第269話 さようならランドルフ
「やめておくのだお嬢さん。彼の力が分からないわけではあるまい」
円柱型の水槽から見下ろすオースタンス。サーラサーハも誰かの声を待っていたのかもしれない。手に浮かべていた魔力を霧散させると諦めたかのように肩を落とす。その姿を見てオースタンスは安心するとルセインに視線を転じた。
「君、いや、ルセイン君といったか? 私の仲間と娘が迷惑をかけた。長い間眠っていたが、君の中に存在する魔王の波長を受け、久方ぶりに目が覚めた。ワルクーレ! 私の意志を捻じ曲げてくれたようだな。この惨状は君たちが招いたのだろう?」
「オ、オースタンス! ば、馬鹿な! 意識を戻すことなど」
ワルクーレが金切り声を上げると、不快そうにしたオースタインが目を閉じ何かを念じる。
――その直後、ワルク―レが身体を震わせる。ワルクーレはその場に痙攣しながら受け身も取らずに頭から倒れると、地面に横たわったまま動かなくなる。
「奴の両手両足を拘束し、目を隠すのだ。後はその身が朽ちるまで誰にも会わせなければ、奴が再びこのようなことを起こす心配はない。さて、ルセイン君、再度聞くことになるが、君はここの施設を破壊するつもりかね?」
「いえ、俺は仲間と共にこの国から無事に出られればいいんです。この国をどうにかしようなどとは考えていません」
「そうか。ならば問題はないな。私の姿を見てミドガーとワルクーレが焦ったのだろうが、後二百年は問題なくこのシステムを維持できる」
ルセインを支えているオリビアが口を開く。
「一つだけ聞きたい。ここにいる人たちは貴方達が無理やりここに連れてきたの?」
「そんな事はないよ、お嬢さん。彼らに共通して言えるのはこの国の平和を願ったことだ。その想いを胸に皆、この場にいる」
「なら良かった。それだけが気掛かりだった」
「なら……次は私が良いかしら?」
続いてランドルフがオースタンスと向き合う。少し戸惑いながら、果たして自分が話していいものかと迷うような素振りを見せたが、拳を強く握ると口を開いた。
「オ―スタンスさんがこの国を思っているのは理解したわ。でもね、隊長と、いえ、カルディナと話をしてあげて欲しいの! カルディナは今でも父の貴方と会いたいと強く願っているわ!」
オ―スタンスは目を閉じ逡巡していたが、やがてゆっくりと目を開ける。
「娘には悪いことをした。私は何も言わずにこの場所に来た。あの時は二度と会うつもりはないと決意したが、結局のところ悔いが残った……」
ランドルフが安心したのか大きく息を吐く。ルセインやアヤカ、オルタナもカルディナには複雑な思いがあるのは間違いない。しかし、ルセインは後ろにいるガイブとアヤカに目配せをするとこの場を去ることにする。
「みんな、そろそろ行こうか?」
ルセインがオリビアに支えられながらランドルフの元に向かうと、残りの者達もそれに続く。一番、先頭を歩くガイブがランドルフに口元を向けると牙を見せる。
「最後の戦闘では役に立てなくて申し訳なかった。俺はしばらくルセインと行動を共にするつもりだ。そこで、一つ願いがあるのだが聞いてもらえるだろうか?」
「お願い? 私で聞けることなら何でも言って!」
「ナンナの事なのだが、ここにはルピナスもいる。人の世で独り立ちできるまでここで面倒みてやってくれないか? ナンナにはそれとなく言ってあるし、ランドルフとルピナスの事も気に入っているようだ。ここで人間社会の事を教えてやって欲しい」
「ナンナちゃんなら大歓迎よ! 貴方とナンナちゃんの事だから私もとやかくは言わないけれどたまには顔を見せてあげてね」
ガイブは再び歯を見せるとランドルフに向けて頭を下げそのまま部屋を後にした。
「ランドルフはカルディナの元に残る? 一緒に行く気はない?」
次いでオリビアが声をかける。ランドルフがこの後、どうのように行動するかは理解している。しかし、聞かずにはいられないのだ。仲間との別れはいつどのような時であっても寂しいものである。
「オリビアちゃん……。私、寂しい。でも――」
「何も言わなくていい。気持ちは分かっている。また、会いに来る」
ランドルフは無言で頷くとオリビアと握手を交わす。
「じゃあな、ランドルフさん! あんたとの付き合いは長かったが何度となく助けられたぜ! セリィと俺が式を挙げるときは、是非参加してくれよ」
「私は貴方ほどイケメンの無駄使いしている人間を見たことないわ。セリィちゃんも貴方と同じ苦労人よ。これからは二人で仲良く暮らしなさい」
握手を交わそうと出された手に予想を越える力がこもっており、オルタナがクルクルと振り回される。ランドルフが恥ずかしそうに笑みを浮かべると、オルタナは小さく手を上げ、それにランドルフも応えた。
「わ、私、寂しいです。本当に一緒に行かないんですか?」
アヤカの両目から留まることを知らない涙が溢れ出る。激しく動揺しており、俯きながらランドルフを直視することができない。
「私が隊長についてあげなかったら、誰が隊長と一緒にいてあげるっていうの?」
今にも泣きそうな目をするアヤカ。そんなアヤカの頭に手を置くランドルフ。自身の目にたまった涙を太い指で拭うとアヤカの耳に顔を寄せる。
「貴方もルセインちゃんと上手くやりなさいよ。私はオリビアちゃんも好きだけど、付き合いが長い分、貴方を応援しているわ。私の勘だけど、ルセインちゃんも満更でもないと思うわよ」
「えっ! それって――」
再び口を開く前にルセインがランドルフの前へと立つ。
「あの、迷惑もたくさん掛けましたが、俺……ランドルフさんと旅ができて良かったです!」
ランドルフに差し出した手が勢いよく掴まれると、その勢いのまま鋼鉄のような胸板にそのまま引き寄せられる。
「あ、ありがとうね! 貴方がいなければ隊長を救う事はできなかった。貴方には酷いこともしたけど本当に感謝してるわ!
目より蛇口の壊れたような涙がでる。今まで耐えてきた涙が、最後の別れで溢れ出たようだ。ルセインの頭を濡らした涙を手で払いながら、その胸板からルセインを離す。
「これからどうするの?」
「はっきりとは決めていませんがロザリオに戻って傭兵稼業でもしようかと考えています」
「傭兵? また物騒な仕事に戻らなくても……」
「いや、自分でいうのもなんですが俺に敵う敵もいないでしょうし、それに俺の将来を考えると傭兵をしながら考えるのも悪くないと思うんです」
ハッキリとしない物言いにランドルフは眉根を下げ、困惑したような表情を見せるが、やがて何かに気付いたのかルセインの肩に手を置いた。
「そう。傭兵はある意味では貴方に向いていると言えるわ。皆でたまには遊びにきてね!」
「はい!」
ランドルフに向けて直角に腰を曲げると、しばらくの間、頭を下げ続けた。
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