本当のこと(本編終わり)
翌日、エリシアのみが呼ばれ、謁見の間へ。エリシアが入るなり王は直ぐに王座を離れて手を取った。
「改めてマクナイト伯爵夫人、よく来てくれた」
「…陛下におかれましては」
「挨拶不要。来てくれ」
「え?…っきゃ…!」
腰を抱かれ引っ張られるように連れて行かれる。幾重もの扉を通った先には、一人の老夫人がベットに横になっていた。息も絶え絶えに苦しそうな顔をしている。
「このお方は…」
「母だ」
グランドマザー、王太后とも呼ばれる。エリシアは一気に緊張した。
王は簡単に説明した。
「病でな。もう長くない。挨拶も聞こえないだろうから、顔だけでも見せてやってくれ」
「いいのでしょうか。私なんかが」
「余が許しておる」
おずおずと近くへ。グランドマザーはエリシアに気づくなり、大きく目を見開いて身じろぎした。震える手が伸びてきて、エリシアは咄嗟に両手で握った。
「カ…カサンドラ…」
母の名を呼ばれ、どきりとする。
「…許しておくれ…私は何も知らなかった…」
グランドマザーの目からは一筋の涙が。そのまま静かに目を閉じた。
もう二十年は昔の話らしい。当時、王妃だったグランドマザーは、披露宴で一際注目されていた踊り子に心奪われたという。大層な踊りだったそうで、褒美を与えることにした。が、受け取らない。ならばと、もっと褒美を与えようとするが、受け取らない。王妃は王に相談した。王族からの褒美だから気後れしているのだろうと、この件はエッジワーズ伯爵に任せた。後日、褒美を受け取ったと報告があり、ホッと胸を撫で下ろした。しばらくして踊り子の舞いが見たくなり探させた。するとエッジワーズ伯爵が隣国へ出国したと知らせてきた。それきりとなって、すっかり踊り子の存在を忘れていたのだが…
「踊り子に惚れた伯爵が、無理やり自分のものにしたそうだ。そしてそなたが産まれた」
「…………」
「自慢気に話してきてな。自分には黒髪の美しい娘がいるから、是非、可愛がってほしいとな。あいにく余には更に愛らしい正妃がおるからと取り合わなかったのだが、話を聞いていた母はもしやと調べさせたらしい。それで、そなたの存在が発覚した」
「王太后様は、母が不幸に見えたのでしょうね」
「とはいえ過去は過去であり、いくら王族でも貴族でない者のために伯爵に罰を下すことは出来ない。しかしそなたが貴族であれば話は別だ。今後になるが、そなたに被害を加える者が出てきたならば、余の差配によって罰を与えよう」
貴族であれば幸せだという考えは実に貴族的だ。結婚させれば幸せだという考えも。でも全てが終わった今、エリシアは確かに幸せだった。なんであれ王の判断は間違っていなかったことになる。エリシアは王にうやうやしく頭を下げた。
グランドマザーが亡くなったので、皇太子叙任式典も、祝宴も取りやめになった。葬儀が終わり次第、エリシアとマティアスはマクナイト領へ帰国した。
二週間ぶりの我が家。ソルとハンナが出迎えた。すると二人はエリシアを見るなり顔を見合わせた。エリシアは首をかしげた。
「どうしたの二人とも」
ソルとハンナが内緒話のように二人だけで話をした。それから、ハンナが伺うように尋ねた。
「あの…エリシア様…ますますお綺麗になって…向こうで何か美容でも受けられたんですか?」
「え?」
エリシアは思い当たって顔を赤らめた。
正式に夫婦になり、別で部屋も与えられていたが、大抵はマティアスの私室で過ごした。仕事中はマティアスは執務室だが、ちょっと暇ができれば直ぐにエリシアに会いに行った。食事は勿論一緒に。寡黙だがエリシアにだけは何でも話した。エリシアも何でも話した。
春になると庭を一緒に散策した。かつて過ごした小屋。今は庭師の居住になっていた。エリシアがコツコツ育てていた野苺が実っていて、指を指してマティアスに知らせた。
「好きなのか?」
「野苺だけが好きなわけではないですよ?実の付けるものも花を咲かせるもの、何でも好きです」
「希望の花があれば庭師に伝えておけばいい。直ぐに植えてくれる」
「はい、まだお時間ありますか?あちらまで行きたいです」
「勿論」
そんな二人を少し離れてソルとハンナは微笑ましく見守っていた。
夜の「アルヴァ」
いつもどおり店を切り盛りしていたオットーは、やって来た来客に仰天した。
「カサンドラ!ハンナも!…それと、レオンか?」
意外な組み合わせだったのだろう。一人だけ疑問符で呼ばれたレオンは自分を邪魔者だと思ったのか、酒を注文するとかつての席に向かっていった。それを見送って、エリシアは小さな袋をカウンターに乗せた。
「助けていただいてありがとうございました。オットーさんには本当にお世話になりました。あの時はろくにお礼も言えなくて、こうして再会できて良かった」
「そりゃこっちのセリフだよ。あれからずっと気になってたんだよ。無事が知れて本当に良かった」
「こちら、馬代です。お納めください」
「いらねぇよ」
「私の為に受け取ってください」
「…じゃ、もらう」
オットーは頭を掻きながらつまみあげた。
「またここで働いてくれるかい?」
「…すみません」
「いや、いいんだ。忘れてくれ。レオンとはバッタリ会ったのか?今も出禁扱いだが、嫌なら追い出すぜ?」
そういえばそんな事になっていたと思い出した。エリシアは顔を横に振った。
「実は、結婚しまして」
「結婚?そりゃめでたい!」
「レオンさんと」
途端、オットーは黙った。ちょうどレオンにビールを渡そうとしていたオリビアを引き止めた。オリビアはカサンドラに気づいて、笑顔になって手を振ってくれた。エリシアも手を振りかえした。
「オリビア、ビール十本だ」
「え?なんでさマスター」
「レオンのヤツ、カサンドラと結婚しやがった」
するとさっきまで笑っていたオリビアの顔から笑顔が消えた。物々しい雰囲気が漂っていた。エリシアはハンナを見る。ハンナもよくわからないらしい。同じく当惑していた。
オットーは奥からフライパンを持ってくるとカンカンと鳴らし始めた。けたたましい音に客が一斉にオットーに注目する。オットーは大きく息を吸い込んだ。
「みんな聞いてくれ!我らが女王、カサンドラが戻ってきた!」
突然の暴露。エリシアはびっくりしてハンナの腕にしがみついた。ハンナもエリシアを庇うように後ろに下がらせる。
客は紛れもないカサンドラの姿に徐々にざわめき、最後は大きな歓声となった。するとオットーはまたフライパンを叩いた。
「しかし!なんとカサンドラ女王はもう踊らないそうだ!なぜだか分かるか!?」
なんだ?なんでだ?と素直に客が口々に言う。
「そこにいるレオンっていう輩と結婚したからだ!」
名指しされたレオンに今度は注目が集まる。レオンは周りの男たちからの殺気を受けて対抗するように睨み返した。まるで罪人の吊るし上げのような状況。一気に緊張が高まる。
しん、と静まり返る。それから誰かが、決闘だ、と言った。
「決闘だ!」
「決闘!決闘!」
決闘だなんてとんでもない。エリシアは止めさせようと身を乗り出そうとした。オリビアが止める。
「離してっ」
「大丈夫、見てて」
オットーは運ばれてきたビールを片手五本ずつ持ってレオンの元へ。テーブルに全て乗せる。オットーはレオンに顔を近づけてニヤリと笑った。
「よって決闘だ。五本先に飲んだほうが勝ち。どうする?逃げてもいいんだぜ?」
レオンはチラリと並べられたビールに目をやった。
「俺は最初に一本頼んだ。ハンデをやろう。六本だ」
「そうこなくっちゃな」
直ぐに追加が運ばれる。レディーファイの号令と共に両者が一気にグラスを煽った。
帰りの馬車の中。エリシアに膝枕されているマティアスは、すっかり酩酊して静かに寝息を立てていた。
オットーの勝負に僅差で勝利したマティアスだったが、それから駆けつけたニールともう一勝負して、それにも勝利すると、突然倒れ込んだ。心配するエリシアに、居合わせた客たちは、あっけらかんとしたもので、コイツは昔から酔うと寝るタイプなんだよと教えてくれた。
オットーが転がして仰向けに寝かせた。
「水飲ませて寝かしときゃ明日にも響かねぇよ。俺にハンデつけて勝つとは大した野郎だ。嬢ちゃん、コイツは謎が多いが一途なんだ。良い奴かも分かんねぇが嬢ちゃんが選んだんだ。きっと良い奴なんだろう。幸せになれよ」
「はい…ありがとうございます。ニールさんも」
「コイツに酷いことされたらすぐ頼ってくれ。ここの奴ら総出でレオンをボッコボコにしてやるよ」
エリシアは苦笑した。
そして馬車の中。マティアスは薄く目を開けた。ずっと様子を伺っていたエリシアは直ぐに気づいて、顔を近づけた。
「マティアス様…もうすぐお屋敷ですから、もう少し待ってください」
聞こえているのかいないのか、反応なくエリシアを見ている。マティアスの口が僅かに動く。エリシアは聞き取れなくて、また顔を近づけた。
「マティアス様?」
「……だ。おれの、ほんとうのなまえ、レオンだ…」
「…そう、だったんですか……レオン様…」
するとレオンは子供のように嬉しそうに笑って、また寝息を立て始めた。思いがけない夫の可愛らしさを知って、エリシアの胸はうるさかった。
気持ちを落ち着けようと外を見る。夜の街、灯りも絶えて寂しい景色。夜空は晴れているから、この人が目覚める頃には、世界全てが美しい景色を見せてくれるだろう。そんなことを思いながら、エリシアはまた最愛の人の名を呼んだ。
〈終〉
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