第25話 茅の話2

 あー、ヤバいヤバいヤバい。無理でしょ、あれはさすがに。


 わたしは洗い終わった体をバスタオルで拭きながら、先程の由衣の姿を思い出した。


 うう、と恥ずかしくなる気持ちを押し殺すために、わしゃわしゃと髪の毛を拭く。


 よし、これで大丈夫。いつも通りいつも通り。そう思いながら、扉を開ける。


「あ、茅ちゃん!」


 わたしと目が合った由衣がにこっと微笑む。うん、可愛い。


「茅ちゃん、髪の毛乾かしてあげようか?」

「え?」

「ここ座って?」


 由衣がぽんぽんと椅子を叩いている。


 わたしは自分の頭で判断する間もなく、由衣の笑顔に吸い込まれるかのように椅子に腰をかけていた。


「やっぱり茅ちゃんの髪の毛って綺麗だよねー」

「そ、そうかな?」

「うん!」


 ドライヤーの大きな音が響いて会話が遮断される。


 少し悲しいけど、由衣の柔らかい手がわたしの頭に触れている。


 お風呂あがりなせいもあってか、心がふわふわする。

 

 わたしは目の前の鏡に目を向けた。

 

 由衣の手、綺麗。まつ毛も長いし、肌も綺麗。わたしの目にキラキラフィルターがかかっているからとかではなく、本当に綺麗だ。


 きっとわたしだけがドキドキしていて、由衣は何も考えていないんだろう。ちょっと悔しいけど、それでいい。


 わたしだけ先走るのはよくないし、ちょっとずつ距離を縮めていければいい。由衣のわたしへの好感度はそこまで低くない……はず。


 ドライヤーの音がやむ。


「茅ちゃん、乾いたよ」

「ん、ありがと」


 わたしの髪の毛が太くて長ければ、もっとこの時間が続いたのかな……なんてどうしようもないことを考えてみる。別に意味はないんだけど。


「茅ちゃん、こっちこっち」


 ベッドに移動した由衣が今度はベッドをぽんぽんと叩いている。


(……ん?)


 わたしはとりあえずベッドの上に座る。


 ちょっと距離をとってだけど……


「ふふ、茅ちゃん」

「何?」

「かーやちゃん」

「……由衣、なんかちょっと変じゃない?」


 由衣の様子がいつもと少し違う。


 具体的に言うと、テンションが変に高くなっているような感じ。


「んー、そうかも。こういうふうに家族とどこかに泊るなんてほとんどなかったからかな」

「へ、へえ……」


 困る、めっちゃ可愛い。


 お風呂に入ったから少し眠くなっているのもあるのだろうか。溶けてしまうそうな笑顔が心に刺さる。


「茅ちゃん、なんかお話ししようよ」


 そう言いながら、由衣は、ぽすっと音をたててベッドに横になる。


「お話?」

「うん。なんでもいいよ。茅ちゃんのこと教えてよ」

「わたしのこと……」


 教えてと言われても、何を教えればいいか分からない。


「例えば?」

「んー、じゃあ好きな食べ物」

「オムライス」

「好きな教科は?」

「理科」

「趣味は?」

「メイク動画見ること」


 すごく軽い情報ばかりを聞かれているような気がするけど、これで満足しているのだろうか。


 まあそもそも重い情報を聞かれても困るわけだけど。


「じゃあ今度はわたしの番ね。由衣の好きな食べ物は?」

「メロン」

「好きな教科は?」

「んー、国語」

「趣味は?」

「お花見ることかな」


 うん、これは確かに有益な情報かもしれない。すごく満足だ。


「あ、そうだそうだ。茅ちゃんってさ、……好きな人はいるの?」

「え?」


 心臓がドクンと跳ねる。


「好きな人。こういう恋愛トークって醍醐味でしょ?」

「……いや修学旅行じゃないんだよ?」

「知ってるよお」


 眠気で頭があんまり働いていないんだろうか。やっぱりいつもと違う。


 好きな人……ね。ああいますとも。すごく近くに。だけど……


「いないよ」

「あれ、そうなの? てっきりいるのかと思ってた」

「ゆ、由衣は? いるの?」


 少し前の夜ご飯のときにお母さんが好きな人はいないのかと由衣に聞いていた。


 確かそのときはいないと言っていたけど、本当だろうか……


 高校生なら好きな人がいても全くおかしなことではない。由衣、モテるだろうし。


「好きな人? んー、そうだなあ。……いるよ」

「…………は」


 や、やっぱりいるんだ…… じゃあこの前のは嘘…… 誰? そいつちゃんと由衣のこと考えてくれる人なの?


 一瞬で頭の中が誰かも知らない人のことでいっぱいになる。


「……誰……なの?」


 聞きたくないけど、聞きたい。


 わたしはぎゅっと強く両手を握った。


「えっとねえ、ふふ、茅ちゃんだよ」

「っ…………」


 わたしは息を飲んだ。


 ほんと勘弁して欲しい。わたしの気持ちなんて何も分かってないのに、そういうこと言うんだから。どうせ今のは家族としてとか、そういう意味でしかないんでしょ?


 好きなんて言葉、簡単に使わない方がいいよ。


 わたしみたいに、変になっちゃう人がいるから。


 わたしは下唇を噛みながら十秒ほど目を閉じた後、由衣の上に跨った。


 顔が熱い。心臓の音が由衣に聞こえてしまうそうなくらい、ドクドクいっている。だけどもういい。覚悟、決めたから。


 わたしは由衣の顔に手を当てて、顔を近づける。


 せっかくゆっくり進んでいこうと思っていたのに。これは由衣が悪い。だからこれからしようとすることはわたしのせいじゃない。


 それに由衣も目を閉じてくれていて……って、ん?


「由衣。……由衣。由衣さん?」


 わたしは由衣の肩を軽く揺らす。だけど由衣は目を開けない。


 もしかして…… わたしの考えを的中させるかのように、由衣から寝息が聞こえてきた。


(はは、マジか……)


 この状況で寝落ちするやつがいるだろうか。


 ほんと人の気持ちを揺さぶるのが上手いことで……


 わたしは徐々に自分だけが盛り上がっていることに恥ずかしさを覚えてくる。


 人の気持ちも知らないで気持ちよさそうに眠っちゃってさ。ほんと……


「…………………………バカ」


 そう呟いて、行き場のない気持ちを押し付けるように、わたしはこっそりと由衣の頬に唇をつけた。


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