第25話 樹上の話

 中学校にはすぐ隣に神社があった。

 杉の林に囲まれた古い社だ。神主、宮司と呼べる人もいない。だが地域の人の手で管理されており、古くとも荒廃はしていなかった。


 その神社の杉林で死体が出たのが、確か中二の夏。ひどく暑くて、例年よりも数倍以上の蝉の死体が道に転がっていたのを覚えている。


 死体そのものを見たことはない。当然だ。だが、噂は幾つも聞いた。その夏最大のニュースだった。


 曰く、死体はこの辺の人間ではない。数日前から、浮浪者が神社に住み着いており、辺りの住民の間で噂になっていた。その浮浪者が、死体へと変わったのだという。


 曰く、首吊り自殺だという。境内の中でも一際大きな杉の、最も下の枝に縄を結んで、そこで吊ったとされている。サッカー部のS副部長の姉がホームセンターで働いており、件の浮浪者が縄を買うところを目撃していたらしい。


 確かな情報など回ってくるはずもない中学生の社会だ。教師や大人の間には緘口令が敷かれている。辛うじて漏れ聞こえてくる、上記のような噂だけが、その夏の、エネルギーを持て余した中学生らに与えられる餌だった。


 当然満足などできるはずもない。


 私は、同級生数人と怖いもの見たさで現場に出かけたことがある。そういう生徒は多かった。後々問題視されて立入禁止となるのだが、そうなる前の、警察による捜査の初動が終わった直後の間隙をついて。


 私達は怖いもの見たさで出かけていった。

 問題の杉がどれかはすぐに理解できた。明らかに足跡が集中していたし、献花が供えられていたからだ。


 大きな杉だった。

 これかぁと見上げていると、ふと、背筋が震えた。


 杉の木の上に、何かいる。


 それは逆光でよくわからない。しかし黒い影が、上にあるのはよくわかった。


 その影はしばらくゆらゆらと動いていたが、私が見上げていることに気付いたのか、一瞬動きを止めたかと思うと、すーっと滑るように移動して視界から離れ、あっという間に見えなくなった。


 奇妙な影に呆気にとられていると、仲間の一人が声を上げた。他にもあれを見た奴がいたのかと思い視線を向けると、その仲間は杉の木の表面を指差して興奮している。


 近づいてみると、そこには文字が彫られていた。

 ナイフか何かの刃物で刻み込まれた文字は、文としての繋がりのない支離滅裂な言葉の羅列で、見ようによっては散文詩のようにも思える。確か、以下のような内容だったと記憶する。



 ───────────────────────


 登っていない木から 降りてはいけない


 私はうまくできませんでした


 よかったです


 三人目がずっとこちらを見ている


 妖精を捕まえるために買ったのだが無駄だったようだ


 よかったです


 病院の幽霊はみんな天使に食べられて残っていません


 蛾と蝶の混血


 前輪に後輪が追いついた日


 よかったです


 この木がすべての原因だ

 さわるな さわればしぬ さわってはいけない


 わたしはもうダメだ ひだりてがなわをくびにかけている とめられない だめだ しぬ


 おかあさんごめんなさいです


 ───────────────────────



 怖がる他の友人たちへ、私は言った。確かに奇妙な文だけど、木の上にいたあれに言及していないのはおかしくないか、と。



 友人らは、きょとんとした顔で、お前は何を言ってるんだと問うてきた。


 私は何度も説明したが、彼らは全く信じてくれなかった。見たものも、皆無だったようだ。木の上の、それを。



 その日の肝試しは結局、浮浪者によるものと思われる奇妙な散文を実際に見れた、というだけで終わってしまった。



 やがてこの肝試しが教師に発覚し、この境内は生徒立入禁止となる。

 秋となれば合唱祭が始まることもあり、夏の時代は誰も彼も忘れていった。私もまた、同じである。


 ただ、禁止令をクラスに告知した担任K先生の言葉。


「もしも行きたいものがあるなら、行く覚悟を決めてから行きなさい」


 が妙に印象に残ってはいた。



 後に。

 事件から十年経ち、あの頃の中学生も最低限の分別をつけた大人となった。

 ある時ふと思い出して、何となく図書館で新聞を検索した。


 当時の新聞はすぐに見つかった。

 そして、神社の境内で見つかった屍についても。




 浮浪者の死体は────



 下半身がなかった、と報道されていた。



 新聞によれば、腰より僅かに上の辺り、腹の真ん中で切断されて死亡していたのだという。


 以下はその新聞を読んだ時に浮かんだイメージ。

 杉の木の下に男が一人横たわっている。死体の切断面からは腸らしきものがずるりとはみ出て、林の緑や茶色とは相容れない赤黒い血液がてらてらと光りながら広がっている。わずかに見える白いものは背骨、脊椎。

 清浄であるべき境内を穢す屍が一つ。

 そこにある。



 首吊りではない。そんなものではなかった。

 もっとおぞましい何かで、彼は殺されている。


 結局、犯人は今に至るまで見つかっていない。



 新聞には最後、このように記されていた。

 死体の切断面は歪で、動物に噛まれた跡のようである。




 最後に、何故私が今更、浮浪者の死を調べているのかを述べておこうと思う。



 昨晩、帰宅中に、ふと空を見上げた時。


 あの時杉林の上に見かけた黒い影と、全く同じものが見えたのだ。



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