社長×太宰短編集

わたちょ

大切なもの


「いい加減にしろ!!」

 響き渡った怒声に探偵社員たちは皆一様に萎縮し身を竦めた。そして恐る恐る声が聞こえてきた方向を見る。目に入ったのは壁に手をつき至近距離で太宰を睨み付ける福沢の姿。あまりの迫力に半径三メートル以内に人は一人もいない。誰より目のいい敦でなくとも、福沢が手をついている壁に大きな皹が入っているのがみえていた。

「何度言えばお前は理解するのだ!! そういう方法を使うのはやめろとあれほど念を押しておいたであろうが!!」

 言葉がビリビリと空気を震わせる。その怒りを向けられている訳ではないものたちですら直接肌を刺されたような激しい痛みを感じていた。それを直に向けられる太宰は相当怖いのではと怒らせたのは彼とはいえ少し心配して周りが見た。だが太宰はそんな周りの心配とは裏腹にケロッとしていた。

「ですがこちらの方が効率がよいのです。今回の件は早めに必要な情報でしたし、この情報があれば」

 それどころか反論すら口にする太宰に周りが青ざめる。太宰が一言一言話すたびにその周囲所か武装探偵社全体の温度が下がり、びりびりとしたものが広がっていく。それが錯覚でないと思えるのはみしりみしりと音をたてる壁のせいだった。

 数分前に用事を思い出したと言って出掛けていた乱歩をみんなが思い浮かべた。思い浮かべ避難警告のひとつでも出してから逃げてほしかったと全員が思った。

 空気が一際大きく震えた。窓すら震えていた

「ふざけるな!! 何が効率だ! 一つの情報を得るのに無駄な対価を払いすぎている!いくら時間が早くすもうとそんなもの無駄でしかない! そんな方法で得た情報などに何一つ価値などない! 何故それがわからん!!」

 怒号の最中、置物であった花瓶がぐらりと揺れた。近くにいた国木田が咄嗟に手

てを伸ばし大惨事を防ぐ。その国木田は目を白黒させていた。周りも同じようなもので福沢を凄いと思えばいいのか、国木田を凄いと思えばいいのかと訳の分からないことを考え出すものもいた。

 一方太宰の方も目を白黒させて福沢を見ていた。首をかしげる。

「どれだけ短時間で情報を集められるかと言うのは大切なことですし、何よりとても安いもので素晴らしい情報が手に入ったと思いますが。殆ど価値の「黙れ!!」

 ばりんとガラスの割れるような音が響いた。思わず振り返ると窓のいくつかに皹が入っていて…………

「まあ、壁が壊れないだけ良かったんじゃないかい」

 冷や汗を垂らしながら与謝野が言ったのにそうだと思うしかできなかった。

「もういい。お前とは何を話しても無駄だ」

 深い諦めを含んだ声が福沢から落ちた。絶望を孕んだような声にピクリと太宰が震える。踵を返す福沢に社長と太宰が声をかけた。

「呼ぶな」

 ぴしゃりと声が叩きつけられた。

「暫くお前とは口をききたくない」

 ひゅっと息を飲み込む音がする。ぎょっと周りが目を見開く。社長。細い声が再び名前を呼んだが福沢がそれに答えることはなかった。


  ~~~



「あ、…………あ、のゆ」

 太宰が何かを言おうとして言葉を途切れさせる。声をかけようとした人物、福沢は太宰を見ることもしなかった。太宰から見えるのはその背中だけだ。

「ゆ、ゆき」

 ちさん。小さな声が名前を呼ぼうとして呼べずに消えていた。

 太宰と福沢が付き合いだしたのは数年前。付き合いだした当初から福沢の家に半同棲していた太宰が取っておいた寮の部屋を引き払ったのは付き合いだして三年たった頃だった。それをやめておけば良かったと今になって太宰は思う。取っておけばこんなときに逃げられたのにと。

 ことりと膳の置かれた音がした。見上げれば二人分の膳が机の両端それぞれ離れた位置に置かれていた。太宰の目が歪む。

 探偵社で言い合った後から福沢は太宰と一切の口をきいていなかった。いつもは共に帰るのにそれも気づけば先に帰っていて、太宰が帰ってきても掛けられる言葉もない。それ所か福沢はまるで太宰などいないかのように視界にすらいれることをしなかった。普段は隣か向き合う形か太宰の気分で選ばせてくれる夕食の席も聞いてくることなく不自然に離れた位置に置かれる。

 作ってもらえただけましか。

 そう思いながらも太宰は動けないでいた。黙々と一人食べる福沢を色をなくした目で見つめる。気付いている福沢は太宰を見なかった。


 その後も一日福沢は太宰と口を利かなかった。


 ゆらりと太宰は立ち上がった。真っ暗な部屋。今が何時なのかすら分からなかったが、既に福沢は寝室へと寝にいっていた。太宰もそちらに足を向ける。ふらふらとした足取りで進んでいく。

 襖の前で立ち止まり、その腕がさ迷う。開けようとして開けられない。

 太宰は福沢と喧嘩したことすら今までなかった。言い合うようになったようなことすらない。太宰のわがままを大抵福沢は許したし、福沢が太宰の嫌がることをすることもない。怒られたことは何度かあれどいつも福沢は仕方ないかと許してくれた。

 今回みたいになったのは初めての事だった。

 恐らくもなにも、悪いのはすべて太宰であることを太宰はわかっていた。何度も同じことを怒られやめろと云われてきていた。そんなことをするなと険しい目で見つめられ…………、それでもやめなかった太宰がきっと悪いのだ。

 だけど、だけど…………。太宰にはわからないのだ。何故福沢が怒るのか。何度止めろと云われ間違っていると云われ、その理由を長時間説明されようとも太宰には己が間違っていることを知っているとは思えないのだ。

 帰る前にみんなに云われたことを思い出す。

「何をしたか知らんがちゃんと謝れよ」「大丈夫です。謝ったら許してくれますよ」「謝りゃ許してくれるから謝りなよ」

 そうしたら大丈夫。許してくれるからと明らかに凹んでいる太宰にかけられた言葉。たぶんそうなのだと思う。

 何だかんだで太宰に甘いのが福沢であるから、きっと謝ればどれ程怒っていても許してくれる。

 だけど…………どうして謝れば良いのか分かっていないのだ。

 迷うようにさ迷った手がふすまに触れる。ゆっくりと開けた隙間から銀の色が覗いた。奥を向いているその背を見つめる。横になってはいるが起きているのは気配でわかった。震える足が前に出た。

「諭吉さん」

 ささやくような声が福沢の名を呼ぶ。振り替えることはない。

「ご、ごめ…………」

 ごめんなさいと言おうとして言葉が喉につまった。どうしてもその言葉が言えなかった。

「諭吉さん」

 見て、こっちを見てとか細い声が乞うが福沢は横を向いたまま動くことなかった。太宰の肩が震えた。青白い手が触れようと伸びて触れることを恐れた。

 その手を拒まれ、振り向いた福沢が太宰のことをもう嫌いだと口にしたら…………。

 嗚咽が漏れ、瞬間的に太宰は離れた。立ちあがり覚束無い足でその場から逃げようとした。

 ぱしりと太宰の手が熱い手に掴まれた。見開いた目。ひっと怯えた声が上がったときには太宰は福沢のしたにいた。

「何処へ行く」

「離して、話してください!!」

 低い声が太宰に問う。その問いは太宰には届いていなかった。望んでいた目が太宰を見、望んでいた手が太宰に触れるのが、途轍ないほど怖かった。離して、離してと繰り返す

「太宰」

 福沢の声が聞こえるのに首を強く降る。その声を聞きたくなかった。その声から拒絶の音を聞くのが嫌だった


「離して!! 貴方に嫌われたら私にはもういきる価値も「ふざけるな!!」

 太宰の声が闇と共に怒号にかき消された。怒りに染まった目が太宰を見る。太宰の喉がひゅっと鳴った。激しい怒りを抱いてた目はすぐさま苦しげなものにかわっていく。震える太宰を福沢は抱き締めた。

「どうして、」

 震えた声が落ちた。太宰のものではない。福沢のものだ。

「どうして、…………私は何よりお前を大切に思い、何よりも愛して大事にしているのに、どうしてそれがいつまでも伝わらない。私にとってお前は何にもかえがたいたった一人なのに、どうしてお前のなかでお前はいつまでも価値のないままなんだ」

 太宰を抱き締める福沢の腕が小刻みに震えていた。泣いているような声にどうしていいかわからず太宰は固まる。福沢の銀灰の目が太宰を見つめる。濡れているように見える目は悲しげに歪み太宰のもとに近付く。

「太宰。私はお前が好きだ。とても大切に思っている。だからお前には傷付いて欲しくないのだ。分かってくれないか」

 苦しみながらも慈しみを込めた声が一つ一つ言葉を紡ぐ。愛しいとその目も声も伝えてくる。分かると思いながら、知っていると思いながらもだけど太宰は首をかしげる。

 分からないと震える声が出る。

「だって私は傷付いてなどいないもの」

 見開いた目が涙を溢した。首筋に福沢の息があたる。肩口に頭を埋めるのを太宰は呆然と見つめて

「だって、本当に傷付いてなんていないんですよ。あんなの目を閉じればすぐに終わる。なにも特別なことじゃないんです」

 太宰の平坦な声が言う。震えた肩。

「では、」

 圧し殺した声が太宰に問いをかける。

「お前はそれを他の者にも言えるのか。敦や鏡花、国木田に谷崎、与謝野と言った者にも言えるのか。奴等にお前がしていることと同じことをしてこいと言えるのか」

「それは…………」

 太宰の声が戸惑い揺れる。

「言えぬだろう」

 それを鋭い声が責め立てた。戸惑った目が福沢を見つめる。

「でも彼らと私では価値が「同じだ! お前とやつら何一つ違わん! いや、私から見たら…………、社長として上に立つものとして間違っていると分かっていても、それでも言うが私にとってお前の方がずっと価値がある」

 太宰の目が大きく見開いてそれから揺れた。途方にくれた子供のようにゆらゆら揺れた。でもとくちにする。

「私はなれてます。今さらその行為に何かを思ったりしない。勿論貴方とするのは例外で心地よく感じますが、でもそれ以外は全部同じです。全部同じでただの雑事です。虫に刺されるようなものです。それぐらいのことで貴重な情報が獲られるならば幾らでもやります。情報一つで幾らでも状況は変わるのです。それを考えればとても安い買い物なのではないですか」

 ほぅと福沢が吐息を漏らした。水分をたぶんに含んだそれは闇のなかに重く消えていく。熱い指先が冷たい頬に触れた。濡れたままの目がさらに水気をまし見つめる。

「ならば太宰。なぜお前はいつもお前は私に甘えてくるのだ」

 優しさを含んだ声が聞く。えっと声がもれた。

「気付いてなどいないのかもしれないが、そう言うことの後、はお前はいつも私に甘えてくる。いつもよりずっと近くにいることを望むし、くっついてくることが多い。私に触れる手はいつもよりずっと強いし、私の名をいつもより多く呼ぶ。私が少し離れるだけで悲しそうな顔をして、私が触れればいつもよりずっと嬉しそうな顔をする。

 それはお前が傷付いて癒されたいからではないのか」

 福沢が柔らかな声で話す間、ずっと戸惑った声が太宰から落ちていた。何度もまばたきを繰り返しながら見つめては信じられないと言わんばかりに首を横にふる。

「太宰。お前は傷ついているんだ。なあ、傷付いているんだ」

 分からせるように繰り返し言葉にする。刻み込むように口にする。頬に触れていた手が肌を辿り胸の辺りに触れた。

 傷付いているんだ。

 ゆっくりと降り注ぐ言葉に太宰は今だ子供の顔をしていた。とても不思議なことを言われ理解することのできない子供の顔を。

 福沢が太宰を抱き締める。

 分かってくれと耳元で泣きそうな熱い声が懇願した。

「お前には価値があるし、何でもないことでもない。お前は傷ついているんだ。これ以上私の大切なお前を傷付けないでくれ。

 もう耐えられないんだ。お前が傷付くのを見るのが耐えられない。私がおかしくなりそうだ」

 悲壮な声が訴えてくるのに腕のなかで太宰は身じろぎをした。その両腕が福沢を掴もうとして、掴めない。頷こうとして頷けず、迷った末にこつりと福沢に額を押し付けた。

「ごめ、………………………ごめんなさい」

 長いこと悩み、飲み込み、何度も喉につまらせながら、迷って絞り出すように声が落ちた。返ってくる言葉はすぐにはなかった。かわりに抱き締める力が強くなった。


 ◯



 にゃーと聞こえる猫の声、開いた襖から覗く朝の気配。福沢が目覚めたときすでにいつもより半刻ほど遅い時刻であった。しまったと思い起き上がろうとした福沢の動きを何かが制する。

 それは福沢の腕の中で眠っていた太宰であった。胸元を掴む太宰の手はぎゅと固く握られており離れそうにない。それをみて昨夜のことを思い出した福沢は重い吐息を吐き出した。布団のなか横になりながら再び太宰を抱き締める。福沢にすがるようによってくる太宰にすまなかったと声が落ちた。


 人一倍臆病で寂しがり屋であることを知りながら昨日は太宰に酷いことをしてしまった。反省しながらそれでもお前も悪かったのだと口にする。何時までもわからないから。

 ぎゅっと抱き締めた太宰がすりりとすり寄ってくる。それを愛おしく思いながら福沢は今日の予定を思いだし、そして後で連絡をいれることを決めた。

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