後日談②


 一年遅れの皇太子叙任式典、それから披露宴が行われた。マクナイト伯爵、並びに伯爵夫人は、何の障害も無しに共に出席した。伯爵は前年からのエッジワーズ領地での政務に付きっきりで、二人が再会するのは実に半年ぶりだった。式典がなければ、会うのはもっと先になっていたかもしれない。二人はピッタリ寄り添って、片時も傍を離れなかった。

 

 二人の姿は他の貴族からも注目の的だった。このまま独身貴族かと思われたマクナイト伯爵の王命による突然の結婚。相手がどんな女性なのか、今か今かと待ち望んで、やっと今日、公式の場に姿を現したのだ。顔が知られている皇太子よりも、エリシアの方がお披露目という意味では主役に相応しかったかもしれない。何せ貴族たちは、三度の飯より噂話が大好きなのだ。

 エリシアの姿は、驚きをもって迎えられた。白い肌に小さな唇。頬に赤みか指して、紫の瞳は濡れたように煌めいていた。愛らしい顔立ちをしている。何よりも目を引くのはその黒髪。滝のようにたっぷり腰まで流れていた。

 黒髪はこの国では外の国の者という印象がある。フェルナンド卿の娘らしいが、親はどちらも金髪の筈。ということは──


 ヒソヒソと囁かれる声。エリシアは真っ直ぐ前を見据えていた。マティアスが肩を抱いて顔を寄せた。

「綺麗だと、皆が言っている」

「まさか」

「綺麗だ」

「…ありがとうございます」

「受け答えは全て私がする。聞かれても何も答えなくていい」

 エリシアが頷くと、マティアスは一瞬だけ笑みを見せて、背を伸ばして前向いた。エリシアも向き直った。


 そんな二人に声をかける者が現れた。エリシアは、ぎょっとした。慌てて礼を取る。

「やあ、元気?」

「これは陛下。ご機嫌麗しゅう」

 マティアスは顔色一つ変えず答えた。臣下がかしずくのを王座にて見届けなければならない一国の王が、こうしてわざわざ足を運んで来た。それだけ二人を目にかけている証拠であり、周りの貴族を黙らせる効果もあった。

 そんな真意を知らないエリシアは、ひたすら恐縮していた。きっと何か粗相をしてしまったのだろうかと思っているのだろう。安心させるように背中に手を回し支えた。

「妻もこうして健康で、陛下による御威光の賜物です」

「嫌味かな?」

「まさか」

「もうすぐワルツが始まる。夫人を貸してくれるか?」

「新婚なもので。ご勘弁を」

 それは残念、と王は首を振った。存分に楽しむといいと言い残して、あっさりと、二人から離れていった。


「──と思ったらね、また戻ってきて、子は出来たか?ってお聞きになられたなの」

 話を聞いていたハンナは微妙な顔をした。披露宴を終え、直ぐにマクナイト領に戻っていたエリシアは、こんなことがあったとハンナに打ち明けていた。

 湯浴みを終えたエリシアの髪に香油を塗り布で巻き上げる。しばらく馴染ませてから乾かすと、艷やかになる。エリシアは肘掛椅子に持たれて、重い頭を支えた。

「ハンナ、あのね…ちょっと耳貸して」

 ハンナが耳を寄せる。他に誰もいないのに、こしょこしょ話を始めた。内容を聞いて、ハンナはまたも微妙な顔をした。エリシアも少し恥ずかしそうにしている。

「エリシア様…私が何か言える立場ではありませんよ」

「で、でも、ハンナ以外に誰にも言えないわ」

「いっそご本人に話しては?」

「…女からなんて、はしたないわ」

 エリシアは顔を伏せた。巻き上げた髪が崩れそうになったので、ハンナはその前に素早く解いて、櫛で丁寧に梳いた。

「マティアス様がお忙しいのは誰もが知る所ですし、エリシア様に問題があるわけでは無いと思いますよ」

「…あの方は、過去の罪を償うように接して来られる時がある」

「エリシア様…考えすぎですよ」

「自らお仕事に打ち込んで、ご自分を追い込んで、でも私には疲れた顔を一切お見せにならない。これって夫婦なのかしら」

「夫婦ですよ。間違いなく」

 エリシアの気は晴れないらしい。ハンナもどうにかしてあげたいが、やはり使用人からは何もしてやれない。話を聞いてやることしか出来ない。

「でも、何もなさらないのはどうかと思いますね」

「でしょう!?」

「あ!動かないで!髪が痛みます」

 振り返ろうとするエリシアを慌てて制する。エリシアは前を向いて肩を落とした。

「私だけが望んでいるのかしら」

「…余りお嬢様には申し上げたくないのですが、お父上様はよく娼館に行ってましたし、二人のお兄様も愛人を何人も囲ってました。マティアス様はエリシア様一筋で、そういった事はなさりませんが、男は狼と言いますし、本当は相当我慢なさってると思いますよ」

「…私、頑張って聞いてみます」

「それがよろしいかと…御髪、仰いで乾かしますね。もう一人いた方が早く終わりますから、少々お待ち下さい」

「ええ…お願い」

 ハンナはメイドを呼びに行って姿を消した。エリシアは胸に手を当て考え込んだ。


 実際マティアスは超多忙で、翌日にはエッジワーズ領に出立することになっていた。エリシアはあれから何度も言おう言おうと思っていたが、恥ずかしさが勝って言えず、夜が終わり朝になり朝食を終えて、あっという間にお見送りの時間になってしまった。エリシアは言わなければと焦っていた。

 何も知らないマティアスは、エントランスでエリシアに別れを告げた。行ってらっしゃいませとエリシアが言ったら、この人は行ってしまう。エリシアは言わなければ、と口を開いた。

「あ、あの…」

 マティアスの後ろ、控えている従者たちが目についた。彼らの仕事を邪魔するわけにはいかない。

 そんな気が急に芽生えて、エリシアは思わず、

「行ってらっしゃいませ」

 と言ってしまった。マティアスが頷く。さっと馬車に乗り込んで、走り出そうとする。

 マティアスがこちらを見ている。少し微笑んでいた。今、これを逃したら次はいつ帰ってきてくれるのか分からない。エリシアは駆け出した。

「エリシア様!」

 ハンナが呼び止める。馬車は既に走り出していた。エリシアは必死に後を追った。

「待って!待って!」

 すると馬車の扉が不意に開いた。マティアスが身を乗り出すと、さっと飛び降りた。何も知らない御者は走り続けている。ただならぬ様子のエリシアに、マティアスは駆け寄って肩を支えた。

「どうした!?何があった?」

「…レ、あ、マ、マティアス様…ごめんなさい」

 エリシアはボロボロ泣き出した。マティアスはぎょっとして、追いついてきたハンナを睨みつけた。

「誰だこんな目に遭わせた奴は」

 貴方ですよと答えるわけにはいかない。ハンナは取り敢えず頭を下げた。

「ハンナ」

「私からは…申し訳ありません」

「…エリシア、落ち着いてくれ。今日は出立は取りやめる。何でも話してくれ」

 エリシアは首を横に振った。マティアスは優しく抱きしめた。


 落ち着いてから、エリシアはポツポツと話をした。まさかそんな話になるとは全く予想していなかったマティアスは面食らった。長い沈黙。マティアスは立ち上がると、外に控えていたハンナとソルを連れてきた。

「聞きたいんだが、エリシアは…女性から見ても痩せていると思うか?」

 二人は顔を見合わせた。ソルが答えた。

「ええ、とても」

「こんなに細い人が、その…身籠ったりでもしたら、危険じゃないか?」

 ハンナは合点がいった。マティアスがエリシアを抱かないのは、エリシアの身体を気遣っての事だったらしい。

「…カサンドラ様も、細い方でした。体質を受け継いでらっしゃいます」

「無事に産めたのか?体調は?」

「私はその時は仕えてませんでしたから」

「心配だ」

 マティアスは真剣に深刻に言った。ともかく理由は判明した。エリシアは自分の腕を見た。気にしたことはなかったが、確かに、痩せているかもしれない。

「マティアス様、私、お医者様に診てもらっていますし、今年になってから一度も熱を出しません。ですから、その…マティアス様さえ良ければ…」

「……………」

 マティアスはハンナとソルに目配した。二人は静かに退出した。

「陛下の余計な一言を気にしているのなら」

「違います…少しはそれもありますが、違います。私が…望んでおります」

 顔を赤らめて告白する妻を見て、マティアスは頬にそっと触れて、親指で唇に触れた。

「出立を十日後に遅らせる。タダ飯ぐらいの子爵に働いてもらえば、問題ないだろう」

 エリシアはゆっくり目線を向けた。マティアスの視線もエリシアに注がれている。

「…緊張するな」

 マティアスは小さく言った。彼の顔は全く普通なのに、頬に触れる手は物凄く熱かった。エリシアは今日の夜の運命を悟った。


 

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