6-2. 青葉
麗良は驚いて、思わず足を止めた。そんな話は今まで一度も聞いたことがない。
「え、心臓って……もしかして、今も?」
青葉も足を止めて麗良を振り返ると、明るい様子で否定して見せた。
「今はもう平気。
手術をして治ったから、普通に生活する上では何の問題もないよ」
それを聞いて、麗良がほっと胸を撫でおろす。話を聞いても何だか実感がわかない。
今目の前にいる青葉からは、病気の影など微塵も感じさせないほど健康に見える。
「でもね、病気だった頃の僕は、外で自由に走り回れない自分の身体が疎ましくて、お見舞いに来てくれた同級生たちにも辛く当たっていた。
彼らは何も悪くないのにね。
毎日イライラしては、何かに当たり散らしてた。
有難いことに、手術をすれば助かる病気だったから、お金と、ほんの少しの勇気さえあれば良かった。
お金は、父のものだけど……心配する必要はなかったからね。
問題は、僕の心の問題だったんだ」
そんな青葉は想像できないというように、麗良は恐る恐る訊ねた。
「怖かったの? 手術をするのが」
それもあるけど、と青葉は言葉を探すように視線を宙に泳がせた。
「自分の人生は一体誰のためにあるんだろう、ってずっと考えてたんだ。
何の申し分もない環境を与えられておきながら、身体だけが不自由で、家の跡取りとしては兄がいたから、父は次男の僕に興味も持っていなかった。
別に僕なんかどうなったって誰も困らないんだって、変に捻くれてたんだよね。
今思えば、幼い子供が親の関心を惹きたくて問題を起こしていただけなんだろうけど……あの時の僕は真剣だった」
麗良は、青葉の言おうとすることが何となく解る気がした。
自分もまた、似たような態度を良之にとった覚えがある。
「そんな時にね、病室の一角に生け花が飾ってあるのを見つけたんだ。
それまで全く気付きもしなかったんだけど、他の患者さんたちが話をしているのが聞こえてきてね」
その時の光景を思い出しているかのように、青葉は目を閉じた。
何の花だったかはもう覚えていない。
ただ、綺麗ね、とその患者は生け花を見て言った。
自分と同じように身体が不自由で外を走り回ることのできない人たちだった。
それなのに、まるでそこに病気の影など微塵も感じさせない顔で笑っていたのだ。
「……たったそれだけのことだけど、僕は何故か妙に感動したんだ。
たかが花なのに、こんな誰も見ていないような病室の隅っこに飾られていて、それを見て笑顔になる人がいて……しかも、そこに花を飾った人は、きっと誰かがそれを見て笑顔になってくれたらと思って花を生けたんだ。
そんな慎ましやかな人の存在がいることに僕は衝撃を受けた」
麗良は、じっと黙って青葉の言葉に耳を傾けた。
青葉は続けた。
その後、僕は手術を受けた。
自分にも誰かを笑顔にさせる存在になれるのではないかと思ったのと、そんな慎ましやかな人の生き方に対して失礼だと思ったからだ。
手術は成功して、僕は健康な身体を得ることができた。
そして、それからは、父の言うことにも素直に従って勉学に励み、大学を出てからは、父の仕事も必死になって覚えようとした。
自分にも何か役に立てることがあるんじゃないかと思って、必死だったんだ。
でも、父はやはり僕を見てはくれなかった。
やっぱり僕なんかに価値なんてないんだと、そう思い始めていた頃、先生の生けた花に出会った。
それは、父に連れられて行った料亭に飾られていた、梅の大木の一部を切り取ったものだった。
僕はそれを見て、こんなに立派な梅の木を切ってしまって良いんですか、と店の人に聞いたんだ。
すると店員は、困った顔で答えに詰まってしまった。当然だ。
その店員が生けた花ではないのだから。
でも、僕は何故だか無性にいじわるな気持ちになって、その店員に言ったんだ。
この梅の大木を殺した犯人を僕の前に連れて来てくれと。
そして、現れたのが花園 良之だった。
僕が店員にしたのと同じ質問を繰り返すと、彼は言った。
――梅の木は、あまりに育ちすぎると、自身の枝の重みに耐えきれず、
ぽっきりと枝が折れてしまい、枯れてしまうのです。
だから、逆に枝を切ってやることで、幹に栄養がいき、切り口からは新しい芽が息吹き、梅を生き返らせることができる――と。
「僕は、それを聞いて、何も言えなくなってしまった。
何も知らない若造が偉そうなことを言って、完全に閉口させられたんだ。
ただ恥ずかしくて俯く僕を見て、父は笑った。
でも、先生がそれを見て言ったんだ」
――人間も植物も、同じ自然の一部なのだと私は思います。
確かに我々華道家は、生きている花や植物の命を奪っている。
そのことを否定はしません。
ですが、人間が手を加えることで生き延びる命もある。
それは、人間と植物が共に生きてきた長い歴史を見ても言えること。
我々は互いに影響を及ぼし合いながら生きている。
しかし、それは、相互に互いをよく見て意識しているからこそ成り立つ関係なのです。
今日、そのことをそちらのご子息は学ばれた。
とても意義のあるご質問だったと私は思います。
その芽を見ようともせず、知らないままに踏みつぶしてしまわぬよう、どうかお心に留めおきください。――
「そう言って平服した先生に向かって、僕の父は、不敬だと言って罵ると、もう二度とこの店には来ないと言って料亭を出て行った。
でも、僕は、先生の言葉がずっと頭から離れなかった。
そんなことを僕に言ってくれる人は、それまで周りに誰もいなかったんだ」
麗良は、その時の良之の様子が目に浮かぶようで、青葉と顔を見合わせて笑った。
「それで僕は、家を飛び出して、先生の弟子にしてもらうよう頭を下げに行った。
父からは勘当されたけど、それは覚悟の上だった。
でも、後悔はしていないよ。
先生は、本当に尊敬できる素晴らしい華道家だ」
そう言って青葉は、眩しいものを見るような目で母屋の方を見た。
その横顔は、麗良のよく知る青葉のそれで、見ているだけで胸が締め付けられた。
気が付くと、自然と気持ちが口を突いて出ていた。
「私、青葉のことが好き」
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