6-3. 決意
その時、ちょうど一陣の風が麗良と青葉の間を吹き抜けていった。紫陽花やクチナシの花びらが辺りを舞い、麗良と青葉の視線が絡み合う。胸がどきどき音を立てて、頬が熱い。今自分がとても変な顔をしているのではないかと思うと、今すぐ回れ右をして逃げ出したくなる。その気持ちと必死に格闘しながら青葉の答えを待った。
一秒、二秒……と、ほんの数秒が永遠の時間に感じられた。
青葉は、何となく麗良の気持ちを察していたのだろう、あまり驚くことなく、少しだけ困ったように笑った。
「ありがとう。麗ちゃんの気持ちはとても嬉しいよ。
……でも、それは恋じゃない。
女の子が父親や兄を慕うような気持ちと同じだと思う。
今こんなことを僕に言われても、違うって否定するだろうけど……きっといつか解る時が来るよ。
もし、何年か経って君が大人になった時、まだ僕のことを同じように想ってくれるなら、その時は、僕もちゃんと麗ちゃんの気持ちに向き合おう。
約束する」
答えなんてはじめから分かっていた。
でも、自分の気持ちを受け止めてももらえないのは、結構思っていたよりもきついものだ。それでも麗良は、青葉を困らせたくはなかったので、必死で涙を耐えて虚勢を張った。
「青葉も頑張ってね。
母さんのこと、私の代わりに支えてあげて欲しい」
麗良がそう言うと、青葉は、見ている側が恥ずかしくなる程に顔を赤くして狼狽し、バランスを崩して池に落ちてしまった。驚いたことに、本人は気持ちを隠していたつもりらしい。
笑いながら濡れた服を着替えに離れへと戻った青葉を見送ると、麗良は、紫陽花の影に隠れて静かに泣いた。庭の植物たちが無言で麗良を励ましてくれるのを感じた。
***
ラムファとの約束の日。
十六歳の誕生日を翌日に控えた日の朝、麗良は、ラムファを誘って庭へ出た。他に行く場所もないというのもあるが、四季折々の植物が植えられた美しい庭は、何度訪れても麗良は飽きることがなかった。
飽きるどころか、毎日少しずつその景色を変えていく様を見て、それに気付くことがまるで宝物を見つけたように心底嬉しいのだ。
でも、この庭をこうして歩くことが出来るのもこれが最後だと思うと、胸が痛い。せめてこの景色と匂いを忘れないようにしようと思いながら、ゆっくりと歩いた。
ラムファは、黙って麗良について歩調を合わせてくれている。
答えを言う前に、一つだけ教えて欲しいことがある、と麗良がラムファに問うと、ラムファは歩みを止めて、真剣な表情で麗良に向き合った。
「私が《妖精の国》へ行くことを拒んだら、どうするつもりだったの」
暗に、娘を見殺しにするつもりだったのか、と聞いている。
「そうならないよう最後まで最善を尽くすつもりだった。
……だが、もし本当に最後までレイラがそれを拒んでいたなら……本当のことを話すしかなかっただろうね。
ただ、その上でここに残るかどうか、決めるのはレイラだ。
前にも言ったけど、無理やり連れて行くようなことだけはしたくないんだ。
それは、分かってくれるね」
麗良は、ラムファの目を見た。自分によく似た深緑の瞳が請うように真っすぐこちらへ向けられている。
優しい人なのだと思った。
優しくて不器用で、とても可哀想な人。
愛した女性と添い遂げることも叶わず、妖精王としての責務から逃れることができない。
そして、ただ一人の娘も、このまま永遠に別れることになるかもしれないのだ。
麗良の脳裏に、ラムファと一緒に過ごしたこの一か月程の記憶が走馬灯のように浮かんだ。
初めて会った時、幻想的な花畑の中で悪魔のような魅惑的な笑みを浮かべながら立つ姿、
突然自宅に現れた時、車に轢かれそうになったところを助けてもらったこと、
植物園で拳銃を持った男たちを相手に一歩も怯まず立ち向かっていった広い背中、
百貨店で一緒に胡蝶への贈り物を選んだこと、
毒を飲んで倒れた青白い顔、
マヤの家まで麗良を助けに来てくれた時の怒った表情……
そして、いつもラムファが自分に向けてくれていた、愛情あふれる眼差しに麗良は気付いていて、気付かないふりをしてきた。
本当はずっと昔から焦がれていたものが今、手を伸ばせば届くところにある。
麗良は、息を吸った。そうすることで、慣れ親しんだ庭の植物たちから勇気をもらえる気がした。
「私、あなたと一緒に《妖精の国》へ行く」
ラムファの目が大きく見開かれた。半ば断られることを覚悟していたのかもしれない。その深緑の瞳が涙の膜に覆われるのを見て、麗良は、自分の答えが正しかったと判った。
「死ぬのは怖い。
実感はないけど……でも、だから行くんじゃない。
あなたに言われたからでも、青葉に気持ちを受け入れてもらえなかったからでもない」
麗良は、話しながら自分でも何故行くことを決めたのか、よく分からなかった。ラムファに見せてもらった《妖精の国》の光景を目にした時、そここそが自分の本当の生きる場所なのではないかと感じた。
それ以来、ずっと心の奥底にある目に見えない何かがそれを呼ぶのだ。逃げるのではなく、ただそこへ行きたいと本心から思っていた。
「私は、私の運命から逃げたくない。だから行く。
誰でもなく、私が決めた」
それに、マヤのこともある。麗良を人質にとってまで鍵を取り返したかったマヤの想いを想像すると、胸が締め付けられる想いがする。マヤが帰りたかった《妖精の国》を麗良も自分の目で見て、そして、消えてしまったマヤの気持ちだけでも一緒に持ち帰ってあげたい。
それでいい、と麗良が確認するように目で問うと、ラムファは破顔して笑った。
次の瞬間、麗良は、ラムファの広い胸の中にいた。ずっと焦がれていたものに包まれる幸福感と安心感を麗良は生まれて初めて感じていた。
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