第35話 金50

恐らく店名であろう看板の付いた扉を開けると、来客を知らせる美しい鈴の音色が店内へと鳴り響く。

三人が足を踏み入れた店内には、客はおろか店員と思しき者すらもおらず、閑散としていた。


「ふむり。誰もおらんのぅ」


「隣で作業をしているのでしょうか」


「遅めの朝食じゃないッスか?」


店の奥、二階部分はどうやら居住スペースとなっているらしく、恐らくは食事中なのではないかというのがエイルの予想であった。三人が困惑していると、すぐに店の奥から何かを蹴散らすような音と、急ぎ走るような足音が聞こえてくる。どうやら来客の鈴はきちんと届いていたようである。


「───痛ッ!!ああもう、またこんなとこに色々置いてるし!通路に物置くなっていったじゃない!!」


奥からは店主のものであろうか、何やら悪態をつく声が聞こえてくる。

一体どのような店主が出てくるのかと、ユエ達は店内の居住スペースへと繋がっているであろう扉を見つめた。


「厳ついムキムキのオネエじゃな」


「随分と高い声でしたよ?少女ではありませんか?」


「口調からして、店のお手伝い系幼女ッスね」


それぞれが好き勝手に予想を行い、三人の予想が出揃ったところで答え合わせとなった。


「すみませんお待たせしました!いらっしゃいませ!」


急いだ様子で騒がしく扉を開け、ようやく出てきたのは女であった。

歳は十六くらいだろうか。大人と呼ぶにはまだどこか幼さが残るが、さりとて子どもと呼ぶにはいささか大きすぎる胸の膨らみ。作業着の上から前掛けを着た、人間種の少女である。


「これは・・・姫様が一番近かったッスね。さ、飴を食べるッス」


「やりました。では、私はこのアウレの実味を頂きます」


「普通のもあるんスか!?じゃあさっきのは何だったんスか!」


「草です」


「知ってるッス!!」


アウレの実とはアルヴ周辺で多く採れる、一般的な果実である。

高い樹の上部になる赤い実で、食べれば上品な甘酸っぱさが口に広がる、エルフにとってはありふれた食料である。また他種族にも人気があり、それほど高い値段ではないが国外へと輸出も行っている。

ソルから渡される飴はおかしな味の物しか無いのだと、それこそ昔から思っていたエイルは、今回こそは本人にも食らわせよう企み、そして初めてまともな味の存在を知ったのであった。

なおそんな二人のやりとりの横で、ユエは最近ではおなじみとなった姿で床に倒れ伏し震えていた。


「ぬぉぉ・・・そろそろ来ると思うたんじゃ・・・」


「あ、あの・・・?」


来客かと思い急ぎやってきた少女からしてみれば、自分を無視して繰り広げられているやりとりは混沌そのものであった。二人はなにやら言い争いをしていて、もう一人は床で震えている。困惑するのも無理はないだろう。


「む・・・おぉ、すまぬ。わしらは商業組合の紹介で馬車を買いに来たんじゃが、おぬしがここの店主殿じゃろうか?」


何時までも寝転んではいられないと、しかし鈍い動きで起き上がったユエが店主と思しき少女へと、組合で受け取った紹介状を手渡しながら要件を伝える。


「あ、はい。私はここ"金五十"の受付担当、ネムといいます」


「やはり店の名前じゃったのか・・・」


「皆さん最初はそう仰っしゃりますよ。うちは兄弟で経営してまして、私が受付、実際の制作は姉と兄で行うんです。その姉の方が、腕は良い評判を頂いているんですけどお金が大好きでして」


「なるほどのぅ。いや、お金は大事じゃからな、うむ・・・」


ネムの説明によって、看板の文字がやはり店名だったということは分かった。とはいえ店名にするにしては些かセンスが疑われるのではないか、というのがユエの正直な感想である。金貨五十枚といえば安価であれば家が買えるほどで、地球であれば車が買えるほどだ。最低金額が金貨五十枚となると、この店の馬車はかなり高額であることは間違いない。通常の馬車の金額相場などユエには分からないが、少なくともここまでは高くないだろうと思われる。


「ではそちらの席へおかけ下さい。お茶をお持ちします。お待ちいただく間にそちらの案内書カタログをご覧になって下さいね」


そう言ってネムは奥へと消えて行った。

ユエとソルは遠慮なくソファへと腰掛け、今回エイルは後ろへと控えている。三人は素直に彼女の言葉に従って、テーブルの上に設置されていた案内書カタログとやらを開いてみることにする。システムは完全に、地球で言うところの車のディーラーへと来たような形式であるが、前世で車を所持していなかったユエは特に違和感を覚えなかった。


案内書カタログは何冊かあり、いくつもの絵と共に様々な種類の馬車が載っている。

シンプルな、或いは質素とも呼べるようなものから、ユエからすれば無駄に豪華な貴族向けであろう馬車、流行りに合わせたような当世風のものまでその種類は多岐に渡っている。そしてそのどれもが、店名通りに金貨五十枚以上の金額であった。とはいえ彼女達はこれでも王族とその関係者であり、金銭的には余裕がある。イサヴェル現地で作業場を用意するために使う予定だった金銭も、ベルノルンの好意によってまるまる浮くこととなったのだから尚更である。この油断が後ほど牙を向くのだが、ユエはそんなことは全く予想だにしていなかった。


「ふむり・・・そういえばソルや。実際に例の細工は出来そうじゃろうか?」


「恐らくですが、問題ないかと。原理は凡その見当がついていますから、何度か試せば可能かと思っています。やはり実物を見れたことが大きいですね。ベルノルン様にお願いして、色々と調べさせて頂きました」


「さすがじゃのう!後顧の憂いはもはやなくなったというわけじゃ」


「ふふ、お任せください」


ユエの唯一の懸念は、件の空間歪曲魔術による馬車内部の拡張であった。いかにこと魔術に関しては世界最高峰のソルといえども、初めて行う未知の作業である筈だ。さすがに難しいのではと不安に思い確認してみれば、事もなげに可能だと言い放つ。義妹は今日も頼もしい限りであった。

そんな二人の計画を知らないエイルは、後ろから身を乗り出して案内書カタログを物色していた。


「あ、コレなんかどうッスか?めっちゃお洒落ッス。まさに高貴って感じがしないッスか?」


「チッ・・・素人が。外見なぞどうでもよいのじゃ!馬車は屋根で選ぶんじゃ!」


エイルの提案を一蹴して、数度しか馬車に乗ったことのない女が知ったふうな口で語っていた。

実際にはエイルのほうが馬車に乗った経験はよほど多いのだが。


「素人!?姉様あねさまだってそんなには────屋根?」


「馬車玄人は屋根の乗り心地で選ぶ。これぞ馬車選びの基本じゃ」


「あ、やっぱりここまでは屋根の上に乗って来たんスね・・・」


「ぐぉぉ・・・ぬかった・・・ッ」


まだ疑惑というか、エイルの想像の範疇で収まっていたユエの奇行は、ユエの自白によってエイルにもバレることとなった。エイルからすれば十中八九はそうだろう、という確信めいた予想だったのでさほども驚きはなかったのだが。


案内書カタログを見ながら三人が相談をしていると、ネムがお茶と茶菓子を乗せたトレイを持って戻ってきた。傍らには赤い髪の、長身の女性を連れている。恐らく彼女が先程の話にもあった、金が大好きだというネムの姉だろう。


「みなさん大変お待たせしましたー」


「今度の金づ───客はどこの貴族かと思ったらエルフじゃないか・・・見たところ随分と、身分が高そうだ。これは金の方も期待出来そうでなによりだね」


謝意を伝えながら茶を配膳する妹とは違い、彼女は開口一番、客を金蔓扱いしていた。


「もう、お姉ちゃん失礼でしょ!」


「はは、悪いね。何か含む物があるとかそういう事じゃなくて、もうこれは癖みたいなもんでさ。ちゃあんと料金さえ払って貰えるなら手は一切抜かないよ。完璧なヤツを作って見せる」


曰く、エルフであるとか、身分が高そうであるからといって、嫌味や嫌悪感を覚えている訳ではないとのこと。彼女の口ぶりから察するに、支払いを渋るか或いは踏み倒す者が過去に居たのだろうか、とユエは想像していた。であるならば支払い云々を気にしている彼女の様子も頷けるというものである。


「手を抜かないのであれば構わんとも。なんじゃ、料金を支払わん不届き者がおったんじゃろうか?前払いではないんかの?」


「そう言って貰えると助かるよ。ウチは今も昔も、納品の時に代金を受け取るんだけど・・・ま、いろいろあったんだ。そんなことより、どれにするか決めたのかい?他の店よりも値段は張るけど、その分品質はどれも自信があるよ」


肯定も否定もしないような言葉であったが、それ以上は聞かれたくないといった様子であったため、ユエ達もそれ以上は追求しないでおくことにした。結局のところ、料金さえ支払えば何の問題もないのだから難しくもなんともない話である。


「ふむり。ちなみになんじゃが、細かい注文は出来るんじゃろうか?」


「勿論。基本的な型を案内書カタログで選んでもらって、残りの細かい部分は別途相談ってことになるね」


聞けば聞くほど車のようである。とはいえ、乗り物を購入する場合など何処の世界でも、どんな乗り物だろうと同じようなシステムになるのかもしれないが。


「じゃあコレにするッス!高貴な馬車を乗り回すッスよ!」


「メイドの自己主張が激しすぎるんじゃが?」


「お姉様、出来れば丈夫さを重視するのがよろしいかと。我々では壊れた際の修理ができません」


先程見ていた黒い車体に美しい銀装飾のある、曰く"お洒落"な馬車を推すエイル。

ユエとしては屋根が広ければそれで良いといった程度の希望しかない。


「仕方ないのぅ。この馬車の耐久度はどうじゃろう。お洒落に全振りで脆かったりするじゃろうか」


「まさか。ウチの子はどれも基本的な部分は全て同じだよ。他の店の物とは比べ物にもならない耐久性で、走行時の揺れも少ないし、デザインだけで選んでもらっても性能面に問題はないよ」


「ほほぅ。ではエイルがうるさいので、コレにするかの。それと屋根を大きくしてくれんか?」


「屋根をかい?そりゃ勿論出来るけど・・・何か意味が?それだけでも値段は上がるよ?」


ユエとソルには拘りが特にないのだから、エイルの希望を聞いてやっても良いだろうと、さっさと決めてしまうことにしたユエ。そもそもユエは内部の改造と屋根の乗り心地にしか興味がないので、ここらで一つ犬の機嫌をとっておこうという肚である。

この店ではこれまで多くの馬車を手掛けてきたが、注文といえば基本的に内装の追加であったり外装の色等が多くを占めていたためか、屋根の巨大化という謎の注文に突っ込みが入った。


「うむり。登るんじゃ」


「の、登る・・・?」


「うむり。頑丈にしてくれ」


「・・・まぁ、承ったよ。今は他の注文は入っていないから、他に何もなければ私はこれから仕事にとりかかるよ。料金や納期の話は妹としてくれるかい」


そう言って赤髪の女性は手をひらひらと振りながらその場を後にした。恐らくは隣の作業場へと向かったのだろう。仕事の早いことである。


その後、ユエ達はネムと細かい打ち合わせを行った。どの程度屋根を大きくするのか、外装は何色にするのか、装飾はどの部分に、何を使うのか。そういった注文を具体的に話し、十数分もした頃にはネムが納期と料金を割り出し、契約書類として纏めてくれていた。彼女もまた見た目によらず事務処理のプロであるらしい。これだけの手際の良さはどこに出しても恥ずかしくないだろう。


他の仕事がたまたま入っていなかったおかげか、納期は一週間後に決まった。随分と早く出来るものだなと驚くユエであったが、ネムの話によれば昔に比べて、魔術を利用することで作業効率が何倍にも上がったらしい。以前はそれこそ月単位でかかっていた仕事も、今では一週間という短い時間内におさめることが出来るようになっていた。


料金のほうは金貨八十二枚。ユエ達は相場を知らないがゆえに気にしなかったが、馬車にしてはかなり高額となった。屋根の改造はさしたる額ではなく、基本の車体が高かったせいである。


ともあれ満足のいく注文ができたユエ達は、最後に二枚の契約書へ魔術による刻印を行う。

店側と客側が一枚ずつ所持しておくものであり、売買を証明するものとなる。

先にもあった通り、金銭の受け渡しは納品日に行うとのことなので、ネムへと礼を告げてユエ達は店を後にした。


「楽しみですね、お姉様」


「うむり!よしよし、馬車も目処が付いたし、ならばいざ観光に───」


全てが終わったような口ぶりのユエだったが、肝心なことを忘れている。

エイルから伝えられた言葉に対してユエがとる行動など一つしかなかった。


「いや、馬どうするんスか?今からいかないんスか?」


「・・・明日でええじゃろ」


ユエは昔から、明日出来ることは明日の自分に任せるタイプであった。

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