A LO■T WOR■D(ア・ロスト・ワールド)【短編児童小説コンテスト用】
乙島紅
第一話 嘘から出たまこと
——ねえ、今日はいっしょに「異世界に行く方法」考えよう?
あの子がそう言って放課後の図書室に入ってきたとき、イサムは「また始まった」と思うだけで、たいして違和感を覚えることはなかった。
彼女、
ファンタジーな物語が大好きで、どこか夢見がち。
ウソも本当のように話すから、クラスの女子の間ではあまり良くないウワサがあるらしいけれど、イサムは別に気にしない。ウソか本当かどうかは知識があれば見抜くことができる。学年一頭が良いイサムはそう信じていた。
それに、彼女がウソをつくときはたいてい話を面白くしたい時だ。悪意があるわけじゃない。なにより彼女がウソを交えて語る話は、純粋に面白かった。あらゆる本を読んできたイサムでもワクワクさせられる、彼女はそんな才能の持ち主だった。
だからこの時も、イサムは「異世界なんてないよ」なんてヤボなことは言わなかった。
「いいけど、なんで異世界なの」
「異世界、行ってみたくない?」
「んー、場所による。ドラゴンとか魔王とかいる世界だったら大変そうだし」
「そっかあ。わたしはどんな場所でもいいけどな。……この世界よりは」
スミレが隣に座ると、生乾きの洗濯物のような臭いがした。相変わらずボサボサの手入れされていない髪。よれてシワだらけの服。あどけない顔に新しく刻まれた青いあざ。
彼女はこの世界を嫌っている。
それを知っているイサムは少しだけ目をそらし、「そうかもね」とあいづちをうった。
スミレは何かを出そうとランドセルを開ける。ごそごそと探っていたが、やがて「あ」とつぶやいて手を止めた。
「前にイサムからもらった自由帳、家においてきちゃった」
悲しそうにしょんぼりと肩を落とすスミレ。
親に自由帳を買ってもらえないと言うので、余っている一冊をあげたのだ。
彼女はその自由帳に自分で考えた物語を書いてはイサムに読ませてくれていた。
「自由帳ならまだあるよ。ほら」
ランドセルに入れっぱなしで使ったことのないまっさらな自由帳を渡すと、スミレはきらきらと目を輝かせた。
「わ、表紙ドラえもんだ! いいなあ」
「そうか? ドラえもん好きなの?」
「うん、好き。タケコプターとか、どこでもドアとか、あこがれだもん」
本当はキャラものはちょっと恥ずかしいと思い始めているイサムであったが、スミレに羨ましがられると悪い気はしない。
スミレはイサムの自由帳を開くと、手のひらに収まるくらい短いえんぴつをぎゅっと握る。早速書き出すかと思いきや、彼女はそのまま時間が止まったかのようにしばらく動かなかった。横顔は長い髪に隠れて見えない。
「……ねえ、イサム」
「うん?」
「もし本当に異世界に行けたら、イサムもいっしょに行ってくれる?」
少しだけ震えている声。
異世界……異世界か。
イサムの頭に凶悪な魔物やドラゴンがよぎる。
言葉は通じるのか? 食事は口に合う? 病院は? ……トイレは?
正直、家族で海外旅行に行くたびに日本が一番過ごしやすいと思うイサムである。
ましてや異世界。ここではない別の世界。
行きたいか行きたくないかで言ったら、本当にどんな場所かによるのだが……と、そこまで考えて、これは空想の話だったと気づく。それなら別に、本心のまま答える必要はない。
「行くよ」
「本当!?」
「あ、でも最近のアニメとかでよくあるような『死んで異世界転生』ってのはナシな」
すると彼女は「ふふふ」と笑った。
「だいじょうぶ。死なないやり方、グリムさんに聞いてきたから」
「グリムって、あの河原にいる人?」
「うん。イサムも知ってるんだ」
「ああ、まあ……。フシンシャだからあんまり近よるなって親に言われてて」
「グリムさん、フシンシャじゃないよ。わたしにやさしくしてくれるもん」
少し気を悪くしたのか、スミレは口を尖らせる。
グリムというのは、近所の河原でよく見かける本名も年齢もよく分からない青年のことだ。いつも同じ緑色のつば広帽とつぎはぎのローブをはおって、動物の角でできたような妙な笛を吹いている。誰かがいつしか「グリム」と呼び始め、それが子どもたちの間でも広まっていた。
イサムも何回か見かけたことがある。そのうち一度は風邪で早退した日、つまり平日の昼間だ。こんな時間に河原でぶらぶらしているなんて、学校にも仕事にも行っていないのだろうかと疑問に思ったのを覚えている。
確かにあの浮世離れした青年なら、異世界に行くだなんて突拍子もない話に乗ってくれてもおかしくはなさそうだ。本当にそんな方法があるかどうかは別として。
「えっとね……まずはこうかな。『一、なるべく大きなカサをじゅんびすること。子ども用のカサではなく、お父さんが使っているようなカサがのぞましい』」
スミレが自由帳にすらすらと書き出していく。
イサムはそれを横から覗き込んだ。
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二、おり紙に行きたい世界のことを書き、紙ヒコーキにすること。おり紙はだしおしみせず、金色のものを使うべし。
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三、紙ヒコーキをカサのてっぺんにくくりつけること。
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四、強い風でカサがひっくりかえらないよう、内がわをタコひもでしばってコテイすること。
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「え、ちょっと待って。異世界に行くのって、カサで風に乗っていくわけ?」
「そうだよ。『メリー・ポピンズ』みたいにね」
スミレはさも当然という顔。瞳には光が灯り、きらきらと輝いている。
このモードに入った彼女に「それは映画の話でしょ」なんて水を差すのはご法度だ。
だったらと、イサムも鉛筆を持ってその下に書き足す。
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五、自転車のヘルメットを着用すること。
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「ヘルメット? なんで?」
「カサで飛ぶなんてムボウビすぎるだろ。だったらせめて、頭だけでも着地のショウゲキから守らないと」
「おおおおっ。さっすがイサム、あたまいい!」
「んー、それにカサで飛ぶとなるとタイクウ時間がどれくらいになるか分からないから……」
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六、非常食として、カサの内がわにお菓子をくくりつけておくこと。
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スミレが自由帳の端にお菓子がじゃらじゃらぶら下がったカサの絵を描き、うんうんと満足げにうなずいた。
「いいねいいね。やっぱりイサムがいると心強いよ」
「だろ。スミレちゃんの案だけじゃあぶなっかしいからな。んで、こっからはどうする? カンジンの、異世界に行く方法は……」
「ふっふっふ。よくぞ聞いてくれました」
スミレはどこか芝居がかった風に不敵に笑うと、スラスラスラっと鉛筆を走らせる。
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七、リコーダーで「空とぶじゅもん」を吹くこと。風にあわせ、とび箱のときみたいに地面をけったら、異世界への旅の始まり。
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「え、リコーダーなの?」
正直なところ、もっと突拍子もないアイディアが出てくることを期待していた。
まあでも、小学生で考えられる範囲といえばこれくらいだろう。どうせあくまで「創作」なのだし、自分たちが面白ければなんでもいいか。……なんて、小学生らしからぬ考えにふけっていると、スミレは再びランドセルを開け、リコーダーを取り出した。
ピロロロロロ……
聞いたことのないメロディー。
ドレミファソラシドじゃない、中途半端な音も混じっている。
「ちょっとスミレちゃん、図書室でリコーダーを吹くのは」
先生に怒られる、と言いかけたその時。
窓の外からビュンッと強い風が吹きこんだ。
分厚い深緑色のカーテンがなびき、自由帳のページがぱらぱらとめくれ、二人の鉛筆はコロンと床に転がり落ちる。
やがて風は収まり、図書室に静寂が戻ってきた。
一体、何が起きたんだ?
唖然としているイサムに、スミレが首を傾げて微笑む。
「ね? 空、飛べそうでしょ」
「はは……そんな、まさか」
これは偶然。きっとただの偶然だ。
「空とぶじゅもん」なんてありえない。非科学的すぎる。
今のはたまたま風が吹くタイミングに合わせて彼女がリコーダーを吹いただけ。
そういえば、今朝の天気予報で台風が近づいていると言っていた。風が強くなっていてもおかしくはない。
スミレは異世界に行くという話に「それっぽさ」を持たせるために、このタイミングを狙ったのだ。
きっと、そうに違いない……。
体験した事象を否定するためにぐるぐると思考をめぐらせていると、額からつうと汗が垂れてきた。
その汗がやけに冷たく感じたのは、無意識のうちに「予感」していたからなのだろうか。
その日の晩。
彼女——武部スミレは行方不明になった。
事故か、それとも誘拐か。
何日もかけて大規模な捜索が行われたが、手がかりは何一つ見つからず。
三年の時が経った今、世間は彼女の存在すらも忘れようとしていた。
彼女の唯一の友人、赤塩イサムを除いて……。
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