第18話 西通り

朝食を摂ったユエとソルの二人は意気揚々と宿を出発した。

ユエはもちろん、まだ見ぬ屋台での食事を楽しみに。屋台での食事と言えばやはりその手軽さが魅力だろう。

この世界で目を覚ましてからもう随分と経つが、それでもやはり一庶民だったころの記憶は忘れていない。

あのころから、安くて早く、片手間に食べることが出来てなおかつ美味い。所謂ジャンクフードの類は彼女の好物だった。


好物だったからといって別に毎日のように口にしていた訳ではなかったが、時折無性に食べたくなることがあった。そしてそんな時に食べるあの雑な食事にはえも言われぬ不思議な魅力があった。


アルヴの王族と共に育ったユエは、これまでまともな食事しかしてこなかったのだ。

それ自体は感謝すべきことであり幸運でしかない。不満などまるでないがそれはそれとして、やはり食べたくなるのだ。そしてその機会がついに訪れたと言える。

そんないよいよを前にして、彼女が興奮を抑えられないのも無理はなかった。


そしてソルはもちろん、別に屋台での食べ歩きが楽しみというわけではない。

ただ、そんな姉の様子を見ながら二人で街を歩くことが楽しいのだ。

このよく出来た義妹は基本的に無趣味であった。唯一の趣味と言えるものが義姉の観察である。

非常に怪しい趣味ではあるが、幼い頃よりべったりと姉に着いて回っていた彼女からすれば、別段不思議なことなどない、至極当然の趣味であるらしい。


そんな二人が西通りを目指して歩いていると、中央広場の領主屋敷前、門付近でなにやら黒山の人だかり───この世界では黒髪などそうは居ないため黒山と呼ぶのは正しくないかもしれない───が出来ているのが見えた。

見たところ女性が多いように見受けられるが、人の影になっておりその中心は全く窺えない。

どうやら誰かしら人が出てくるのを待っているようであった。

ここトリグラフへ滞在して三日目、今日までの間には見られなかった光景にユエが疑問を覚えた。


「おん?なんじゃろうかあれは。出待ちかの?」


「恐らくですが、先程クレトさんが仰っていた"渾天九星"の方が領主へと挨拶でもしているのではないでしょうか?」


「あー、なんか言っとったのう。すっかり忘れておった。なにやら有名な人物じゃと言うておったし、一目見ようと集まった、といったところか。こういうのはどこでも変わらんの」


「我々も少し待ってみますか?」


「いらんいらん、そんなことより屋台がわしを呼んでおるんじゃ!」


ユエにとっては興味索然、どこぞのなんとやら言う人物よりも、串焼きの方がよほど気になるらしい。

基本的にはユエもソルのことをとやかく言えず、鍛冶と戦闘と義妹のことくらいにしか興味がなかった。

鍛冶については前世よりの悲願であるため。

戦闘については今世で得た新たな楽しみであるため。

ソルについてはもはや言わずもがな、大事な義妹であるがゆえ。


結局二人は立ち止まることなく、ちょうど領主の屋敷の扉が開いたころには、人混みの事などさっぱり意識から追い出され、西通りへの歩みを再開していた。背後から聞こえる歓声は二人の耳にはまるで届かなかった。



そうして歩くこと十数分、西通りへと到着した二人を待っていたのは、ユエが期待を膨らませていた通りの立ち並ぶ屋台の列であった。

どの店もなにやら、香ばしい匂いや甘い匂いをこれでもかと垂れ流しており、威勢よく客を呼び込んでいる声が聞こえる。


この西通りには観光客や、仕事へ向かう者、行商人などを標的にした店が立ち並ぶ。

北通りのように貴族が買い物をしたり、恋人同士の逢瀬にはあまり向かないような賑やかな場所だが、それが逆に窮屈さを感じさせることのない、気安い空間であった。


「これじゃこれじゃ!こういうのでいいんじゃよ!よいぞー!わんぱくゲージが溜まってきおった!」


「ふふ、可愛い。お姉様、どこから見て行きましょうか」


「この屋台の列の先頭から全部じゃ!明日には出発じゃからな、全部制覇するつもりじゃ!」


そういうユエはすでに一軒目の屋台へと向かって歩き始めていた。

その屋台は何かしらの肉を甘いタレで焼いた串焼きの店だった。シンプルながらも炭焼き肉の匂いが香ばしく、香りからすでに美味であることは想像に難くない。

奇を衒った食べ物もそれはそれでよいものだが、やはり一軒目はシンプルなものが好ましいというのがユエの謎のこだわりであった。


「のぅ!これを二本くれんかの?」


「おっ、まいどあり!ちょっと待っててくれよ」


早速店主へと声をかけるユエ。

こういった店の店主といえば渋い親父といったイメージがあったが、意外にもその店主は二十代半ばほどだろうか、若い店主であった。夫婦で経営しているのだろうか、後ろで調理を担当しているのは若い女性である。


「コレは何の肉じゃろうか」


「ああ、コレは豚だよ。ウチの肉はここらで飼育された豚を使ってるんだ。良い餌食ってるから肉も美味くなるってね。お嬢ちゃんは一人かい?」


「ん、いや妹と共に観光中じゃ」


そういって肉が焼き上がるのを待つ間に店主と他愛無い会話を始める。こういった交流もまた出店での醍醐味だろう。

話している間にソルが追いついてきたが、ユエは焼かれている最中の肉に夢中であった。


「お姉様、まだまだお店は続きますから、あまり食べすぎないようにしてくださいね」


「余裕じゃ余裕、わしに任せておけ」


ゆっくりとやって来たソルを見た店主は、見惚れるように呆然とした表情で、言葉が出ないようであった。

ユエも外見は整っており美人であることは間違いない顔立ちではあるが、やはりどうしても身長のせいかちんまりとした印象が先に来てしまうのだろう。ソルと二人で並べば大抵の相手はソルのほうに目を惹かれてしまう。

そんな呆けたままの店主を蹴り飛ばしながら、調理をしていた女性が代わりに串焼きを手渡してくる。


「鼻の下伸ばすな!邪魔っ!・・・ごめんね、はいこれ。二つで銅貨二枚だよ。ウチのが失礼したから一本オマケしてあげる」


「おお、ラッキーじゃ!でかしたぞソルや!」


「ふふ。はい、やりました」


銅貨を二枚支払い、思わぬ幸運で手に入れた三本のうち一本をソルへ。ユエは残りの二本を両手に持ちさっそく頬張り始める。

肉汁がたっぷり滴る豚肉の塊は噛めば噛むほどに旨味が溢れ出る。甘いタレの味付けも絶妙で、炭の香ばしさを邪魔しないばかりか肉の味を一層引き立てている。店主の言っていた通り、素材の良さが引き出された、屋台のものとは思えない大満足な一品であった。

強いて気になるところがあるとすれば、そのカロリーもまた計り知れないだろうということか。

とはいえ二人は日課として鍛錬を欠かさず行っているので、消費しきるくらい訳もないだろう。


「うむ!うむ!これじゃこれ!上品な料理ももちろん美味いんじゃが、やはりこういうシンプルな肉の暴力こそが至高なんじゃ!」


「ふふ、後でちゃんと運動しましょうね」


「うむ!」


その後も二人は、順番に店に寄っては食べ、次の店に寄っては食べ、といったことを繰り返しながら進んでいった。

ユエは常に両手に一杯の食べ物を持ち、頬張りながら歩くという非常に行儀の悪い行いをしていたが、本人はまるで気にしていない上、ソルもニコニコと見守るだけである。周りの目も微笑ましいものだった。


その小さな身体の何処に入っているのか、結局ユエは本当に全ての店を制覇してしまった。

後に、西通りで商売をする者たちの間で伝説として語り草になるのだが、彼女がそれを知ることになるのは随分と先の話だ。


そうこうして通りの最奥部、西門の目の前まで来るうちには随分と時間が経っていた。

十分に腹を満たしたことで、帰りは屋台以外の店を見ながら戻ろうということになり、二人は折り返し歩き出す。実はユエには気になる店が一箇所あったのだ。


「わし、ルンド翁以外の鍛冶師見たことないんじゃ。というわけで途中にあった鍛冶屋、というか武具店かの?あそこに寄ってみたいんじゃが、よいかの」


「もちろんです。お姉様のお好きなようになさってください。実は私も、お姉様やルンド様以外の方が作られた武具は見たことがないですから、少し気になっていました」


「では決まりじゃな」


すっかり忘れがちだが、ユエはそもそも刀鍛冶である。

ルンドの教えを受け、刀以外も作ることができるようになった今、他人の作った武具やその技術に興味が湧くのは当然だろう。無論そこらの騎士や兵達が装備しているものを目にしたことはあるが、まじまじと見つめたことはなかった。強いて言えば、騎士団の装備は遠目に見ても上等なものだと思った程度。

そういうわけで、今回は店で他人の作った武具を目にすることで、自分にとって得難い何かを得られるのではないか、というわけであった。


そうして西通りに存在する武具店へと訪れた二人。

店の軒先には剣と盾のシンボルが描かれた看板が垂れ下がっており、『ギリム武具店』と店名が書かれている。

これほど大きな街であれば武具店もいくつかありそうなものだが、食べ歩きながら見た限りではここ一軒しか見当たらなかった。


「たのもー!」


「ふふ、たのもー」


道場破りか何かのように元気よく店の扉を開けるユエと、それを楽しそうに真似するソル。

余談だがソルは自分が可愛いと思った姉の仕草や発言を真似することが時折あった。ソルが行うそれは普段とのギャップもあり非常に破壊力の高いものとなる。


「何だ!?道場破りか!?道場じゃねぇぞここ!」


「くふふ・・・わしは通りすがりの客じゃ!」


「客かよ!客はだいたい通りすがりなんだよ!!」


店番と思われる青年の言葉は至極まっとうな反論であるといえる。どこの店だろうと、常連以外は基本的に通りすがりであろう。

この店は入ってすぐに武具を並べたスペースが有り、青年の立つカウンター裏の部屋が工房となっていた。店番をしていたのは金髪を逆立てた活発そうな印象を受ける、恐らく二十代前半ほどであろう青年であった。どうやら店主は不在のようである。


「ふぅ・・・客ならまぁ、好きに見てってくれ。オーダーメイドの相談なら今は・・・ん?」


「む、なんじゃ」


「・・・客?」


子どもの悪戯とでも思ったのか、怪訝そうな反応を見せる青年。

仕方ないといえば仕方ない反応だったが、ユエはこれでも成人している。

もはや慣れた反応ではあるが一応形だけはむっとしておくことにした。


「今わしの身長みて言うたじゃろ。失礼なやつじゃの」


「あ、ああ、悪ィ・・・あんたの言う通りだ。ドワーフ族とか小人族なんかもいるもんな・・・」


「そうじゃろう。人を見かけで判断しているようでは一人前には────誰が小人族じゃ!この角が目に入らぬか!」


「うぉ!?鬼人族だったのかよ!そいつは悪かっ───じゃあやっぱ小っこいじゃねぇか!!」


「ええい、話が進まんわ!勝手に見て回るからのう!」


そう言ってぷりぷりと怒る様子で店内を見て回ることにしたユエ。ソルは慣れたもので既に近くの武具を見て回っていた。ノリツッコミをしているときの姉は、見た目とは裏腹に怒っては居ないことを知っているからであった。


そうして店内を二人で見て回り、一つ一つ武器を見ながら話をしているところで店番の青年が声をかけてきた。ユエが佩いていた刀が初めて見る武器であるが故に興味が湧いたのであろう。


「なぁ、あんたの腰の獲物。ここらじゃ見かけない武器だな」


「む、やはり気づいてしもうたか・・・コレはじゃな─────」


初めて刀を見た者への説明はやはり楽しい。

ユエはいつもどおりに、自慢をするように説明をしてやった。

青年は初めて見る武器への興味と、一目で心を奪われそうなその刀身の美しさに、興奮しながらユエの説明を聞き、そして時折質問を投げる。

ユエはユエで自作の武器を、煌々と目を輝かせながら見入る青年に気を良くしたのか、得意げに話す。


店に入った時点でそれなりによい時間だったこともあり、ユエの話がこれから本番に入ろうかという段になったころには既に夕刻となっていた。


「お姉様、そろそろ」


ここまで傍らでユエを眺めていたソルがそっと時刻を伝える。


「────そしてこの水減しみずへしは鋼以外でも・・・む?もうこんな時間じゃったか。名残惜しいがここまでじゃのう。そろそろお暇しようかの」


「ま、マジかよ!ここからが良いところだったのに・・・ッ!」


「仕方あるまい。なかなかに有意義じゃったぞ青年。また会うことがあれば続きを話してやろう」


「絶対だぞ!絶対また来いよ!!」


「来れたら来るわい。まぁわしら明日でこの街出るんじゃけど」


「おぉい!絶対来ないじゃねぇかよ!」


そう言って笑いながら店を出る。青年の何やら悶える声が扉が閉まると共に小さく消える。

話の一番気になる部分で止めるというのは、どの世界でも共通して相手を悶々とした気持ちにさせる行為らしかった。


「お姉様、今日はいかがでした?」


「うむ、大満足じゃ。しかしルンド翁は本当に凄かったんじゃのぅ・・・」


トリグラフでの観光、その最終日を満足して終えた二人は夕日を背に、会話をしつつ宿へと通りを進む。

その背後、先程まで滞在していた『ギリム武具店』の通りを挟んだ向かいにあった建物。

その『探索士協会トリグラフ支部』の入り口には、朝方に領主屋敷前で見たような黒山の人だかりが出来ていたのだが、興味のなかった二人は気づかずそのまま歩き去っていったのだった。

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