4-8. スズラン

 お茶を入れましたよ、と依子に呼ばれて、麗良とラムファは、家の中へと入った。ダイニングテーブルの上には、ティーポットとティーカップが二つ、お茶菓子が添えて置いてある。

 椅子に座って、ポットからカップにお茶を注ぐと、紅い液体が暖かな湯気を立てた。ラムファが先に一口カップから紅茶を飲む。

 麗良は、一緒に依子が用意してくれていた蜂蜜をカップに注ぐと、ティースプーンでそっと混ぜた。麗良がカップを口に運ぼうとした時、隣でラムファのうめき声が聞こえた。

 何だろう、と麗良がラムファを見るよりも先に、ラムファが叫んだ。


「飲むなっ」


 同時に、麗良が手にしていたカップを掴むと、乱暴に机の上へ置く。がちゃんと音を立ててカップから紅茶が零れた。

 ラムファは、真っ青な顔をしている。何が起きているのか分からず混乱する麗良の前で、ラムファは自分の胸を掴むと、キッチンへ水を飲みに行こうとしたのか、椅子からずり落ちるように床に倒れた。


「ちょ、ちょっと何……どうしたのよ、ふざけてるの?」


 半信半疑のまま麗良がラムファに近づくと、ラムファは苦悶の表情を浮かべて倒れたまま動かない。

 ふいにその光景に既視感を覚えた。

 ラムファの姿がマヤの倒れた姿と重なって、頭が真っ白になる。


 何をどう叫んだのかは覚えていない。ただ気付いた時には、傍に良之がいて、ラムファに何かを話しかけていた。

 しかし、ラムファは死んだように動かない。


 依子が救急車を呼ぶと叫んで、玄関先にある電話台へ向かう足音が聞こえた。

 麗良は、ただ茫然と、その光景を別の世界から見ているような感覚で立ち尽くしていた。


 麗良の視界に、黒い着物が目に入った。クチナシの花柄をあしらった着物に白い帯がまるで喪服のように見える。

 胡蝶だった。

 自室から決して出ることのなかった胡蝶がダイニングに居ることは、まるで現実味がなく、麗良は、夢を見ているかのような心地で胡蝶を見つめた。


「あなたが悪いのよ。

 、私を置いて、一人きりにするから……」


 そう言った胡蝶の手には、スズランの花が握られている。

 スズランは、その可愛らしい見た目とは裏腹に、コンバラトキシンという強心配糖体を有する恐ろしい毒草でもある。スズランを挿していたコップの水を飲んだ子供が亡くなった例もある。


 紅茶を一口飲んで倒れたラムファ。

 そして、倒れる前、麗良に飲むなと言った。

 つまり、紅茶の中に何か毒物が入っていたということだ。


 まさか、胡蝶がスズランの花を紅茶のポットに入れたのだろうか。

 スズランは、どの部位にも毒を含んでおり、特に花と根に多く毒が含まれているので、ポットに花一つを入れただけで十分な致死量となる。

 良之が真っ青な顔をして言った。


「胡蝶……お前、まさか……記憶が戻ったのか」


 良之と麗良が見つめる中、胡蝶は、突然気を失って崩れ落ちた。

 それを傍に現れた誰かが支えた。マヤだった。

 紫陽花の柄をプリントしたワンピースを身に着けて、涼やかな顔で胡蝶の顔色を伺うと、そのまま優しく床に胡蝶を寝かせた。

 目を開けない胡蝶の白い顔を見て、良之が顔を青くする。


「まさかお前、自分で毒を……」


 ラムファに飲ませたスズランの毒を自分も口にしたのでは、と疑った。胡蝶に駆け寄る良之にマヤが優しく言った。


「胡蝶さんは大丈夫。気を失っているだけですわ」


「マヤ、あなたどうしてここに……」


 そう問いかけて、麗良は、自分がマヤの家に置手紙をしてきたことを思い出した。きっとその手紙を見て、電話ではなく直接ここへ尋ねて来てくれたのだろう。


 マヤは、麗良の考えていることが分かるかのように無言で微笑んで見せると、今度は、ラムファの方へと近寄った。

 その背後から依子が困惑した表情で戻ってくるのが見える。


「おい、救急車は呼んだのか」


 良之が焦った口調で依子に問う。こんなに切羽詰まった祖父の姿を麗良は初めて見た。


 しかし、依子は当惑したように首を横に振る。


「マヤ様が、救急車は呼ばなくて良いと。自分が何とかするからと……」


 マヤは、皆が見つめる中、ラムファの傍に屈みこむと、白く細い腕をラムファの胸元に当てた。


 麗良は、その光景を前にも見たことがあった。

 マヤが倒れた時、ラムファがマヤにしたように、マヤの掌から暖かな光が溢れて、ラムファの身体の中へと吸い込まれていく。


 良之と依子の立っている場所からは、ちょうどマヤの身体が壁になって、手元で何をしているのかまでは見えないようだった。

 二人とも不安そうな表情でマヤの背中を見つめている。

 やがて、徐々にラムファの顔から苦悶の表情が消えていくのが分かると、二人ともほっと息をついた。

 何をどうしたのかは分からないが、とりあえずラムファが一命をとりとめたことは確かだった。


 マヤがふぅと息をついた。その表情は、少し疲れたように見える。


 振り返って、もう大丈夫、と言ったマヤに、麗良は青い顔をしたまま尋ねた。


「マヤ……あなたは一体……何者なの」

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