♯20 白いアイツと、敵の懐に飛び込んだ



 全身がズキズキと痛かった。

 捕まるとき、何度も刺股さすまたなぐられたから。


「お母さん……」


 夜を迎え、この辺りの海域に点在する無人島や岩礁がんしょうなんかとの衝突を避けるため、無理に航海を続けるより、停泊して夜を明かすことを選んだ<秩序管理教団>の帆船ふね――。

 その船尾楼甲板クォーターデッキに建っている大きな黄金色こがねいろの女神像の内部は、くりぬかれ、空洞になっていて、牢屋みたいな頑丈な格子こうしが付いたおりになっていた。


 私は今、その中にいる。


 この檻の中からお母さんが眠る『ビトルビウス』がある方角――船体後方は見えない。


 まあ、仮にこの檻から出られたとしても、もうすっかり夜のとばりが落ちてしまっているから、見えるのはせいぜい漆黒の宵闇くらいだろうけれど。

 ……いや、、漆黒の宵闇すら見えないかもしれない。



「可哀相に。アンタも<魔女>なのかい?」

「あの島で捕まっちまったんだね」

「俺たちも『カーマイケル』に隠れ住んでたんだが、捕まってしまってね……」

「おかあさん……おなかいたよぉ……」

「ごめん……ごめんね……」



 檻の中には『先客』がいた。私と同じ<魔女>と思われる様々な年頃の女の子が七人。その母親――<漂流者>らしき者が四人。そして父親らしき者が三人。祖父母らしき者が一人ずつ。

 全員、世界各地であの司祭とその手下によって捕まってしまった『悪魔』と、それを庇おうとした『罪人』らしく、私たちは自分たちの罪深さを理解するため――つまり拷問されるために、<秩序管理教団>の本部がある島へ移送されているところだった。


「……なんでこんな目に遭わないといけないの……。私はどうすればよかったの」


 ――『……選択は、誤っちゃいけないよ。正解がどっちか明らかだってんなら、尚更だ。人生経験豊かな年寄の忠告――文字どおりの老婆心ってヤツだ。聞いておきな』


 ふと脳裏に、あのお婆さんの言葉が甦る。


「私は……選択を間違えたの……?」


 あそこでアイツの――この辺りでは珍しい髪と瞳の色をしたあの少年の手を取るべきだったんだろうか。

 せっかく差し伸べられた手を、私は振り払うべきではなかったんだろうか。


 ……でも、


「そんなの無理だよ……」


 信じて……もし裏切られたらどうするの?

 これ以上傷付くのはイヤ……。


「どうせこの世界に、肉親でもないのに最後まで<魔女>を護ってくれるヒーローなんているはずがないんだから……」


 仮にそんなヒトがいてくれたとしても……。私を護るために、そのヒトが命を落とすようなことがあったら……。

 また……大好きなヒトを失うようなことになったら……。

 そんなことになるくらいなら……。


「私はもう、ずっと独りでいい……」


 ごめんね、と、私は心の中であの少年に謝る。


 本当はわかってたんだ。あなたは私を裏切るようなヒトじゃないって。

 きっと最後まで護ってくれるんだろうなって。

 お父さんとお母さんみたいに。

 あの日以来……初めてそう思えるヒトに出逢えたんだよ……。

 でも……だからこそ……。


「――おや、泣いているのですか? その涙が自分の罪深さを悔い改めるためのモノならばいいのですがね」


 不意に頭上から掛けられた声に、涙で濡れた顔を上げると、顔面に大きな青痣あおあざを作ったあの司祭が、檻の格子越しに私を見下ろしていた。

 まるで家畜――いや、汚物でも見るかのような冷たい目で。


「あなたのせいで私は少々痛い目を見ましたからね。本国に着いたら、あなたは特に念入りに『断罪』してあげましょう」

「………………」

「あなたは外見みてくれだけは悪くありませんからね、『<魔女>に触れればこちらの魂魄タマシイまでけがれる』という教義おしえさえなければ、私が別の方法で罪深さを思い知らせてやりたいところなのですが。……寝台の上でね」


 そう言って「くっくっくっ」と笑うエロ司祭。


 ……下衆げすめ。反吐へどが出る。今だけはコイツらの教義とやらに感謝したい気分だ。こんな奴に手籠てごめにされるくらいなら、舌を噛み切って死んだほうがマシよ。


「あ……あの!」


 無言で睨む私の背後で、四歳くらいの幼い女の子を抱き締めた母親が司祭に声を掛ける。――懇願する。


「お願いです! どうか食べ物を下さい! 娘がお腹を空かせているんです!」

「昨日の朝、パンくずを与えたでしょう。人間、一日や二日断食した程度で死にやしませんよ」

「そんな……! どうかお慈悲を!」

「<魔女>やそれを庇う罪人に慈悲など不要です。身の程をわきまえなさい」


 ……コイツらは最低だ。コイツらのほうがよっぽど悪魔じゃないか。

 今、私の後ろでお腹を空かせて泣いているあの女の子に……私が<魔女>として迫害されたときよりも更に幼い女の子に、いったいどんな罪があるというんだ。


 誰か……助けてよ……。

 あの子を――私たちを助けてよ……。


「下手な希望など持たないことです。かつて神々に逆らったあなたたち<魔女>と、それを庇おうとする愚か者たちなど、神ですら救いたいとは思いませんよ」


 神様ですら……。

 だったら……もう……この世界にヒーローなんて、




「――司祭っ!」




 そのとき、私の思考を遮るように、操帆そうはんしていた乗組員クルーの一人が叫んだ。

 ひどく焦っている……というか、何かに怯えているような、それは悲鳴のような絶叫だった。


「どうしました?」

「そ……それが……、あ……あれを……」


 鬱陶うっとうしそうに振り返る司祭の問い掛けに、その乗組員クルーは顔面蒼白になって、プルプルと震える手で左舷さげんの海を指さす。


「いったいなんだと言うん――っ⁉」


 そちらへ視線を向けた司祭が、目を剥き絶句した。


 ………………?


 私は怪訝に思い、檻の中から、格子越しに司祭の視線の先を見遣みやる。

 幸い格子は女神像の正面だけでなく左右にも展開する形をしており、見ようと思えば後方以外はすべて見れたため、司祭の視線の先を確認することが出来た。


 そしてそこに――信じられないモノを見た。


 濃い霧が立ち込める海。

 その霧の向こうにうっすらと見える大きな船影。

 赤く発光している海面。


 そして――


 端々はしばしに施された黄金色こがねいろ金属彫刻エングレーブと、所々に浮かび上がる白鯨はくげいかたどった純白の光芒こうぼうが神々しい、美しい留紺とまりこんの衣装で全身くまなく包んだ謎の人物……。


 その身、全身のあちこちで、うずみびのような蒼白い残り火が……人魂ひとだまのようなモノが、チラチラと燃えている。


「あ……あああ……っ」


 誰かが叫ぶ。恐怖で顔を引き攣らせて。絶望に声を震わせて。




「ゆ――『幽霊船長』だ……!」




 それが引きがねになった。


 たちまち船上に――乗組員クルーの間に、狂乱が伝播でんぱする。『そんな馬鹿な』『あり得ない』『ただの言い伝えのはずだろ』『なら、あの海の発光はなんなんだ』『それにアイツは実際に海の上に立っているじゃないか』『あの霧の向こうの帆船ふねも「幽霊船長」の幽霊船ふねに違いない』……。


 そして、


『「幽霊船長」を目撃した帆船ふねは、必ず沈むと言われてるんだ。この帆船ふねも沈められるぞ!』


「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」

「逃げろ! みんな、逃げるんだ! 海へ飛び込め!」

「東だ! 東へ一海里かいりほどのところに、無人島があるのを停泊前に確認してる!」

「そこへ逃げ込め! 早くしないと帆船ふねともども海の藻屑だぞ!」


 長年船乗りたちの間でまことしやかに言い伝えられてきた怪談の威力、あの謎の人物の視覚的迫力は絶大だった。

 屈強な海の男たちが次々と絶望し、右舷うげんの海へ自ら飛び込んでいく。


 無理もない。

 あの光景は……人智を超えている……。

 仕掛けや装置――ヒトの手でどうにかなるようなモノじゃない。


 どう考えたって、あれは本物の超常現象――本物の『幽霊船長』だった。


 …………でも。


 何故だろう――私の目には、その姿がむしろ神々しく見えて……。

 胸が、ドクン、と大きく高鳴ったのがわかる。


「お、おまえたち! 勝手な真似をするな! 逃げるんじゃない!」


 司祭がいくら声を張り上げても無駄だった。

 気付けば船上には、檻の中の私たちと、司祭以外、誰も残っていなかった。


「あ……あれは本当にあの『幽霊船長』なの?」

「じゃあ、この帆船ふねは沈むのか?」

「俺たちはここで死ぬのか……」

「お母さん! 怖いよぅ!」


 檻の中の面々――私以外のみんなも、絶望と悲嘆に暮れている。

 あの『幽霊船長』に、心底怯えている。


 ……だけど。


「っ」


 トクン……トクン……


 私の目には何故か『彼』が恐ろしい存在とは映らず、『ある予感』から早鐘を打つ胸を、どうしても鎮めることが出来ずにいた……。






                ☽






「おーおー、凄いなぁ『幽霊船長』サマの雷名は。効果覿面てきめんじゃないか」


 目の前の<秩序管理教団>の帆船ふねから、ドボンドボンと狂乱状態に陥った者たちが海へ飛び込む音がする。ここからだと見えないけれど、今頃反対側の海は、我先にと飛び込んだ者たちでイモ洗いみたいな状態になっているに違いない。


「こんなぶっ飛んだ作戦を考えつくなんて、流石ツバキ」


 ボクは『月火憑神(げっかひょうじん)』でまとった全身防護服メタルジャケットの下で、感心半分、呆れ半分の溜め息をつく。


「まあでも、これなら、霧のお陰でボクたちの帆船ふね――『トゥオネラ・ヨーツェン』を連中に見らずに済むし、乗組員クルーのみんなを危ない目に遭わせる必要も無い。よく考えられた作戦だよ」


 周囲の海面にプカプカと浮かぶ、無数のメロンみたいな形をした赤い果実――『トゥオネラ・ヨーツェン』の浴室で使われている湯沸かしの実をモニター越しに見下ろし、ボクは苦笑を漏らす。

 そう、今この辺りの海域を覆っている霧は、正確には霧ではなく、湯気なのだ。


 そして海を発光させているのは、船内のあちこちで使われていた、あの梨みたいな形をした黄色の実。照明として使われている果実である。

 こちらも赤い果実と同じくらいの数が、周囲の海面に投下されていた。


「ツバキの奴、『こうなったら大盤振る舞いじゃ! ありったけを海にぶち込んでやれ!』って合計で二百個近く投げ込んでたけど……。本当に良かったのかなぁ」


 まあ、どっちも最大出力だから、半日ほどで効果が切れるという話ではあるけれど……。

 今頃、海中の生き物たちが可哀相なことになってそう……。


 そしてそれ以上に心配なのが、


「……大丈夫、シロ? 暑くない? ていうか、熱くない? 今、このへんの海水って結構な熱湯になってるんでしょ?」


 ボクが――シロに問い掛けると、シロはプシュウウウウ……と潮を吹いて返事してくれた。

 けど、


「……いや、それはどっちなのさ。『へっちゃらだよ!』って意味なの? それとも『熱いに決まってんでしょ!』って意味なの?」


 再度、プシュウウウウ……という返事。

 ……うん。わからん。


「ていうかキミ、テレパシー的なモノで喋れるんじゃないの? こっちに来てから、全然喋ってくれないよね……」



 ――『ねえ、シロ。言い伝えによると、「幽霊船長」って海面の上を歩いていたらしいんだ。だから連中の目には、ボクが海面の上に立っているように映ることが望ましいんだよね。――キミ、ボクを背中に乗せて連中の帆船ふねのトコまで運んでくれない? ボクの足元以外、出来る限り海中に身を隠してさ』



 何故かずっとボクたちの帆船ふねのあとを追いかけてくるこの白鯨シロナガスクジラに、ダメ元でそんな難しいお願いをしてみたら、このとおり、きっちりかっちり実行してくれたから、絶対こちらの言葉は理解しているはずなのだけれど……。

 でもシロ、相変わらず全然喋ってくれないんだよなぁ……。

 喋ってくれたら『キミ、もしかしてボクをストーキングしてるの……?』と一度問いただしておこうと思ってるのにさ。

 ……もしかして、それを察してるから喋ってくれないのかな?

 シロ……恐ろしいコっ。

 いやホント、マジでなんなん、キミ。


「……ちなみにシロは、『シロ』って名前について、どう思ってるの? 気に入ってる?」


 ………………シロ、潮を吹かず。

 うん……そっか……それはつまりそういうことだよね……まあそうだよね……。


「ごめんね。でもルーナが気に入ってるからさ。甘んじて受け入れてあげて」


 今度はプシュ……と非常に弱々しい返事があった。

 なんていうか……いかにも『えー……』って感じの返事だ。

 ……ごめんね……。


「……さてと。それじゃあボク、向こうに乗り込むから。最後にもう一仕事、よろしくね」


 言ってボクは、シロの背中の上を、頭部のほうへと全力疾走する。


 するとシロはザザザザ……と盛大に水飛沫を上げて頭を持ち上げ、まるで水族館のイルカが飼育員の指示でボールを放るみたいに、ボクの身体をその鼻先でポイッと空中へ放り投げた。


 宙高く放り投げられたボクは夜空を背にクルリと一回転すると、<秩序管理教団>の帆船ふねの左舷甲板デッキに片膝をつく形で着地する。


 ……スゴいな、今の。曲芸みたいじゃなかった? ボクとシロ、息ピッタリ。


 シロに『ありがとう』の意をめて片手を上げると、彼女……彼女? 彼女でいいんだよね? 彼女は、プシュウウウウウ……と潮を吹いて返してくれた。『お見事!』と言ってくれたのかもしれない。


「さて――シロのお陰で無事に敵船てきせんに侵入できたことだし」


 ここからは『幽霊船長ボク』の出番だ。


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