第27話 37.7

「あ、そこ違いますよ」

「え、嘘」


 楓ちゃん、茅ちゃん、柚ちゃん、そしてわたしの四人は正方形のテーブルを囲んでシャーペンを握りしめている。テーブルの上には教科書、ノート、問題集etc.


 現在、わたしの部屋で家族会議ならぬ家族勉強会が行われている真っ最中だった。


 初めは柚ちゃんに勉強を教えて欲しいという話から始まったが、中間試験ももうすぐだし、教えるだけでなくついでにわたしも一緒に勉強することにした。


 この部屋での学力ピラミッドの頂点は楓ちゃん。さすがの頭の良さでみんなの質問に答えまくっている。それに茅ちゃんもだいぶ勉強ができるタイプだったらしく、残るわたしと柚ちゃんが最下層争いを繰り広げている。


 と言ってもまあ、わたしの方が柚ちゃんよりも一年多く生きているので、今はまだかろうじてわたしがまだ教えられる立場にいるけど、もし同じ歳だったらどうなってたことか……


 わたしは消しゴムを持って、楓ちゃんに指摘された箇所をゴシゴシゴシゴシ。ノートに書かれた計算式を削る。


 正直に言ってわたしだってそんなに勉強ができないわけではない。見ている感じ、柚ちゃんもきっとそうなんだろう。ただうちの学校が少々偏差値が高めなことによって、楓ちゃんとか茅ちゃんのような勉強ができる子がうじゃうじゃといるだけなのだ。


「ねえお姉ちゃん。これどうやるか分かる?」


 柚ちゃんが隣に来て、問題集を見せてくる。肩と肩が触れて、異常にぴったりとくっついてくるなと思ったことは柚ちゃんの持ってきた問題によって吹き飛ばされた。


 うわ、わたしの一番苦手な化学の問題じゃん……、と口に出してしまってはマズいので、浅く下唇を噛み締める。


 問題文に目を通すと、molと書いてモルと読む謎の単位を使う計算問題だった。


(あー、これわたしも一年生の初めの頃は全然分かんなかったなあ……)


 教科書の説明によれば物質量の単位をモルというのだとか。今聞いても何それ?となる。目に見えないものを考えるのはわたしにとってはいつでも難しい。


「ちょっと待ってね、考えてみるから」


 いつの間にか柚ちゃんがわたしの肩に頭を乗せていることが気になったけど、とりあえずそのことは置いておいて、必死になって頭と手を動かす。


 いや、ムズイなこれ。応用問題じゃん。待って、普通に分からないんだけど……


「柚ちゃん、ちょっと答え貸してくれない?」

「ん。はいどうぞ」

「ありがとう」


 本当なら答えなんて見ずにカッコよく教えられたらいいんだけど、分からないと言って教えられないよりかはまだマシな気がする。


(あー、なるほど、そういう……)


 答えに書かれている解説は思ったよりも端折はしょられているけど、なんとなく理解することができた。これが一年多く生きているもののちょっとした力である。


「えっと、これはね──」


 わたしは柚ちゃんに答えを見せながら解き方を教えていく。自分の説明能力には不安しかないけど、なんとか分かりやすく教えられていて欲しい。


「あ、なるほど、そういうことね。ありがとう、お姉ちゃん」

「うん」


 良かった。理解してくれたみたい。


 わたしはほっとしながらさっきまで解いていた自分の問題に目を落とす。


 さて、どこが違うのやら……なんてことを考えていると、柚ちゃんがまだわたしの腕にくっついていることに気が付いた。


「あの、柚ちゃん?」

「ん?」

「勉強しなくていいの?」

「んー、別にいいかも」

「ちょっと、柚」


 正面からピリッとするような茅ちゃんの声が聞こえてきた。


「由衣にくっついてないでちゃんと勉強しなよ」

「そうですよ、柚。そんな羨ま…… ごほんっ。えー、そんなことをしているとテストで失敗しますよ」

「分かってるもん」


 二人にそう言われても、柚ちゃんはわたしの隣から離れようとしない。


 なんか…… わたしの勘違いだろうか。柚ちゃんの雰囲気がいつもの違うというか…… 


 いつものような柚ちゃんから発せられる明るいオーラが感じられない。


「柚ちゃん…… もしかして体調悪かったりする?」

「ううん、全然元気」

「……ほんと?」


 わたしは柚ちゃんの肩を横から優しく掴んで顔を近づける。


「えっ……」という声が三方向から聞こえてきたけど、気にせず柚ちゃんのおでこにわたしのおでこをくっつける。


「……柚ちゃん! おでこ熱くない!?」 


 普通のおでこの温度がどれくらいかは分からないけど、触れた感じ、なんとなく普通よりも熱いような気がする。


 わたしは立ち上がって小さな箱の引き出しを開け、そこから体温計を取り出して、柚ちゃんに差し出す。


 だけど柚ちゃんはなぜか体温計を受け取ってくれない。


「大丈夫だよ。別に元気だし」

「ダメだよ、柚ちゃん。ちゃんと確認しないと」

「そうですよ、柚。もしも熱があったらみんなに移してしまうかもでしょう」


 楓ちゃんが援護射撃を送ってくれるけど、柚ちゃんはまだ体温計を受け取ろうとしない。


 もうこうなったら……


「ごめんね、柚ちゃん」

「え……」


 わたしは柚ちゃんの制服のボタンに手をかける。


 なるべく目をそらしながら、上から三つ分のボタンを外していき、柚ちゃんの脇に体温計を差し込む。


 申し訳ないけど、熱があるかもしれないと知ってしまっては、このまま放っておくわけにはいかない。風邪を他の人に移してしまうかもしれないという心配よりかは単純に柚ちゃんのことが心配だった。


 体温計がピピピピッという声をあげる。なんだかいつものよりも甲高く聞こえるのは気のせいだろうか。


「……柚ちゃん」


 表示されていた体温は37.7。熱とまでは言わなくても、確実に微熱ではあると体温計に示されている。


「今日はもう休もうか」


 わたしは柚ちゃんの手をふわっと握る。


 柚ちゃんは少し黙ったあと、小さく頷いて、消えそうな声で「うん」と呟いた。

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