3-4. マヤ

 翌日、学校が終わると、麗良は、家へ帰ることなく直接マヤの家へ向かった。手には、昨日百貨店で買った文庫本が数冊入った紙袋を持っている。マヤが好きな作家の新作が出ていたので、きっとマヤは喜ぶだろう、と彼女の喜ぶ顔を想像して頬を緩ませた。


「ここが麗良のお友達のお家かい?」


 呼び鈴を鳴らそうとした時、すぐ傍でラムファの声がした。驚いた麗良は、変な声を出して飛び上がってしまった。学校の正門で待っていたラムファを見つけたので、こっそり裏門から帰ったのだが、いつから後を付けられていたのだろう。


「麗良がお世話になってるんだ。

 挨拶だけでもしておかないとね」


今すぐ帰って、と追い返そうとする麗良に、挨拶だけしたら帰るからとラムファが引かないので、本当に挨拶だけしたら帰ってよ、と念を押し、麗良は呼び鈴を鳴らした。


 しかし、いつまで待っても応答がない。マヤは、例え体調が悪くて眠っていても、ベッド脇に子機を置いてあるので、呼び鈴を鳴らせばすぐに出てくれる。

 もしかしたら買い物にでも出掛けているのかもしれない。出直そうかと考え始めていた麗良の耳に、水の出る音が聞こえてきた。庭の方から聞こえてくる。

 天気も良いので、マヤが庭で花壇に水をやっていて、呼び鈴に気が付かなかったのだろう。麗良はほっとしながら、庭の方へと回って行った。


 モッコウバラのアーチを潜ると、花壇の前にひらひらと風に揺れる黄色いスカートの裾が見えた。声を掛けようとした麗良の息が止まる。

 マヤは、地面に倒れていた。


「うそ……マヤ、マヤっ。

 どうしたの、起きて、ねぇ、マヤっ」


 思わず持っていた鞄と紙袋をその場に置き去りにして、麗良がマヤに駆け寄った。涙声になりながら呼び掛けるが、マヤは目を瞑ったまま動かない。

 傍には、出しっぱなしのホースの水が落ちていたが、マヤの身体は濡れていない。それなのに、マヤの身体は冷たく、顔には血の気がなかった。


「どうしよう……救急車を……」


 そう頭では解っていても、身体が震えて立ち上がることができない。

 その時、麗良の後ろから付いて来ていたラムファがマヤのすぐ傍で身を屈めたかと思うと、さっとマヤの身体の下に腕を入れて抱き上げた。不安げな表情でラムファを見上げる麗良に向かって、安心させるように笑顔を見せる。


「大丈夫。パパに任せなさい」


 そのままラムファは、麗良に家の扉を開けさせると、マヤがいつも眠っている寝室へと案内させた。

 マヤの家の中は、鉢植えに植えられた花や緑で溢れていた。窓際に鉢植えを飾る家庭はよくあるだろうが、廊下の脇にまで植木鉢を並べている家は、あまりないだろう。麗良がここを訪れる度に鉢植えは増えていくようだ。

 特に寝室には、足の踏み場もない程の鉢植えが床に置かれていた。

 ラムファは、それらの鉢植えを倒さないよう注意しながらマヤをベッドに寝かせた。

 マヤの顔に血の気はなく、まるで人形が眠っているように見えて、麗良はぞっとした。このままマヤが目を覚まさなかったらどうしようかと青い顔で見守る中、ラムファは、マヤの身体の上に両手をかざすと、そこに力を込めるように目を閉じた。

 一体何を、と麗良が訝しみながら見ていると、ラムファの掌から暖かな光が溢れ出す。光は、マヤの身体へと注がれてゆき、溶けるように消えていく。

 麗良が驚いて目を見開いていると、眠っているマヤの顔に少しずつ血の気が戻っていくのが見て分かった。


 麗良は、声をかけることもできず、傍でただ見守るしかなかった。


 やがて目を覚ましたマヤがもう大丈夫、と言うので、麗良は、何かあったらすぐに連絡して、と言い聞かせると、ラムファと一緒にマヤの家を後にした。


 外は、いつの間にか茜色から藍色へと変わる黄昏時を迎えている。

 麗良は、隣を歩くラムファの顔が茜色に染まっているのを横目で盗み見ながら、少し言いにくそうに口を開いた。


「その……ありがとう。マヤを助けてくれて。

 私、本当に……どうしようかと」


 麗良の視線が自然と足元へと落ちる。何もできなかった自分の無力さと、ラムファが居なかったらどうなっていただろうと考えると、身のすくむ思いがした。

 ラムファのことを自分の父親だと認めたわけではないけれど、悪い人ではないのだ。それは麗良にも解っている。


「あの、さっきのあれって……何をしていたの?」


 きょとんとした顔で首を傾げるラムファに、ラムファがマヤにしたことだと補足して伝えると、ああ、とラムファは何でもないことのように頷いた。


「ほんの少し、パパの〝気〟を分けてあげたんだ。

 人間で言う〝輸血〟みたいなものだよ。

 あまりたくさんはあげられないけど、これでしばらくは大丈夫」


 つまり、ラムファは自分の身を削ってマヤを助けたということなのだろう。そう言われて見ると、ラムファの顔が少し疲れているように見える。

 麗良は、何だかラムファに対して申し訳ない気持ちになった。


「その……私に何かできることはあるかしら」


 その言葉に、突然ラムファが足を止めた。

 麗良が不思議に思って振り返ると、ラムファは自然な動作で跪き、麗良の手をとりながら最愛の恋人に贈るような眼差しを向けた。


「僕とデートしてくれる?」


 その熱く真剣な眼差しに、麗良の心臓が音を立てて飛び跳ねる。まるで自分がお姫様になったかのような気がして、頬が熱い。

 父親相手に何を、と頭で言い聞かせるものの、ラムファの深緑を思わせる瞳から目を離すことができなかった。

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