不連続人間 灰音鉄矢

上面

灰音鉄矢(ではない)

 都市に今日も血の雨が降る。殺人鬼やヤクザ者、殺し屋が大通りをひしめき合う。

大通りに面したかつては洒落た喫茶店だったこの店も降りしきる雨や血や脳漿で汚れ、死体が横たわるばかりだ。今更こんなことで騒ぎ立てるような市民もいない。

 俺が着る真夜中暗殺(株)という社名の入った黒いレインコートは穴だらけになっていた。俺の身体にももちろん穴は空いている。

「お前は何だ?」

 硝煙の立ち昇るガトリング銃を構えたこの店の店主は呆然としていた。

 これだけしこたま銃弾を撃ち込まれて平然としているとは思わなかったんだろうな。

「真夜中暗殺(株)の灰音鉄矢だ。名刺もいるか?」

 鉄製の名刺入れから自分の名刺を取り出し、頭部に投げつけた。頭蓋骨を貫いた名刺は店主の脳を破壊した。

 罪人は簡単にこの世を去ることができない。この程度で死ねるような人間は善人に違いない。俺はこの世で最も罪深い人間を知っている。戒厳司令官だ。

 俺はそれに及ばずとも罪人であり、まだこの世を去ることを許されてはいない。



 この街では殺人経験の無い人間の方が少ない。誰もが誰かを殺している。

 手を汚さないで生きることができるのが一番だとは思うが、そんなことを実現するのは難しい。

 近所の廃ビルの中に通販で買ったマネキンを並べる。今日は朱音に銃の撃ち方を教えようと思う。

「重い」

 朱音は拳銃の重さに不満そうだった。銃がそんなに軽いわけないだろ。

 黒髪を背中まで伸ばし、動きやすい服装として小学校の指定ジャージを着ている。

 朱音は灰音鉄矢の姉の娘で、今年で十歳になる。そろそろ拳銃の打ち方くらい覚えてもいい年だ。灰音鉄矢の姉が死んでからは俺が保護者やっている。だから俺の考えで育てて、最終的に大企業の事務職か戒厳司令部配下の憲兵に入れる。大企業の事務職は狭き門だが、街中を歩いていきなり殺される危険は低い。戒厳司令部配下の憲兵も同じだ。余程頭のネジの外れた殺人鬼でも無ければ喧嘩を売るような命知らずは居ない。

 俺は朱音をできるだけ安全なルートに導いてやるつもりではあるが、何者かに襲われても自らの身を守れるようにする。

「それが人間の命を奪う重さだ。よく覚えておけ」

 人間の命を奪う重さというもののは極めて軽いものだ。一㎏にも満たない鉄の塊から射出される数十gの礫で人は死ぬのだ。それを朱音はよく知っておく必要がある。

「こんな重い物をこれから持ち歩かなきゃいけないの?」

 あからさまに不満を露わにしているが、これからずっと持ち歩いている内に慣れる。俺は不平不満を聞き流す。

「予備弾倉もあるぞ」

「えー。可愛い僕は箸以上重い物は持てなくて辛いよ」

 朱音をちょっと甘やかし過ぎたと思った。

 

 

 今日も真夜中暗殺(株)の暗殺事業は好調で、俺は都市の裏に表に出向き、人を殺していた。俺がどんな罪を犯したのか。誰も知ることはない。夜空の星は知っているのかもしれない。

「俺にも家族がいるんだ。妻のお腹には子供がいて……見逃してくれ」

 今日のターゲットは独創性の無い命乞いをしてきた。ターゲットは普通の会社員カンパニーマンらしいグレーの防弾ジャケットと消音装置付きの拳銃という一般的な装備。つまりは同業他社の人間だ。暗殺業に就いているのだから殺されたりもするだろ。命乞いをしているとはいえ、眼の光は消えていない。この場を切り抜けるために脳みそを回転させていることが見て取れる。

「お前もさあ。そういう命乞いの言葉は聞き飽きているはずだろ?」

 俺は右手を硬く握りしめる。

「ククッ。見逃しちゃあくれねえわな」

 泣いても笑っても機会は一度、引き攣った笑い声と共に銃声が響いた。 

 拳銃から弾丸が発射されるが、俺はそれを気にせず相手の顔面に拳を叩き込む。

 顔面が陥没し、後頭部から脳漿が吹き飛んでいった。俺の額を銃弾は貫通していたが、こんなものではどうあがいても死ねない。



 報告書を書いて今日は早めに上がることにした。

 暗殺業務以外にも仕事はいくらでもあるが、今日は特別だ。

 今日は朱音の誕生日。ケーキ屋に予約したケーキを取りに行く。

「貴様、そこで止まれ」

 ケーキ屋に向かう住宅街の狭い道を歩いていると憲兵の制服を着た女に止まるように命令された。見た目は二十代ほどに見えるが、その威圧感は自然災害の如く感じられる。

「貴方は……」

 彼女を知らぬ者はこの街に居ない。神聖にして不可侵たる唯一者。都市最強の独裁者。古今無双の天下人。つまりは戒厳司令官だ。

「久しぶりだなあ。放蕩息子」

 俺はこの方の下から長い間離れていたが、見つけられてしまった。

「我々に遺伝的繋がりはありません」

 俺はもちろん。そして灰音鉄矢も戒厳司令官と遺伝的繋がりはない。

「つれないな。俺が魂と意志を与えてやったのにな。まあいい被造物とはそういうものだ」

 戒厳司令官は俺に魂と意志を与えられた。俺は研究者たちに命を与えられ、彼女に魂と意志を与えられた人造生物七号。元から人間ではない。元はただのタンパク質の塊だ。人間の脳を喰らいその脳に刻まれた記憶を自分のモノにする能力とあらゆるモノに変化する身体を持つ人造生物だ。

 十年前に研究室を脱走して、俺は本物の灰音鉄矢とその姉を殺した。俺は灰音鉄矢の脳を喰らい、その記憶を奪った。それから俺は灰音鉄矢として朱音を育てている。俺は罪を犯した。俺は灰音鉄矢という人間の存在を奪い取った。その罪を償う必要がある。

「戒厳司令官閣下、自分を処分されますか?」

 生死はずっと前から戒厳司令官の掌の上に乗っている。抗うことはできない。自然現象に誰も打ち勝つことができぬように。

「今更そんなことせんよ。そうだな。この先のケーキ屋に用事があるのだろう。通ることを許す」

 戒厳司令官はそう言って、俺を許した。脱走した実験体は処分するのではないのか。戒厳司令官の考えることは分からない。

「閣下の慈悲に感謝申し上げます」

「その顔を奪い、今日まで誰にも入れ替わりに気づかれず生きてきたのだろう。それならば貴様もこの都市に生きるただの人間の一人だ。戒厳司令官は都市に生きる臣民一人一人に関心を払っている暇はない」



 ケーキを持って自宅のあるマンションのエントランスに入る。

「お疲れ様です。あれ?それどうしたんですか?」

 自動小銃を持ったマンションの警備の人間に話しかけられる。何年も住んでいれば世間話するくらいにはなる。

「朱音が誕生日なんだ。たまには保護者らしいこともしようと思ったわけだ」

「そうなんですね。おめでとうございます」

 エレベーターに乗って五階へ。自宅の一室に入る。

「僕の誕生日忘れてなかったんだ。驚き」

 朱音は俺の手元にあるケーキの入った箱を見て驚く。自分の誕生日を祝ってくれないと思っているのか。毎年祝っているが。

「忘れるわけないだろ」

 それから俺はケーキにロウソクを十一本刺した。

「十一歳の誕生日おめでとう」

 俺は朱音から彼女の両親を奪った。まだ赤子だった朱音を殺せなかったから俺は彼女を育てることにした。彼女が無事に俺の手元から離れることこそが俺の贖罪なのだ。



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