2-6. 謎の追手

 麗良は、男たちに捕まることなく無事に針葉樹林を抜けると、植物園の入口へと向かっていた。背の低いあかりの手を握っているので、全力では走れなかったが、案内所の看板が見えた時、助かったと思った。

 後ろを振り返ると、黒服の男たちがちょうど林の中から出てくるところだった。そのまま道を横切り、案内所へと駆け込もうとした麗良の前に、突然黒服の男が立ち塞がった。どうやら他にも仲間が居たらしい。

 背後からは、先程の黒服の男たちがこちらへと向かってきている。


 麗良は、案内所へ行くことを諦めて、園内へ再び戻ることにした。ポピーやベコニアが植えられた大花壇を抜けて、温室の入口へと向かう。後ろから黒服の男たちが追い掛けてくるのがちらりと見えた。

 途中、行き交う人たちに大声で助けを求めたが、誰も麗良たちに気付く様子がない。


(おかしい……こんなの、まるで私たちの姿が見えなくなっているみたい)


 追い掛けてくる男たちも同じように誰からも見えていないようだった。誰もがそこに誰もいないかのように何事もない顔をして通り過ぎていく。信じたくはなかったが、何か目に見えない不思議な力が働いているとしか思えなかった。

 そして、そんな力が使える人物を麗良は一人だけ知っている。


(今度は、無理やりでも私を連れて行こうっていう気なのね。最っ低―だわ)


 こちらの気持ちなどまるでお構いなしという扱いに麗良は心底腹が立った。後ろを振り返ると、黒服の男たちは先程よりも数を増して追い掛けてきている。ぱっと見ただけでも十人、二十人はいるだろうか。助けが期待できないとなると、自力で逃げ切るしかない。

 せめてあかりだけでも無事に父親の元へ帰してあげないと、と思ってあかりを見ると、ぜいぜいと苦しそうな顔で息をしている。


「お姉ちゃん、もう走れないよ……」


 ここまで休むことなく走り続けてきて、身体の小さなあかりには体力の限界だった。これ以上走るのは無理だと麗良は判断し、このまま外を逃げ続けるよりもどこかに身を隠すのが先決だと考えた。

 咄嗟に目の前に見えた温室の扉へ駆け寄って中へ入ると、どこか身を隠す場所はないかと探し回った。むわっとした空気がべたついた肌に心地悪い。

 お昼時だからだろうか、中には他に人の姿が見えない。麗良の視界に、大きなショクダイオオコンニャクが目に留まった。あれでは目立ちすぎると頭を横に振り、通路を進んだ先にある熱帯雨林のコーナーで、ガジュマルの木と下草の影に身を隠すことにした。

 あかりを地面に座らせて少し休むように言い、自分もその隣に腰かけて息を整える。湿度の高い熱気を孕んだ空気で肺が満たされると、余計に息苦しさを感じたが、しばらくここに身を隠してやり過ごすしかない。


 身を潜めてすぐに誰かが温室に入ってくる気配がした。他の客か黒服の男か、ここからでは見えない。足音の様子から、走ってこちらへ向かっているのが解る。

 反対側からも同じように足音が聞こえてきた。やがて二つの足音は、麗良たちのすぐ近くで止まった。

 麗良は、息を堪えて、あかりの肩を抱えるように小さくうずくまった。


――いたか。

――いや、いない。そっちはどうだ。

――こっちもいなかった。温室に入って行くのは見えたんだが……他の場所を捜してみよう。

――他の客はどうした。姿が見えないが……。

――ああ、さっき清掃中の札を出しておいた。しばらく誰も近づかないさ。


 そう言って話す声が聞こえた後、二つの足音は、どこかへと去って行った。

 ふぅ、と麗良が詰めていた息を吐くと、あかりが不安そうな顔でこちらを見上げていた。


「大丈夫よ、大丈夫。絶対に、あかりちゃんをお父さんに会わせてあげる」


 安心させようと笑って見せたが、内心では、どうしたものかと悩んでいる。

 まさか自分の娘に危害を加えるようなことはしないとは思うが、このまま無理やり知らない国へ連れて行かれるのだけは絶対に御免だ。

 父親というのは皆、こんな勝手な真似をする生き物なのだろうか。


「あかりちゃんのお父さんって、どんな人なの?」


 麗良は、少しでもあかりの不安を取り除こうと尋ねてみた。気まぐれに沸いた好奇心も少しだけある。これまでは、同級生の父親の話さえ聞きたいとは思わなかった。

 あかりは、うーんと、うーんと、……と、どう言葉にしようかと考えながら、自分の父親のことを話してくれた。


「カッコイイ時もあるし、かっこ悪い時もあって、

 お料理は、あんまり上手じゃないけど、

 いつもあかりと弟のために、毎日お仕事がんばってくれてるんだって、

 おばあちゃんが言ってた」


 幼い声で大人びたような口調で話すあかりが可愛くて、思わず麗良はくすりと笑みをもらした。お母さんは、と麗良が尋ねると、あかりは少し声のトーンを落として、死んじゃったの、と答えた。


「お母さんが死んじゃってから、お父さん、あんまり遊んでくれなくなったんだけど、最近は、また一緒に色んな所へ連れて行ってくれるようになったんだよ」


 そう嬉しそうに話すあかりの表情には、母親がいない影などまるで感じない。それだけ父親の愛情が深いということだろう。

 麗良は気が付いたら、素のままの表情で、あかりに向かって呟いていた。


「お姉ちゃんもね、お父さんいないんだ」


 その時、再び足音が聞こえてきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る