夢路より帰りて

眠い

眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠いねむい……


睡魔には敵わない。

僕は今眠りの淵に立っていて、向こう岸ではなにか、暖かく、美しく、キラキラしたものが手招きしている。

今すぐ、目の前の、深く横たわる川へ飛び込んで、泳ぎきり、あの暖かなものに触れたい。

ああ、しかし一つ足を踏み出せば、清らなる水の流れはもうそこに無く、鉄錆のような鈍色が澱んでいるだけ。

その鈍色にザブザブと分け入った僕は、水底から伸びる無数の腕に絡みとられ、鼻から口から鉄錆のにおいを吸い込んで、もがくのだ。


これは夢だ。

悪夢だ。

酸素の欠乏によってでなく、ただ水底の仄暗ほのぐらさの重圧で、僕は喘ぎ、苦痛の叫びを上げる。

動かない四肢を必死で前へと進め、進め、進め……。

思考がぼやける。

これは夢だ。

そう、夢なのだ。


楽しい音楽が聴こえる。

僕は体を揺らし、それに聴き入る。

次の瞬間、僕の頭の中にあった暗闇は全て消え去り、ただあの暖かなものが目の前にあると感じた。

川を泳ぎ切った僕は、今、輝く草原くさはらでそれと対峙している。

それが何か分かる。どれほどに尊いものかということも。

そしてそれは、その美しさの分だけ、儚く悲しいものなのだと、僕には分かってしまう。

細かな粒子になって零れ落ちてゆくそれをいだいて、泣いた。

救えないことが何よりも悔しく、救えない自分が何より憎かった。


零れ落ちた粒たちを攫うのは、風ではなかった。

さらいを生業なりわいとする薄汚い手が、粒を掻き集め、袋に入れて持ち上げる。

「やめろ」

僕は叫んだ。

攫い屋は袋を担ぎ、飛ぶように逃げてゆく。

「やめろ!」

追い駆ける僕の足は重い。

待て、そうだ、もう一歩で追いつく。

あと一歩、もう一歩……。

攫い屋のコートに指が掛かろうか、とその時、誰かが僕を揺り動かした。


いけない、まだ起きてはいけない。

あれを取り戻さなくては。

大切な、僕の大切なあれを。

でないと僕は……。


覚醒に向かう脳を、意識して眠りの底へ押し込めようと試みるが、上手くいかなかった。

失ってしまう。全て。

大切なものを失ったまま、永遠に手の届かない場所へ逃げられてしまう。

いけない。

起きてはダメだ。

……何故? 何故起きてはダメなのだろう。

……あれを、取り戻さなくては。

……あれとは何だった?

……美しくて儚くて、僕の大切な。

……何故奪われた。

……分からない。

……誰に奪われた。

……あいつだ。

あいつだ、あいつだ、あいつが奪った、あいつだ。


目を覚ますと、僕の目の前にはあいつがいた。

僕の大切なものを奪った。

取り戻さなくては。


「なんで」

「返せよ」

「返せ!」


僕はそいつの首をギュウギュウと締める。

両腕を突っ張り、握力の限り、まるで万力のように締め上げる。

そいつが動かなくなるのに、さほど時間はかからなかった。


目の前にあるのは……何だ。

胃から迫り上がるものを抑えることができず、僕は盛大に嘔吐した。

違う、僕じゃない。

夢だ。これはきっと、悪い夢だ。


いつまでも覚めることのない、夢。

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