♯5 可愛い仙女様と、不思議な実を食べた



「■〇▽×☆◎▲◇★⁉」


 なんだこれ……。マジで何語なんだ? フランス語? ドイツ語? イタリア語? それともロシア語? サッパリわからん。

 なんとなーく、語順なんかの言語の構成というかルール的なモノは日本語に近いような印象を受けなくもないのだけれど……。アジア系の言語なのかな? でも、中国語や韓国語では無さそうだ。あと、アイヌ語でも無いと思う。

 相手の顔貌がんぼう、黒い髪、肌の色……そういった外見的な特徴は日本人そのものなんだけど。むしろ日本語でないことが不思議なくらいなんだけど。


「あのオッサンの表情や語気、身振り手振りなどから察するに、ボクたちは今、何か訊かれているっぽいなぁ」

「何を訊かれているんでしょう?」

「わからない……ただ、ひとつだけ確かなことがあるよ」

「なんでしょう?」

「何を訊かれているのかわかったところで、大して意味が無いということさ。こちらがしゃべれない以上はね」

「身も蓋も無いです……」


 でも事実だからなぁ……。


 帆船の船首楼フォスクル甲板デッキ……こちらより10m近く高い場所から、何事かを一生懸命訴えている、作務衣さむえみたいな紺色の装束しょうぞくに身を包んだ三十代くらいのいかついオッサンを見上げ、ボクは『何をおっしゃってるのかわかりません』の意をめて肩をすくめてみせる。


「☆◎▲◇★■〇▽×っ!」


 ヤベエ。怒らせてしまった。別に馬鹿にしたワケじゃないんだけど。


「イサリさま。あのかた、もしや、この鯨さんが邪魔だから退かせろと仰ってるのでは?」


 いや、そんなことを言われても困るぞ。こいつに直接言ってくれよ。『ねい!』って。


「あるいは、この鯨さんを捕獲するにはわたくしたちが邪魔だから、そこを退けと仰ってるのかも」


 え⁉ 捕獲する気なの⁉ この馬鹿デカいシロナガスクジラを⁉ いやまあ確かに鯨の肉やあぶらひげ、骨なんかは、古来より人々の間で重宝されてきたらしいけども! マジで⁉ ってことはあの船、捕鯨船ってこと⁉


 ……いや、流石にそれは無いんじゃないかなぁ……。

 じゃああのオッサンは何を訴えているんだと訊かれても困るけれど。


「参った……どうしたらいいんだ」


 とりあえず土下座でもしておくかなぁ。

 ……って、んん?

 なんだ? 甲板の上あちらさんが騒がしいな?


「なんか、大勢でワーワー騒いでる……?」

「わたくしたちの処遇を巡って口論でも始まったのでしょうか」

「何それ怖い」


 でも、気のせいかな? ここからだと何も見えないけれど、これ、みんなで言い争っているというより、誰か一人をみんなで必死に説得している……あるいは制止しているって雰囲気なよーな……?


「あのオッサンも背後を見て妙に慌ててるし……。なんなんだ?」


 とか呑気のんきなことを言っていたら、


「「えっ⁉」」


 次の瞬間、目に飛び込んできた光景に、ボクとルーナは大きく目をみはることとなった。


 タッタッタッ、と勢いよく助走する足音のようなモノが聴こえたと思ったら、誰かが目の前の帆船ふね甲板デッキへり踏切板ふみきりばん代わりに、走り幅跳びのように跳躍したのだ!


 そう――ボクのほうへ向かって。


 ……なお、先程も言ったけれど、彼我ひがの高低差は10m近くある。

 ついでに言うと、帆船あちら白鯨こちらの距離も同じくらいある。


 その高さを――そしてその距離を。

 その人物は、おもいっきりジャンプしたワケだ。


「「ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ⁉」」


 言うまでもなく、無理・無茶・無謀すぎる行為だ。……普通なら。


 驚きのあまり、ボクもルーナも身動みじろぎひとつ出来なかった。

 出来たことといえば、目を丸くし、絶叫することだけ。


 いっぽう脅威の大ジャンプを見せたその人物は、おそらくは最初からそうするつもりだったのだろう、両手を広げ、抱きつくようにボクの胸の中へ飛び込んできた。


「げふっ!」


 ボクは避けるワケにもいかず――ボクが避けたら相手は白鯨の背中に顔面からダイブだ――その人物を胸で受け止める。

 そしてそのまま引っ繰り返った。

 結果だけを見れば、押し倒された形だ。


いだだだだだだ……っ!」


 ぜ、全身が! 海に飛び込んだときに痛めた全身が! 悲鳴を上げているっ!


「はわわわわ……」


 見ればルーナはペタンとその場に尻餅をつき、口元を手で押さえプルプルと戦慄わなないていた。よっぽど驚いたらしい。大の字になって引っ繰り返っているボクと、ボクを押し倒し、今はお腹の上に馬乗りになっている人物を見つめるその顔からは、完全に血の気が引いている。


「☆◎◇▽っ!」


 ボクのお腹の上に馬乗りになっている人物が、何事か訴えてきた。


「と、とりあえず、そこから退いてくれないかなぁ……?」


 ボクは(通じないとわかってはいたが)そう言って、その人物の姿をそこで初めてマジマジと見、


「………………っ」


 息を呑んだ。


 そこに仙女がいた。


 あるいは天女かもしれない。


 見た目、年齢としは十二歳くらい? 明らかにルーナよりも少しだけ年上おねえさんだ。

 からすのような美しい黒髪をリボン代わりの月下美人でツーサイドアップにした、瑠璃玉ラピスラズリのような色合いの可憐な瞳が魅力的な女の子――。

 ルーナが『人間として存在してもおかしくない限界ギリギリを狙ったかのような美少女』なら、この女の子は『人間離れした、本来この世に存在するはずがないレベルの美少女』と言えた。

 身に纏っているのは動きやすいように袖や袴などの丈を短くした巫女装束のような衣装で、やはり仙女や天女のそれを彷彿ほうふつとさせる。

 そして何より、その身に纏う空気、気配がどこかおごそかというか……神々しい。


 ボクにそっちの趣味は全く無いのに、つい見惚れてしまった。

 圧倒されてしまったと言ってもいい。

 もし、このコの年齢があと少しでもボクに近かったなら、間違いなくボクは一目惚れしてしまっていただろう。

 危ない危ない。分不相応な恋をしてしまうところだった。


「……イサリさま? 大丈夫ですか? もしかして動けないのですか?」


 押し倒されたまま、ぼうっと見惚れていたボクに、怪我の心配をしてくれたのか、表情を強張らせたルーナが訊ねてくる。


 お陰でようやく我に返ることが出来た。


「だ、大丈夫。鯨が良い感じにクッションになってくれたから。……ねえ。キミ。あんな無茶をして、ボクが避けたらどうする気だったの?」

「◇▽☆◎っ!」


 うん。やっぱ何を言っているのかサッパリわかんねえや。

 わかるのは、このコの声が天上の音楽かと思わせるほど澄んだ音色だってことだけだ。可愛い。


「◇☆!」


 とか思ってたら、女の子が自分の胸元、左右のえりの間にズボッと右手を突っ込み、ゴソゴソとまさぐり始めた。


「あ、あのー、キミ? 異性ボクの目の前でそういうことはしないほうがいいんじゃないかなー」


 あっ、ほら、見えちゃう! そんな無造作かつ大胆に胸元を弄ったりしたら、見えちゃいけないトコが見えちゃうってば!

 誰かこのコを止めて!


「………………」


 ルーナが(無言で)ボクの目を両手でサッと覆ってきた。

 あっそうか。ボクが目を閉じればよかったんだね。ルーナさんナイスアシスト!

 でも急に視界を遮られると吃驚びっくりするから、やる前に一言言ってほしかったな……。


「………………」


 しばらくして、ルーナが(やはり無言で)ボクの目を覆っていた手を離す。


 クリアになる視界。

 真っ先に目に飛び込んできたのは……、


「◇□☆◎!」


 満面の笑みを浮かべた女の子が、両手で差し出してきた見慣れない果実だった。

 形は洋梨に似ている。サイズは大きめの蜜柑みかんくらい。色は青林檎あおりんごなんてメじゃないくらい濃い緑色で、表皮には形の崩れた三日月に見えなくもない模様が浮かんでいた。


 ……何これ? 見たことない果物なんだけれど。


「◇□、☆◎!」


 女の子がズイッと果実を突き出してくる。たぶん『あげる』『食べて』と言ってるんだろうけれど……。まさか出会いがしらに食事を勧められるとは……。

 何? こっちにはそういう文化でもあんの? 初対面の相手にはお近付きの証として食べ物を差し出す文化とか。

 ていうか、どうしたらいいんだこれ……。良好な関係を築くには遠慮なく頂戴するべきなんだろうけれど……。


 でもこの幼女、今、左右の衿の間からこのを取り出さなかった?

 え? てことはこの幼女、自分の胸の谷間から取り出したモノを食べろって言ってるの?

 字面だけを見たら痴女の所業だよ? それ。


 ていうかこの実、色味がちょっと…………な感じなのだけれど。

 毒は入っていないと信じるにしても、酸っぱかったりしない? あるいは食べたら身体がゴムみたいになったり、急に泳げなくなったりしない?


「◇●×▼□?」


 中々実に口をつけようとしないボクに、毒を警戒していると思ったらしい女の子はしゃく……と一口自分でかじり、しっかり嚥下えんげしてみせる。そして、


「△×◎□!」


『ほら大丈夫だよ!』と言って(推測)、実をボクの唇にグイッと押し付けてきた。


「もがっ」


 どころか、口の中に押し込んできた。

 いやそこキミが口をつけたトコ……と止める暇も無かった。


「△〇■◇☆?」

「イサリさま⁉」


 ……あーもうっ!


 口の中へグイグイ押し込まれる実を、笑顔の女の子と顔面蒼白のルーナが見守る中ボクは齧り嚥下する。間接キスについては……この際、気にしないことにしよう。このままだと窒息死しそうだし。それに相手はまだ小学生くらいの女の子だしね。


「△■◇☆♪」


 それを見て、女の子はようやくボクの口から実を離してくれた。


 果たして味のほうはと言うと、


「⁉ 甘っ。美味うまっ」


 すごくジューシー! すごく蜜たっぷり! 何これメチャクチャ美味い! これまで食べたどんな果物よりも美味びみと言ってもいい! 見た目はあんなに酸っぱそうだったのに!


「っ」


 ボクが感想を言い終わるか言い終わらないかのうちに、ルーナが女の子の手から実をひったくって、かぷっと齧りつく。

 このコにしては珍しく強引というか……無作法な振る舞いだ。


 ……そんなにお腹が空いてたの?

 それとものどが渇いていたのかな?


 あ。そこ、ボクが今、口をつけたトコ……。

 まあ、いいか。小学生だし、まだそういうのを気にしない年頃なのだろう。わざわざ指摘して意識させることもあるまい。意識させた結果、慌てて『ぺっ』って吐き出されたりしたら、ちょっと……いや、かなりショックだし。


 実をゴクンと嚥下したルーナは、ほぅ……と熱い溜め息をついた。

 よっぽど美味しかったのか、ニヘラァ……とちょっと情けない感じに相好そうごうが崩れてしまっている。


?」


 


「うん。確かに。正直驚いたよ」


 ボクは答え、そして一拍置いて違和感を覚えた。


 ……あ、あれ? このコ、今、日本語で喋らなかったか?

 なんで急に日本語を喋れるようになったんだ? それとも今まで喋れることを隠していただけなのか?


「緑色の実にはね、異なることを操る者同士を繋げるチカラがあるの。あの実を食べたことで、あなたたちは意識せずともこちらの言語を聴き取り、紡げるようになったんだよ」

「は……?」


 ……このコ、今、非現実めいたことを言わなかったか?


 異なる言の葉を操る者同士を繋げる実だって? つまり食べただけで自動翻訳スキルを入手できるってこと? 何それ? どこの未来の世界の猫型ロボットのひみつ道具さ?(いや、あれはコンニャクだっけ?)


「信じられない? まあ、そうだよね。閉ざされし姉星あねぼしから流れ着いたばかりの身には、こっちのモノはどれもこれもワケがわからないよね。この実も、この海の生き物も、わたしたちの身なりなんかも」


 閉ざされし姉星……?

 それはもしかして地球のことか?


 ……この口ぶり。

 やはり『ここ』は地球では――


「キミはいったい……。それに『ここ』は――」


 戸惑うボクと、そしてボクと女の子のやり取りを黙って見守っていたルーナに、女の子はニッコリ笑ってこう言った。



「ようこそ、――ルナマリアへ」


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