21.失いたくないもの.M
MIYABI View
―――カラオケボックス
再来週に1学期の期末テストがある、それに備えて来週からテスト勉強を始めるのでその前に今度の土曜に皆でカラオケに行こう、という話になって、どうせならという事で敏夫君達を入れて6人で遊ぼうという流れになっていて。
元33才のおじさんとしては同世代(15)の子達と遊ぶのは初めてでかなり緊張する。
困ったら敏夫君に助けて貰おう。
敏夫君の友達も誘うという事はももか(中平)ちゃんやさな(矢矧)ちゃんは前出(智行)くんや大鷹(哲平)くん達と仲良くなりたいのだろうか。そういうのもあるだろうね。
カラオケが始まって少しするといつのまにか私と敏夫君が2人並ぶ位置に座っている。私としてはそのほうが安心出来るので良いんだけど。
この身体で歌った事は無く、もし音痴だったり下手すぎて聞くに堪えないレベルだと不安だし、今の歌は知らない、なので参加はしてるけど歌うつもりは無かった、そういう意味でも敏夫君達も居てくれて良かった、6人もいれば歌わなくてもそんなに目立たないだろうし。
でもそんな心配は敏夫君が拭い去ってくれた。
「大丈夫ですよ、皆は笑ったりしませんから」
「大丈夫ですよ、5年くらい前なら聞いたことあると思うんで、それくらいならいけそうですか?」
敏夫君が大丈夫と言ってくれるなら、大丈夫だろう、それに何かあっても上手くフォローしてくれそう、そんな信頼感が有る。
本当に私は敏夫君に頼りすぎだな。
「大丈夫です、それで行きましょう、入れますよ」
それに決めた時の行動が早い、即断即決なのだろうか、良いなあ。
無事に歌い終わって、ジュースを入れに出たら、敏夫君は付いてきてくれた。
皆に楽しんで欲しいと考えていて、私より皆が沢山歌ったほうが良いと考えていた、でもそれは間違っていた事に敏夫君に気付かされた。
「それならみやびさんももっと歌わないと、皆から見たらみやびさんが楽しんでないように見えて、気を使っちゃいますよ」
確かにそうだ、1人だけ歌わずにいたら逆に気を使われるだろう、それでは皆が楽しく、とはならない。
ふふ、敏夫君に気付かされるなんて、ちゃんと考えているつもりでもまだまだだったんだな、私は。
一緒に部屋に戻ると敏夫君とももかちゃんが2人で話し始めた。
ももかちゃんはチラリと私を見て、なんだか楽しそうに敏夫君と話している。
そしてそのまま敏夫君の手を引いて部屋を出ていってしまった。
何か嫌な予感がしたが特に気にせず何かあったのかな?と思う程度で済ませてしまった。
メッセージが届く、ももかちゃんからだ、やっぱり何かあったのだろうか。
"敏夫君と付き合ってないし好きでもないんだよね、だからちょっと借りるね"
―――え!?どういう意味だろう、……ももかちゃんは敏夫君の事が好きだったの?だから2人で出て行った?
そう思った瞬間、全身から冷や汗が出たような気がした、……敏夫君が、盗られる!?
……付き合ってないんだからその表現は正しくないけどそんな事はどうでも良くて。
確かに私はももかちゃんとさなちゃんに敏夫君について言われる時は決まって、"付き合ってない"とか、"そういう感情は無い"と言っている。
それがまさか今になってこんな形で返ってくるなんて、そしてこんなに他人に敏夫君を盗られるのが嫌だったなんて、それに今気付いた。
それから30分近く、もうカラオケどころでは無く、頻繁に部屋の外に出て探している、でも見つからない。もしかしてもう店には居ないのだろうか、2人で何処か別の場所で楽しく遊んでいるのだろうか。
さなちゃんや前出くんや大鷹くんは大丈夫?と心配してくれて、大丈夫と返すけど全然大丈夫じゃない。
心が凄く不安定になっていた。
思えば実の親は既に他界していて、女の子になった事でそれまでの人間関係は全て失った。
義理の親と言っても入院中しか顔を合わせておらず、義姉にしても一度会ったきり、私にとって身近な存在は敏夫君しかいない。
だから、彼の存在が私の気付かない内にとても大きくなっていた、過去の人間関係が気にならなくなるくらいに。
近くにいないと不安になるほどに。
こんなに敏夫君がいなくなると不安になってしまうのか、今までは保護者然として見守っていたつもりだったけど、私が敏夫君に依存していたようだ。
いなくなるだけならまだしも、人に盗られるなんて、そんな事、考えた事なんてもちろん無いし、今は考えたくもない。
今の私には元男だとかおじさんだとかは頭から消えていて、ひたすらに敏夫君の事ばかり考えていた。
敏夫君は常に付いてきてくれる、いつも一緒に居てくれる、それが当たり前だと思っていて、疑いもしなかった。
敏夫君は優しい、特に私には特別な優しさだろう、そしてあの穏やかな話し方、常に私を気遣ってくれる、あれは私に対してだけの特別なものだと、その理由も分かってる。
敏夫君は褒めてくれる、いつも、私が何かをする度に、しかも我が事のように嬉しそうに。それに慰めてもくれる、失敗や落ち込んでいる時は必ず。
そしてハッキリした、私はそれが当たり前と感じてしまっていて、危機感が無かった。
この幸せを手放さないような努力を全くしていなかった。
ずっと努力をしていた敏夫君とは雲泥の差だ。
分かっている、それらは全て、私の事が好きだからだ。私が敏夫君を失いたくないのであれば、それを受け入れる努力をするべきじゃないだろうか、断るという事は今の関係を失う事だ。
もう手遅れだけど。
今更何を、というかも知れないけど。
でも最後にもう1度だけ敏夫君にメッセージを送ろう、ダメなら、ダメなら……。
既読になり、少しだけ経って、敏夫君とももかちゃんが帰ってきた。
一瞬喜びかけたけど、返信も無かったし、やっぱりもうダメなんだろうか。
そう思っていると敏夫君は隣に座った。
「ただいま、みやびさん」
「はは、俺がみやびさんの事嫌いになる訳ないじゃないですか、心配性だなあ。
ほら、大丈夫ですよ、ヨシヨシ」
良かった、とりあえず嫌いになった訳じゃないみたいで、安心した。
そして、いつものように優しく話し、更に私の頭を撫でてくれた、少し前なら手を退けていたであろうその行為を私は受け入れた。
今までの関係を続けていくためには私はそれ以上の事も受け入れなければいけない。
受け入れてしまえばそれは心地良く、気持ちの良いものだった。
どうやら次は私がデュエットを歌うみたいで、相手は敏夫君を指名させてもらった、今の心境だと敏夫君しかないんだけど。
敏夫君とのデュエットは楽しく、さっきまでの落ち込んだ気分は吹き飛んで嬉しく楽しくなっていた。
1番が終わって間奏中、敏夫君に肩を抱き寄せられた。
突然の事で驚いたけど、敏夫君の望む事であれば問題無い、私は敏夫君を見上げた。
すると敏夫君がウィンクしてきた、流石に驚き、そして照れてしまった。
「大丈夫ですか」
敏夫君が何を心配してるのか分からないけど問題ない、大丈夫だよ。
そうだ、ラブソングのデュエットらしく歌詞を確認する時以外は敏夫君を見つめていよう、そうしたほうが喜ぶんじゃないかな。
2番が始まり、どうやら敏夫君も私と同じように歌詞を確認する時以外は私を見つめるようにしたようだね。
歌詞に"好き"という単語が入っていて、まるで告白のような歌詞があるんだけど、そこに合わせて"好きです"と言ってきた、うん、分かってる、君の気持ちは。ただそう思っていても心臓は肩ごと跳ね上がり、ドキドキした。
無事に歌い終わり、皆が拍手してくれた。
盛り上がっていて楽しんでいるみたいで良かった。
席に戻り少し話しをしていたら、敏夫君がまた肩を抱き寄せてきた、歌ってた時とは違い、もっと身体を寄せてきた。
何がしたいのかを察して、抱かれた側の手を敏夫君の胸に起き、近い距離で見上げた、これも、受け入れよう。
そう思っていたら肩から手が離れた、周りを見ると皆が固唾を呑んで見守っていた。
なるほど、この状況では流石に無理だよね、私も大分恥ずかしい。
ももかちゃんが謝ってくれた、敏夫君には何かアドバイスしていたらしい、それにしても随分と長かったけど、でも私に気付かせてくれて、手遅れにならず済んだ、だからありがとう。
ももかちゃんとさなちゃんには自分の気持ちに正直に、大事したほうが良いと言われた。
そうだね、敏夫君を失いたくないという気持ちに正直に、大事にしないと。
―――自宅
カラオケが終わり、一緒に帰った。
新たな心持ちは晩ご飯の時には大分慣れて今までのように話す事が出来た。
そして今まで以上に敏夫君の気遣いや言葉が心に染みるように感じた。
そう、これは当たり前の事じゃない、それを忘れてはいけない。
敏夫君を失いたくない、だから彼の望む事を受け入れる努力をしなければいけない。
私にとって彼が心の支えなのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます