♯10 可愛い仙女様たちと、初めての航海に出た



 あれからツバキの様子がおかしい。


 どうおかしいかというと、まず、ボクと目を合わせてくれない。

 あちらから話し掛けてくるときは目を逸らしながらだし、こちらから話し掛けたときはビクッと肩を震わせて『な、なんじゃい⁉』と声を上擦らせる。会話の最中は常にもじもじしているし、会話が終わったら終わったで何か言いたそうにじーっとボクを見てくるし、ときどき気まずそうな顔でカグヤをチラチラと盗み見ては溜め息をついている。


 そしてボクの前ではずーっと赤面しっぱなしだ。


 まあ、仕方ないのかもしれない。

 二十歳はたち手前くらいの、いかにも京美人といった風貌の気品溢れるお姉さんが、よりにもよって自分よりも三歳みっつ四歳よっつは年下の冴えない男――彼女が言うところの『下郎げろう』――に『お漏らし』してしまったことを知られてしまったのだ。

 そりゃあ恥ずかしくてボクとは目を合わせられないだろうし、ボクが周りに言い触らさないか心配だろうし、身内に勘付かれてないか気になるに決まってる。


 本人にも言ったけれど、危うく化け物に殺さるところだったんだから、そんなに気に病む必要はないと思うんだけどなぁ。

 別にボクはあの件を誰かに言い触らすつもりは無いし。

 そこは信用してほしいのだけれど。


 まあ、でも、当人からしてみれば、そう簡単に割り切れるものでもないか。

 今日出逢ったばかりのボクをいきなり信用しろってのも、土台無理な話だろうしね。


「でも、せめてもう少し自然な態度で接してくれないと、こんなふうにあらぬ疑いを掛けられちゃうんだぜHAHAHA☆」




 ってなワケで、ボクは今、ツバキたちが乗ってきた帆船の中央帆檣メインマストロープで縛り付けられ、四十人近いオッサンに取り囲まれています。




 ……いや、どういうワケだよ。


 なんで?

 なんでボク、こんな吊るし上げみたいな状態になってんの?


「小僧。おまえと一緒に戻ってきてから、お嬢の様子がおかしい。お嬢に何をした?」


 海上で展帆てんぱんを調整して船を同じ位置に留めておくことを『踟蹰ヒーブツー』と言うのだが、それをするためだろう、下側の縦帆メインスパンカー縮帆しゅくはんした帆檣マストの根元で、ボクを取り囲んでいるのはツバキの従者でありこの船の乗組員クルーでもある男たちだ。


 年齢は全員が三十代から四十代で、男性乗組員クルーの制服と思われる作務衣さむえに似た紺色の衣装に身を包んでいる。容姿は髭面ひげづらだったり禿げ頭だったりで千差万別だけれど、全員揃ってマッチョ。そして剣呑けんのんな雰囲気。


 怖い。ボクから言わせれば、あの半魚人どもなんかよりよっぽど怖い。


「べ、別に何もしてませんけど……」


 嘘だ。ボクは彼女を一度、断りも無しにおもいっきり抱き締めている。でもって、そのまま白鯨くじらの背中の上を一緒に転がって、たわわな瓢箪ひょうたん(比喩表現)の感触、柔らかさを、しかと堪能させていただいた。


 ボクに悪意があったワケではなく、半魚人の攻撃から彼女を助けるため咄嗟とっさに取った行動だったのだけれど、彼女からすれば『一生の不覚じゃ!』と言いたくなる出来事だったに違いない。


 とはいえ今回それは関係無く、ツバキの挙動不審の理由は別にあることをボクだけは知っている。


 そう、『お漏らし』という理由が。


 けど、それを説明するワケにもいかない。

 つまり――ボクとしては、今みたいにしらばっくれることしか出来ないのだ。


「じゃあなんでお嬢はおまえの前でだけ様子がおかしくなるんだ?」


『ボク皆さんのご主人様であるツバキさんにおしっこを引っ掛けられちゃってるんで。それでじゃないですか?』と言ったらこのヒトたちはどういう反応を示すんだろう。試してみたい気もするけれど、ツバキとの約束があるのでそういうワケにもいかない。


「えーと……たぶんですけど、腰を抜かしてしまった彼女をお姫様抱っこして撓艇ボートへ運ぼうとした際に、一回誤って海に落っことしちゃってるんで、そのことで怒ってるんじゃないですかね」


 ハイこれも嘘。確かにボクは彼女を一回海に落っことしているが、誤ってではなく、彼女と示し合わせた上で、ワザと落とした。……ほら、周りにバレないように、汚れを海水で洗い流さなきゃいけなかったし。……ボクの腕もね。


「ああ、なるほど」

「そういうことかぁ」

「もしお嬢に何か不埒な真似をしていたら、このまま人食い鮫か人食いアノマロカリスの餌にしてやろうと思っていたんだが」

杞憂きゆうだったみたいだな」

「良かった良かった」


 人食いアノマロカリスなんてモノがいるんだね、この海。……ヒデェところだ。

 早く地球に帰りたい……。


 それにしても……、このヒトたちが単純で助かった。お陰でツバキが挙動不審な理由をゲロらずに済みそうだ。

 でも、なんだな……。これはこれで『本当にこんなんで納得していいのかアンタら』ってツッコみたくなるな。


 ちゃんと見ていればツバキのあの態度は『海に落っことされて怒っているヒト』のそれじゃないって、わかりそうなものだけれど。


『恥ずかしい秘密を握られてしまって困っているヒト』のそれだって、察することが出来そうなものだけれど。


 なんでわかんないのかなぁ? あんなにわかりやすいのに。

 どうやらこの男衆、女性の態度から心情を察することが苦手な鈍感さんしかいないようだ。

 流石に呆れざるを得ない。

 従妹アズサに『女の敵と言っていいほどの鈍さ』とまで言われたボクに呆れられるって……。これは相当ですよ皆さん?(……でもよく考えたら、なんでボクが従妹アズサにそこまで言われなくちゃならんのだ)


「ところで、ずっと気になってたんですけど、あのお姉さん――ツバキさんって、皆さんに『お嬢』って呼ばれてるってことは、やっぱ良家いいトコのお嬢様なんですか?」


 オッサンの一人にロープを解いてもらいながら尋ねると、返ってきたのは「ああ」という首肯だった。

 オッサンは次いで、


「正確には、『お嬢様』というより『お姫様』だな」


 なーんて爆弾発言を投下してくる。


 ………………え?


「……お姫様?」

「ああ」

「……お姫様ってあのお姫様?」

「どのお姫様だよ」

「……サークルの姫的なヤツ?」

「その『さあくるの姫』ってのがどういう存在のことを指しているのかは知らんが、俺が言っているのは一般的な意味での『お姫様』だ」


 ……マジか……。

 いや確かに、やたら尊大な口調だなーこのヒト、とは思ったし、ボクも半ば冗談で半魚人に『お姫様には指一本触れさせないぜ(キリッ)』みたいなことを言っちゃたりもしたけれど。でも、マジモンのお姫様だったの……?


「とは言っても、ヤポネシアに数多あまたあるはんのひとつの、に過ぎんがな」

「藩」

「まあ、それでも、れっきとしたお姫様であることに違いは無いさ」


 ヤバい……。思い返せばボク、結構あのヒトに無礼な態度を取っていた気がするぞ……。

 不敬罪で捕まったりしたらどうしよう……。

 まあ、そのときはそのときか……。いざとなったらルーナを連れて逃げるとしよう……。


「それじゃあ、あのカグヤっていう女の子は? 何者なんです? 実はツバキさんの妹さんだったり?」


 仙女を自称していたし、不思議な実を持ってるし、ただの人間とは思えないのだけれど……。


「俺たちもあの船長のことはなーんも知らん。一年くらい前に、お嬢がどこかで拾ってきたんだ」


 どこかで拾ってきた、って。

 そんな、捨て猫じゃないんだから。


 ……って、


「『船長』⁉ あのカグヤってコがこの船の船長なの⁉」

「形だけの船長っていうか、俺たちにとっては幸運の女神様みたいな存在だけどな。あの子が船長になった途端、『深きものども』と遭遇する機会がめっきり減ったからよ」

「だとしても、あんな幼い女の子が船長で、よく皆さん平気ですね」

「まあ、実務的なことは全部お嬢がやってくださるし、これまで特に問題無かったからな。それに船長なんて元々『なんも船長』なのが普通だろ?」

「……あ。『なんも船長』そのダジャレ、こっちでも使われてるんですね……」

「あん?」

「なんでもないです。……ツバキさんってお姫様なのにこの船の『航海士こうかいし』をしているんですね」

「ああ。おいえの関係でな。お嬢は子供のころから『オフィサー』として鍛えられてきたんだ。ちなみに立ち位置的には『副長』でもあるな」

「へえ……」


 このヒトたち、普通に『オフィサー』って呼びかたをするんだ。『こうかいし』じゃなく。

 ツバキやこのヒトたちのこれまでの言動から、『カタカナ語は使わない』という印象を勝手に抱いていたのだけれど。意外とそうでもないらしい。

 そういえばツバキの胸のゼッケンにも、ミミズがのたくったような字で『おふぃさぁ』って書いてあったっけ……。

 あれ、不思議な実を食べたことで得た自動翻訳スキルの不具合か何かだろうと踏んでいたのだけれど……実はカグヤの手書きだったりするのかな? あのコくらいの年頃なら、もっと上手い字を書きそうなものだけれど。でも、あのコならお茶目でワザとつたない字で書くくらいのことはしそうな気もするし。


 ……というか実際は、『なんも船長』も『こうかいし』も『オフィサー』も、それに該当するこっちの言葉に対して、自動翻訳スキルがボクたちの世界の言葉を上手く当てめてくれているだけなんだろうな……。



「――おまえたち。『男同士の腹を割った話』とやらは終わったかの?」



 ちょうどそこにツバキがやってくる。カグヤとルーナも一緒だ。ルーナだけ先に船内を案内してもらっていたのだ。


「へい、お嬢」

「バッチリ親睦を深めておきました」

「俺たち、もうマブダチですぜ!」


 いけしゃあしゃあとぬかしおる……。

 ツバキがいない間にボクを人食いアノマロカリスの餌にするつもりだったくせに。


 でも、あれだな。

 ツバキって部下に慕われてるんだな。

 まあ、二十歳はたちくらいの見目麗しいお姫様だもんなぁ。そりゃあ三十代や四十代のオッサンたちからすれは、かつ甲斐がいもあるよね。

 ……これでもう少しとっつきやすい性格をしていれば、ボクもとっくに惚れちゃってたかもしれないなぁ。

 もっともツバキからすればボクは所詮しょせん『下郎』、引いては『ヤバい秘密を握られてしまった警戒対象』でしかないのだろうけれど……。

 今だってボクをチラチラ見ていたくせに、目が合った途端プイッとされたし。どんだけ嫌われてるんだボクは。


「……なんだかなぁ」


 従妹アズサの部屋にいっぱいあった異世界モノの漫画や小説なんかだと、『チートな能力を手に入れた主人公が可愛いヒロインたちを次々と救ってたら全員から惚れられていた』なんて展開も珍しくなかったようだけれど。

 現実はそう甘くないようだ。

 ボクなんか『下郎』呼ばわりされた挙句、おしっこを引っ掛けられて終わりですよ? これで喜ぶのは変態だけだよ。


 ……え? カグヤ? あのコは……うん、確かに美人さんだとは思うし、好き好きオーラ全開で甘えてこられたときは『フフ……い奴よ』って気分になるのは事実だけれど。でもやっぱ年齢としがね……。見た感じまだ十二歳くらいだし……。あのコのボクに対する好意って、あくまで『優しい親戚のお兄ちゃんに懐いてる幼子おさなご』のそれと同じたぐいのモノなんじゃないかなーって思うんだ。


 ルーナみたいにね。


「イサリさまっ。ただいま戻りました!」

「お帰り、ルーナ。どうだった、船の中は? 面白かった?」

「はいっ。とても興味深かったです。いろいろ説明していただいたので、今度はわたくしがイサリさまに船内をご案内しますね☆」


 こちらの腰に両腕を回しぎゅっと抱き着いてくるルーナの頭を撫でながら訊ねると、彼女は未知の世界への興奮で頬を紅潮させ、水色の瞳をキラキラ輝かせながら答えてくれた。


 本当に強いコだ。ちゃんと家に帰れる保証などどこにも無いこの状況で、絶望や悲嘆に暮れることなく気丈に前だけを向いている。まだ十歳くらいだろうに。


 ……それが逆に不憫だ。


 哀しかったら、遠慮なく泣いてもいいのに。

 なんなら、ボクに当たり散らしてくれてもいいんだ。


 でないと、このコが自分の心の奥底に押し込んだモノに圧し潰される日がいつか来る。

 何かのキッカケで溢れ出たそれに『いっそのこと、もう死んでしまいたい』と思う日がきっと来る。


 泣きたければ泣いていい。哀しければ哀しいと言っていい。本当に辛いことに、無理して耐える必要は無い。

 それが子供の特権だと、ボクはそう思う。

 大人へ近付くに従い、そういうワケにはいかない場面がどうしたって増えていくんだから。現に、まだ高1のボクですら、難しいときがいっぱいあるんだから。


 まだ十歳かそこらのキミが、こういうときまで無理に我慢しなくていいんだよ?


「必ずキミを家族のもとへ送り届けてみせるからね、ルーナ。――そのためならボクは、どんなことでも頑張ろう」

「………………イサリさま………………。――はい」


 しゃがみ、まだ小さな女の子を強く抱き締めつつ告げると、彼女は驚いたように目をみはり、はにかんで頷いた。


「必ず……。一緒に帰りましょうね。イサリさま」

「うん」

「一緒に、ですよ」

「? うん」


 なんでそこを念押しするの?

 もちろんボクだって一緒に帰るに決まってるじゃない。

 こっちに残らなきゃいけない理由なんて何も無いのだし。

 ……なんでカグヤやツバキのほうをチラチラ見てるの?


「……イチャイチャするのはそれくらいで充分じゃろ」


 何故か渋面な(どうせまた『この変態め』とでも思っているのだろう)ツバキが嘆息し、ボクをジロリと睨んでくる。


「そろそろ出発するぞ。よいな?」

「うん。……誰もイチャイチャなんてしてないけども」

「念のためもう一度確認するぞ。わらわたちはとそこの金髪のちんちくりんを保護する。そしてこっちのこと……常識や世界のようを一通り教える」

「うん。……ん?」


 今『おまえさま』って言った? これまでは『下郎』や『お主』だったのに。

 一応あの半魚人に殺されそうになったところを救ってあげたりもしたから、一定の敬意を払うことにしてくれたのかな? 礼節をもって~みたいなことも言ってたし。

 でも、無理して呼んでそんなふうに屈辱で顔を真っ赤にするくらいなら、『お主』のままでも別に構わないんだけどなぁ(流石に『下郎』は勘弁してほしいが)。


「代わりに、おまえさまにもこの船で仕事をしてもらう」

「うん」


 まあ、お世話にだけなって、何も貢献しないというワケにもいくまい。働かざるもの食うべからずだ。砥石ストーン甲板デッキるといった単純作業ならボクでも出来るだろうし。雑用係としてせいぜいき使うがいいさ。


「男に二言は無いな? どんな仕事でも文句は無いな?」

「う……うん」


 訂正。どうかお手柔らかにお願いします……。

 このお姉さん、ボクに何をさせる気なの……。


「よし」


 ツバキは満足げに頷くと、乗組員クルーであるオッサンたちのほうへ向き直り、彼らを順繰じゅんぐりに見遣みやり、


「おまえたち! もう聞いてるとは思うが、今回の航海の目的のひとつ、『カグヤのだんなさまの発見及び保護』は今日ついに達成された! 引き続きを達成するため航海を続ける!」


「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」」」」」


 ツバキの宣言を聞いたオッサンたちが勝鬨かちどきみたいな咆哮を上げる。


 やっぱすごいなー、ツバキのカリスマ性は。


 ……ていうか、ツバキたちの航海の目的のひとつって、ボクを発見することだったの?

 ボクがこっちに来るって――ここにいるって、ツバキたちには最初からわかってたってこと?

 だからツバキたちは今ここにいるの?


 いや……、ここまでのあれこれをかえりみるに、『わかってた』のはツバキじゃなく、この自称・仙女の――


「そして、じゃ! この場でおまえたちに伝えておくことがある!」


 ニコニコしているカグヤの横顔を盗み見ていたボクは、『ん?』と怪訝に思い、もう一度ツバキを見る。


 ツバキは拳を振り上げてこう宣言した。




「今この瞬間より、この船の船長はここにいるカグヤの『だんなさま』――イサリじゃ!」




「「「「「おおおおお……お……?」」」」」


 再度咆哮を上げようとしたオッサンたち、途中で困惑。


 そりゃそうだよ。

 完全に寝耳に水だろうし。

 だって当人ボクですら今初めて知ったくらいだもん。

 今日からボクがこの船の船長だって。


「ちょ……ちょっと待ってお姉さん!」

「妾のことは『お姉さん』ではなく『ツバキ』と呼べ。呼び捨てで構わん」

「あ、そう? でも年上の女性を呼び捨てはちょっと抵抗が――って、そうじゃなくて! 船長⁉ ボクが⁉ なんで⁉ 船長ナンデ⁉」


 動揺のあまり変な外国人みたいになってしまった……。


「カグヤと協議した結果じゃ。安心しろ。実務的なことはすべて『航海士オフィサー』の妾がしてやる。おまえさまは『なんも船長』で問題ない」

「いやでも新参者がいきなり船長なんて、乗組員クルーの皆さんだって絶対イヤだと思うんだけど⁉」


「いや……」

「俺たちは別に……」

「それがお嬢の決定なら……」

「確かに驚いたけど、カグヤ嬢の場合もこんな感じだったしなぁ」

「ぶっちゃけ船長なんて、いてもいなくても同じだし」


 うわぁ部下への教育が行き届いてますねぇツバキさん。


 ……いやアンタら本当にそれでいいの⁉


「さっき、どんな仕事でも文句は無いと言ったじゃろ」

「そうだけど! 流石にこれは想定外だよ! あれは『どんな雑用でもする』って意味だって!」

「どんな雑用でもする覚悟があるのなら、船長だってやれるじゃろ」

「いやその理屈はおかしい!」

「ぶっちゃけ素人に妾の船をいじられたくない。でも面倒は見てやるのになんの仕事もさせんでただ遊ばせておくのも面白くない。妥協案として『なんも船長』じゃ。おまえさまだって雑用を山ほど押し付けられるよりよっぽどいいじゃろ。楽じゃし」

「『なんも船長』とは言っても、船長であることに変わりは無いんだよ! どんな理屈を並べたって、船長がトップである事実は動かないんだ! 最終的な責任は全部船長が背負わなくちゃいけないの! もちろん船の命運や乗組員クルー生命いのちに関しても! ボクには荷が重すぎるって!」

「これまで子供のカグヤでも問題無かったんじゃ。へーきへーき」

「いやいやいやいや」


 さらに苦言を呈そうとするボクをツバキは無視し、


「それともうひとつ! いいかおまえたち! 今言ったとおり、このイサリこそがカグヤの捜していた『だんなさま』じゃ! なのでおまえたちはイサリのことを『船長』ではなく『旦那』か『若旦那』と呼んでやれ! 見てのとおりイサリは『船長』と呼ばれること自体抵抗があるようじゃからな!」


「「「「「へいっ!」」」」」


 わぁ良い返事☆


 本当の本当にそれでいいのかオッサンたち。

 アンタらもう考えるのが面倒になってるだけなんじゃないのか。


「妾もイサリのことを、今後はカグヤの『だんなさま』という意味で『旦那様』と呼ぼうと思う!」


 …………ん?

 いや、それはどうなんだろう。

 それだとあなたもカグヤと一緒にボクのところへ嫁ぐみたいじゃん。


「「「「「え?」」」」」


 ほら、さしものオッサンたちもキョトンとしてるよ?


「ツバキ……?」


 カグヤまで怪訝そうな顔でツバキの背中を見つめている。

 ……と思ったら、一瞬で何かを理解したらしく、「ああ……なるほど」と呟いて額に手を当てて溜め息をついていた。


「なんか様子がおかしいなと思っていたら。そういうことだったんだね。……まあ、わかってたけどね。こうなるだろうなって。予想よりは早かったけど」


 え、何?

 何に納得したの、このコ。


「これから先のことを考えると、わたしも今のうちに最悪のケースを覚悟しておいたほうがいいのかなぁ」


 だからさっきからなんの話をしているの⁉


「イサリさま、船長さんになるんですね! すごいです! 船乗りさんになるという夢がもう叶っちゃいましたね!」


 見ればルーナはその場でぴょんぴょん飛び跳ねて、がことのようにボクの船長就任を喜んでくれていた。……あー、そういやこのコには、将来の夢の話をしたっけ。


 ……キミにそんなに喜ばれてしまったら、『船長なんて絶対やらないからね!』とは言えないじゃん……。

 さっき『どんなことでも頑張る』って言っちゃったばかりだもん……。


「よし、これで話はまとまったな! では出発じゃ!」

「――さあ、だんなさま。だんなさまにとっては記念すべき処女航海だよ。号令をお願い☆」


 ツバキとカグヤの言葉に、ボクは最後にひとつ溜め息をつき、そして覚悟を決めた。


「……わかったよ」


 仕方ない。今日はきっと『そういう日』なのだ。諦めよう。


 これまでの平穏な日常に愛想を尽かされ、運命の奔流のような何かに流されて小舟のように翻弄されるしかない日。


 こうなったら自棄やけだ。

 いつか地球に帰還して、晴れて船乗りになれたその日に備え、この船でいろいろと学ばせてもらおうじゃないか。


 漁船に乗って家業を何度も手伝い、手作りの丸木舟で内海うみわたったことすらあるボクも、まさか初めての船長就任、そして処女航海を、異世界とも言える月の海で経験することになるとは夢にも思わなかったけれど……。


「どうせ『なんも船長』の仕事なんて、それほど多くはないんだ。せめて号令くらいはおもいっきり威勢よくやってやろうじゃないか」


 ボクは各自持ち場につくオッサンたちを横目に、カグヤとツバキ、そしてルーナと一緒に船体後方、船尾甲板クォーターデッキへ移動する。


 そして昔読んだ本などで得た知識を思い出しつつ、記念すべき処女航海の、記念すべき初の号令を掛けた。



総帆そうはん展帆ひらけ!」

「「「「「了解サー!」」」」」



 ……思えば、今日は本当にいろいろなことがあった。


 海に落ちたルーナを助けるため自分も飛び込んだり。白鯨くじらに呑み込またり。この月の海に漂着したり。カグヤやツバキと出逢ったり。謎の半魚人に襲われたり。不思議な実のチカラで『変身』して戦ったり。


 けれどたぶん――ボクの本当の冒険は今ここから始まるのだ。






        序章 了

        1章へつづく


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