んでちゃ意味がない。

 あのまま無謀な筋トレを続けていたら、きっと体を壊していたことだろう。間に合って本当に良かった。


「親友に手を出したくない、ってのは……分かるけどね」


 彼が悩みに悩んだ結果がこれだという事は理解できる。

 男の子から女の子に変わってしまった親友に対して、おいそれとスケベな事ができるような人間ではないのだ、彼は。

 まぁ流石に自慰で治めるとか、それくらいはすると思っていたのだけれど、自分以上に発情で苦しんでいるイン君を目の当たりにして錯乱してしまっていたんだろ。

 フェロモンで何度も人を発情させてきた彼だが、自分が発情するのは今回が初めてだったわけだし、あんまりお小言を言うのも可哀想か。


 さて。

 つい眠らせてしまった二人だけど、これからどうしようか。


「とりあえずタオルで体を拭いてあげて、それから──ん?」


 頭の中でこれからの予定を組み立てていると、不意に窓の方からガラスを軽く叩くような音が聞こえた。

 音の鳴る方へ首を向けると──



「あけなさーい」

「……サキュバス?」



 いかにも淫魔染みたえっちな格好に身を包んだ少女が、べったりと窓に張り付いていた。



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