第14話 傘の話


 下校途中の事だった。茶色の傘を差して歩いていた。雨脚は強く、しかし風は無く、上から下へ滝のように降る雨は、容赦なく視界を塞いでくれた。傘の外に、ほんの僅かにでも踏み込めば、そこはもう半透明のカーテンが無数に折り重なった未明領域である。数メートル先の器物が───街路樹や電柱や家々が、うすぼんやりとした影としか見えない。そんな雨の日の帰り道。

 いつもはそこそこある車通りが、その日はほとんどなかった。

 ふと、視線を感じた。怪訝に思って振り返ってみるが、雨のせいでよく見えない。だが、どうしても立つはずの足音は聞こえない。つまり、誰もいないはずだった。気のせいだろうと先を急ぐが、進みだしてみると、やはり視線を覚える。振り返ってみたが、やはり、見えない。足音は、聞こえない。

 いやだ。

 強くそう思った。

 急いで帰ろう。

 早く、早く、足を動かす。

 やはり背後に誰かいる。見られていると感じる。気のせいだ。

 神社を右手に通り過ぎた。

 すると突然、気配らしきものが消えた。視線も感じない。

 ほっと、息を吐く。

 雨脚も少し弱まったようだ。何層ものカーテンに思えた視界は、開放されつつある。

 見れば人も何人か歩いている。傘を差して、数えてみたら七人ほど、道の先を歩いている。

 誰かがいると分かること、これ程安心できるものはない。

 ほっとしながら歩き出す。

 家と、時折挟まるビルを抜け、居酒屋の前を、八百屋の前を通る。十字路を三度抜けた。

 結構歩いた。

 違和感。

 理由は直ぐに分かった。

 前を行く人の数が変わらない。ずっと前を歩いている。曲がり角は幾つもあったのに。ここ二キロほど、ずっと真っ直ぐ歩いているのが七人いる。七つの傘がこちらを向いている。

 黒い傘だ。七つとも。まったく同じ濃さの黒色。大きさも形状も同じ。

 今、傘たちは橋を渡っていた。五人が渡りきり、二人は中程にいる。

 私は立ち止まる。

 おかしい。

 あの傘の持ち主たちが、濡れた道を踏みしめる音が聞こえない。パシャパシャという音が。

 鳥肌が立つのは多分、雨による寒さのせいではない。

 なんか、凄く、いやだ。

 神社を通るまで、後ろからついてきていた何かよりも。

 あの傘の七人の方が、はるかにいやだ。


 その時。

 傘二人が渡り終えた。傘五人に並んだ。

 そう。気付いたときには、五人は立ち止まっていたのだ。二人を待つように。

 彼らは橋の向こう側に止まっていた。

 雨の音が、遠い。


 傘が、揺れた。

 それが、向きを変えようとしているのだと。

 傘の持ち主たちがこちらを向こうとしているのだと。

 気付いて。


 いやだ。

 見たくない。

 幸い体は動いた。金縛りとかはなかった。だが見たくないと強く思った時にはすでに、傘のあれらは体を真横まで向けていた。

 間に合わない。慌てて、自分の傘を思い切り前へ向けた。

 これで視線は遮られた。自分も、向こうも。

 見たくないと思ったことを感付かれただろうか。

 いや、雨の中、傘を変に振り回すなんてのはよくあることだ。

 だから大丈夫なはず。

 幽霊を前にしたとき、見えていることをさとられてはいけない、とよくいわれるが。今回はまだ、さとられていない可能性が高い。

 だから、大丈夫なはず。

 そう言い聞かせ。

「ち。忘れ物した」

 弁明じみた台詞を、棒読まないで口にして。

 そして、間違っても前にいるあれらを見ないようにして、後ろを振り返る。




 そこに八人目がいた。



 ずるいだろ。








 ざあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ


 雨の音で我に返る。

 帰り道に立っていた。振り返ると橋があった。

 感触に違和感を覚え、手元をよく見ると、黒い傘を持っていた。

 回りには他にも黒い傘が七つ見える。


 どうやら、帰れなくなったようだ。




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