変かな?

 「ねぇアキラ、教科書忘れたから見せてもらっていい?」

 「おう、いいぞ」


 ファナエルと友達になったあの日から数日。

 あの日の俺を最後に彼女に告白する人間は出てこなくなった。


 俺という存在がいるから彼女が他の生徒の告白を拒否してくれているなんて理由だったらとびっきりに嬉しいもんだが、現実はそうもいかないらしい。

 単にクラスメイトが彼女に対して持っていた美少女転校生というイメージが薄れ、逆にゲロを吐かせるクッキーを食べさせて来る女という悪いイメージが強くなっていったせいで、皆が彼女との距離を取り始めたのだ。


 皆でこぞってファナエルに告白していた癖に、今は近くに居たくないからなんて理由でファナエルの隣の席に誰も座ろうとしなくなった。


 本当に皆身勝手だ。


 ‥‥‥‥でもそんな身勝手な皆のおかげで、俺は彼女の隣の席に座ることができている。

 誰もファナエルと積極的に話さなくなった今、俺が彼女と一番会話しているという状況が続いている。


 こんなことを考えるのは気が引けるし、絶対にファナエルにバレたくないけど‥‥‥彼女を独り占めしているような感覚に浸れる今の環境を俺は結構気に入っていたりするのだ。


 「アキラ、なにか考え事?」


 ふと、すぐ隣にいるファナエルが、授業をしている先生に聞こえないような小さな声で俺にそう囁きかける。

 もしかしてさっき考えていたことが口に出ていたのではないかと一瞬不安がよぎるが、彼女の楽しそうに笑うその顔を見て多分それはないなと思い、安心する。


 「あーいや、授業面倒だな〜ってな」

 「フフフ、真面目に受けなきゃだめだよ。次、アキラが先生に当てられたら√5って答えたら良いから」

 「えー、なんだよそれ」


 ここ数日のお陰で俺も照れずにファナエルと会話することが出来るようになり始めた。

 最初に告白したあの時から着実に進歩してきている自分を誇らしく思っているのもつかの間、突如先生のど号が俺に突き刺さるように降っていた。


 「おい牛草、お前ちゃんと授業聞いてるのか?」

 「え、あ、ハイ!!」

 「それじゃあ、問3の答えを言ってみろ」

 「えっと‥‥‥√5です」

 「‥‥‥‥‥ちゃんと聞いてるならいい。いいか、この問題はー」


 そう言って黒板に振り向き、問題の解説を始めた先生の姿を見て俺は安堵の息を漏らす。


 「あの先生怒ったら怖いよね。命拾いしたね、アキラ」

 「ファナエルのおかげだよ‥‥‥ていうか、ファナエルも先生の事怖いって思ったりするんだな」

 「‥‥‥‥変かな?」


 そう言った彼女は不意に視線と声のトーンを落とす。

 彼女が握っているシャーペンから出ている黒い芯がじゃりっと潰れる音と共に放たれた「変かな?」という言葉からは彼女が何かを不安がっていることが容易に想像できる。


 他人を気遣うなんてほとんどしてこなかった俺が容易に想像できるほどの彼女の動揺がこの一瞬に溢れ出ていた。


 「全然そんな事ないって。俺はただ‥‥‥‥ファナエルの事を知っていくのが‥‥‥‥その‥‥‥嬉しいって言うか‥‥‥」


 俺はとっさに彼女をフォローするために、あせあせと身振り手振りしながら言葉を紡ぐ。

 フォローするための言葉ではあるが、それと同時に俺の紛れもない本当の気持ちでもある。

 それを口にするのが恥ずかしくなって、俺は段々声が小さくなって言葉も絶え絶えになっていく。


 「‥‥‥‥アキラは面白いね。すぐ照れる」


 そんな俺の言葉でも彼女の心を少し晴らすことが出来たみたいだ。

 その事実に俺は少しホッとする。


 彼女は少しだけ笑顔になって「そう、私あの先生に怒られるのがとっても怖いの」と呟いた。


 次の瞬間、彼女は左手を使って自分の口周りを覆い隠した。

 それはまるで先生たちや他の生徒には自分の口元が見えないように、俺にだけ彼女の口の中が見える角度になっているように感じてしまい、なんだか少し胸がドキドキする。


 「だからさ、私が授業中にガム食べてることは内緒にしてて」


 大きく口を開け、彼女の唾液に浸された黒いガムを見せながら彼女は妖艶に微笑んだ。


 弱々しい彼女、ちょっと悪い事をする彼女、彼女の口の中や授業中の態度や持ってきている無地の白い筆箱。

 クラスの誰もが知らないファナエルの一部を少しずつ知っていく、ここ毎日の俺の日常は最高潮のバラ色を迎えていた。


 誰も見たことないであろう彼女の口の中をまじまじと見ながら、俺は一人こんな時間が永遠に続けばいいのになとこっそり考えているのだった。

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