3-3. 嫉妬

 青葉の部屋は、庭の離れにある。母屋からは渡り廊下を渡って行くことが出来るが、玄関先からなら直接向かった方が早い。


 靴を脱いで縁側から中へ上がると、手が塞がっている青葉に代わって、麗良が引き戸を開けた。普段から青葉は部屋に鍵をかけることはしない。泥棒に入られて盗まれるようなものはないから、という理由と、家の門を開けて敷地へ入って来ない限り、塀に囲まれた庭の中にあるここへは誰も入って来られないからだ。

 それに普段は、依子が家に居てくれるので、家に誰もいなくなるということは基本的にない。依子が買い物へ出掛けて家を空ける時には、必ず家の門に鍵をかけて行くので、ここは安全というわけだ。


 部屋の中は、畳と青葉の匂いがした。


 青葉の部屋を訪れるのは久しぶりだったが、ここへ来ると麗良は、いつも何故か物悲しい気持ちになる。中は、十畳ほどの和室が2つ、襖で縦に仕切られており、奥側の和室には、トイレとお風呂が付いているため、基本的に食事以外の生活はここで過ごすことができる。

 青葉がここへ越してくる前までは、良之が他の客を泊まらせるのに使ったり、生け花教室を開いたりするのに使っていたのを麗良も薄っすらと覚えている。

 青葉がここで暮らすようになってからは、公共の施設を借りて週に何度か教室を開いているようだが、良之が家で自分の仕事について話すことは少なく、麗良も特に聞くようなことはしないので、詳しいことは分からない。


 青葉は、持っていた段ボールを畳の上に置くと、麗良が持っていた花材を受け取って、机の上へと置いた。そこには、花を生ける時に使う花器と剣山が幾つも置かれている。


「麗ちゃん、久しぶりに生けてみる?」


 青葉に聞かれて、麗良は、自分がいつの間にか花器をじっと見つめてしまっていたことに気が付いた。

 一瞬、戸惑った表情を見せる麗良に、青葉が優しく微笑みかける。麗良の胸がきゅっと震えた。青葉の笑顔は、いつも麗良の心を素直にしてくれる。


「……いいの? だってこれ、今度の花展で使うんじゃ……」


「そんなこと気にしなくて良いよ。

 正直ここのところ良いイメージが沸かなくて……久しぶりに麗ちゃんの生けた花を見られたら、僕も嬉しい」


 麗良は、久しぶりに自分の中で気持ちが高揚するのを感じた。花材たちを見ているとイメージが溢れてくる。そこで机の上に乗っていた花器の中からぴんとくるものを選ぶと、その前に正座した。


 ぴんと背を伸ばして、選んだ花と向き合う。何年ぶりだろうか、と思いを馳せながら花へと手を伸ばした麗良の耳に、ふいに良之の言葉が聞こえた気がした。


『花と向き合うことは、自分と向き合うこと。

 生けた花は、その時の自分の心を表すのだ』


 あの時は、まだ幼くて、祖父の言葉の意味を理解せず、無邪気に花を生けて遊んでいた。でも、今は――。

 麗良がしんと静まって動かないのを心配した青葉が顔を覗くと、麗良は、ぱっと頬を朱に染めて、弾かれたように立ち上がった。


「私、宿題しないといけないの、忘れてた」


 麗良は、青葉の顔を見ることなく、縁側へと出ると、靴を履いて母屋へと駆け戻った。外は既に薄暗く、ひんやりと冷たい空気に紛れて、湿気を含んだ新緑の匂いがした。

 視界の端に、胡蝶の部屋から漏れる灯りが見えた。そう言えば最近、ラムファから逃げるのに必死で、胡蝶の顔を見ていないことに気が付く。

 同じ屋根の下に暮らしているとは言え、胡蝶が自分の部屋から出てくることはないので、麗良が彼女に会うのは、いつも決まって日の当たる縁側だけだ。


 ラムファは、やはりまだ胡蝶に会ってはいないのだろう。


 そう思うと、麗良の胸に苦いものが広がっていくようで、麗良は、胡蝶の部屋の灯りから目を背けた。

 胡蝶は、いつだって麗良に優しくしてくれる。それでも、一緒に居て彼女の瞳が娘である麗良を本当の意味で見ていたことなど一度もない。


 もし、ラムファと胡蝶が再会して、二人の関係がうまくいったら、青葉はどうなるのだろう、と思った。何となくずるい気持ちが自分の中に芽生えていくことに、麗良は罪悪感を感じた。


 青葉が胡蝶にフラれたからと言って、麗良のことを見てくれるという保証もない。欲しいものはすぐ目の前にあるのに、いつも届かない。声を上げることすら叶わない。麗良にとって、決して手に入らないものが目の前にあり続けるのを見るのは、ひどく疲れるものだった。


(マヤに会いたい……)


 そんな時にいつも麗良の心を癒してくれるのは、親友のマヤだけだった。彼女にだけは、麗良は自分の心を何でも打ち明けられたし、そんな麗良の気持ちを理解し、全て受け止めてくれるのもマヤだけだ。

 明日、学校が終わったら、今日買った本をマヤに渡しに行こうと麗良は思った。

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