第4話

【オレオレコールの沈め方】


* * *


世の中には詐欺が溢れかえっている。


特に高齢者をターゲットにした詐欺は、オレオレ詐欺と世に浸透してなお後を断たない。


だから、高校一年から不登校になり、以降絶対的ニートの自分にも簡単にできるのではないかと──ついソシャゲにのめり込み課金してしまい、キャリア決済の請求額を見て真っ青になったところで思いついた。電話さえあればいいのだ。


──これは、数年前に愚かなるニートが手を染めた、卑劣なる犯罪の記憶である。


* * *


まずは、電話帳を開いた。今どき電話帳に個人情報を載せてしまうような人間ならば、その時点で隙だらけだ。大丈夫、きっと出来る。


なるべく、フミ子とかサダ江といった片仮名が使われている、いかにも高齢者らしい名前を探してみた。これが案外多い。


犯罪に足を踏み入れる恐れに胸をざわめかせながら、吉野ツル与さんに電話をかけてみると、数回のコールで繋がった。


「もしもし?」


「あ、お、俺だよ、俺」


「誰?」


「俺だよ、俺。分かるだろ?」


「誰? あんた誰よ?」


「だから、俺だってば──」


「だから、誰かって訊いてんでしょうが!」


「──!」


怒鳴られて、反射的に電話を切ってしまった。ツル与さんは怖いお年寄りだと分かった。もっとソフトな、おっとりした人を探そう。下手な鉄砲数撃てば当たる、だ。挫けるには早いと言い聞かせる。


次は、斉藤ノブ江さんに電話をかけてみた。すると、すぐに出てくれた。


「もしもし、どなた?」


「俺だよ、俺」


同じ言葉を繰り返す。一瞬の間をおいて、ノブ江さんが明るい声を出した。


「ああ、ヒロシ?」


「そう、そうヒロシ……」


「あ、間違えた、うちの子の名前はタカシだわ」


「──!」


やられた。ガチャンと電話を切ってしまった。


「くそっ、何で……」


電話帳をめくり、自棄になりながら適当に見つけた番号をプッシュする。郷田サエ子さんが次のターゲットだ。


「──はい、郷田です」


「もしもし、俺だよ、俺」


「……俺?」


「俺、俺だよ、母さん」


「俺って、ねえ……あんた達皆声が似てるんだから、電話の時は名前言えっていつも言ってるでしょうが! 母さんがオレオレ詐欺に遭ってもいいっていうの? 大体ね、あんた達はいつも無精なのよ、家を出てからロクに顔も見せないで、せめて年賀状くらい寄越しなさい! そんなだから、いまだにお嫁さんも貰えないのよ! その甘えた根性が社会で通用するとでも思ってるの? 今日はとことん言わせてもらいますからね!──」


「──!」


マシンガン説教トークに泡を食って電話を切ってしまった。サエ子さんは怒らせると怖いと分かった。


もう、こうなったら誰でもいい。最初に抱いていた恐れは、連続する失敗によって完全に麻痺していた。


電話帳から、目についた番号をプッシュする。


「はーい、もしもし?」


声の感じは自分の母親くらいの年齢だろうか。何となく話しやすそうな感じがした。俄然、勇気が湧いた。


「母さん、俺だけどさ」


「もしかしてヨウスケさんなの?」


まさか自ら乗ってきてくれるとは。これならいけると調子づいた。


「そうヨウス──」


「いえ、その声はマサルさん?」


「いや、あの、俺は……」


「そうやってどもる癖があるのはタケオさん?」


一体何人心当たりがいるのだ。


「母さんとにかく、……」


「よく分からないから息子に代わりますね! ちょっとあんた、お姉ちゃん達の旦那さんのうちの誰かなんだけど、代わってくれる?」


「──!」


息子に代わられては詐欺がバレてしまう。とっさに電話を切ってしまった。天然そうな人だったのに、侮れない。


ちくしょう、何でうまくいかないんだ。しかし、まだ諦めるのは早いかもしれない。世の中の詐欺師は、手を変え品を変え、根気強く頑張っているのではないだろうか?


だとしたら、話し方を変えてみるのもいいかもと思い、今度はフレンドリーな口調で試みた。


「もしもしオレオレ」


「どちら様?」


「俺だよオレオレ」


「え? 誰? 誰?」


「俺だよ俺、分かるでしょ?」


「オーレーオレオレ~♪ 分かった、ブラジル人だ!」


「──!」


からかわれた。グローバル化社会恐るべし。もう話を続ける意欲を削がれて、とっさに電話を切ってしまった。


どうして誰も騙されてくれないのだろうか? 不登校後ニートの自分には、話術とスキルが足りないのか。


心が折れそうになりながら、それでも諦められずに電話帳を凝視した。独り暮らしのお年寄りに当たれば、うまく騙せる可能性がある。


自分を奮い立たせて、電話番号をプッシュした。


「はい、どちら様?」


おっとりした柔らかい声に、これを求めていたのだと期待が高まる。知らず、弾んだ声音になっていた。


「俺だよ! 分かるだろ?」


「ああ、貴方……貴方なのね……」


「そう、俺──」


「もう一度声を聞きたかったの。あの後ね、旦那とは別れたのよ。私はもう自由の身なの。だから会えるわよね?」


どうやら、不倫相手? と勘違いしているらしい。声は間違いなくお年寄りの女性のものだ。対して、自分の声はまだ若い。何年前の別れだったのか疑問があるものの、これなら騙せるかもしれない。


「ああ、会えるよ。だから、交通費を……」


「いいえ、元はといえば私から好きになったんだもの、私から会いに行くわ。電話をくれたって事は私をまだ愛してくれているのよね? 今から貴方の部屋に行くわ。玄関の鍵を開けておいてちょうだい。もう二度と離れないわ……命が尽きる時も一緒よ……一緒に地獄へ堕ちましょうね……ああ、幸せ……ピンクのドンペリを美味しそうに呑み干していた貴方の顔が浮かぶわ。今度こそ身も心も結ばれるのね……貴方はいつも上手いことを言ってごまかしていたけれど、本当は私を欲しいと思っていてくれたのね……」


「──!」


背筋に冷たいものが走って、とっさに電話を切ってしまった。うっとりとした声が、粘りながら絡みついてくるようで恐ろしかった。非通知でかけておいてよかった。番号を通知していたら、間違いなく追いつめられていたと思う。


それにしても、なぜこんなに手強いお年寄りばかりなのか。電話を前に考え込み、そこで、自分の息子設定が甘いことに気がついた。柔軟な対応も必要なのだ。


あと一度、頑張ってみよう。


そう決めて、電話帳を無作為に開いたページの目についた番号をプッシュしてみた。


「……もしもし?」


「あ、母さん、俺だけど」


「……その声はマモル? マモルなの?」


向こうの声がすがりつくような響きを帯びる。よく分からないけれど、乗るしかない。


「そうだよ母さん、マモルだよ」


「ああ……何てこと、まだ成仏できてなかったなんて」


「──!?」


「そりゃあ、あんたはロクな最期じゃなかった。遊びで罪もない女の子に手を出して弄んで刺されて……母さん、悲しい以上に情けなかった。でもね、もう五年経つのよ。いい加減、三途の川を渡りなさい。渡し賃がないの?」


マモルはどうしようもない男だったらしい。それはともかく、渡し賃というキーワードに閃いた。チャンスだと信じた。


「そうなんだよ、渡し賃がなくて……だから、母さんに貰えたら……」


「母さん、六文銭なんて古いお金持ってないわよ」


「いや、えーと、今は改善されて、日本の現行通貨全て使えるようになったんだよ。それを俺が指定する霊媒師に渡せば、その霊媒師が三途の川まで届けてくれるから……」


「……あんた、母さんを馬鹿にしてるの?」


しまった。あまりにも都合よく話を作りすぎたか。声は明らかに怒気を含んでいた。


「代々続く霊媒師の家系で、母さん以上の霊媒師はいないの。いえ、世界に母さんの右に出る霊媒師はいない。あんた、三途の川で五年間うろついてる間にそんな事も忘れるなんて……情けない! いいわ、もう母さんがあんたを冥土に送ってやる!」


「え、あの、母さ──」


「我は祈る者なり、迷える魂をあるべき所へ導きたまえ、さもなくば影残らず滅したまえ、八百万の神に……」


「──!」


唸るような声に恐ろしくなって、とっさに電話を切ってしまった。


もう、心は折れるどころか粉々になっていた。電話帳を閉じ、放心する。電話をかけた様々な相手の声が、頭のなかを駆け巡り自分を打ちのめした。


自分には、あまたの修羅場をくぐり抜け生活を築き上げ、生きるという個人の歴史を刻んできた猛者には、どうしても勝つことなどできないのだ。何という敗北感。犯罪に手を染めずに済んだ安堵と入り交じり脳みそが常温のゼリーになってしまったような錯覚をおぼえる。


……明日、コンビニに行って、無料で置いてあるアルバイト求人冊子を貰ってこよう……。


ぼんやりと、そう考えた。


──こうして、オレオレ詐欺は失敗に終わった。皆手強かった。


* * *


休憩時間に入った事を知らせるチャイムが鳴り響き、上司から「今やってるの終わったら休憩入って」と声をかけられる。


俺は検品していた製品から顔を上げて「はい」と声を出した。始めの頃は「はい」の一言さえ言いにくかったが──その為にアルバイトさえ転々とした──この勤め先では上司がとにかく良い人で、挫けて辞めようとする俺を何度となく「もう少し頑張ってみよう」「今諦めたら挫折だけが繰り返された経験になるよ」「ここまで頑張れたんだから、君にも出来るからさ。だから少し辛抱して粘ろうか」と引き留めてくれたお蔭で仕事にも周りにも少しずつ慣れていく事が出来た。かれこれ1年以上勤められていて、最近誘われた職場の飲み会では、その上司からお祝いだと言って直売所のホールケーキを頂いて少し泣いた。


検品が一段落して喫煙所に向かい、煙草を吸う。一息ついて、不意に思い出すのは俺を沈めたお年寄り達だ。彼女達は手強く、さすが人生の熟練、百戦錬磨の猛者と呼ぶべき人達だった。


今頃どうしているだろうか?


犯罪者になりかけた俺を打ちのめして真人間にしてくれた、あの人生の大先輩であるご婦人方は。


──詐欺のニュースは今朝もスマホで見かけた。この成功してしまった詐欺犯罪の裏では、その何百倍もの反撃と第二第三の俺がいる。そう確信している。


「……煙草あと1本吸えるか」


ペットボトルのコーヒーを口直しに飲んで喉を潤し、俺は新しい煙草に火をつけた。


あの時、人を騙せなくて良かったなあと思いながら。



【完】

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