せわしない喧騒にチョットだけ
高幡夢道
はるばるオタクが来た
「女を乗り継いでここまで来た」
そいつは脂ぎった額をハンカチで拭ったのち、指紋がべっとりとついた眼鏡を拭きながら、そう言った。
この島に越してきたのは小学6年生の夏だった。父の転職がきっかけでここに住み着くことになって、幼かった私は転校に鬱屈とした思いであったが、すぐに島の人や風景、何よりゆっくりとした時間の進みが性に合い、家族が島を離れた後も、ひとり島に残り、暮らすほど気に入っていた。
今夜も私は、海岸をぶらぶらと散歩していた。小学生の頃から、おんなじところを散歩しているので、中学生の終わりの頃には少々風景にも飽きてきたが、15歳の誕生日に一眼レフカメラを買ってもらってからは今まで気づかなかった島の発見や、島民の柔らかな表情を散歩しながら撮るのが好きで、この習慣が途切れたことはない。成人を迎えてからは、散歩の途中に会った島民と一杯酒を飲み交わす楽しみも覚えて、最近はそちらを目当てに散歩することもあった。
酒場や住居のある所から少々離れた静かな海岸を散歩していると、遠くから男が歩いてくるので、いつものように一眼レフカメラを構えた。しかし、ピントがうまく合わないので、一度カメラの設定をし直そうと目線を外した。私はF値やら云々を設定し直して、カメラを構えるとレンズに大きな黒目が映っていたので、私は驚いて声をあっと出してしまった。
「島の女性の方ですか?」
と、声をかけられたが、男の歩く速度が想像以上で驚いたのと、見知らぬ男と久しく話しておらず、緊張から喉がきゅっと締め付けられ、声が上手く出なかった。
「ごめん、ごめん。驚かせてしまったね。そんなつもりはなかったよ。」
と、優しく、紳士に謝る姿に少し緊張は解けたが、声になるのはまだ時間がかかりり、不自然な間で、「ここの島の女です。」と、答えた。
「ここの島の女性に会いに来た」と、言うのでどのような女性かを、私は尋ねると、男は「あなたのような女性だ」と答えた。この島の若い女性は、高校を卒業すると島を出ていくので、私のほかに若い女性はいないと伝えようとしたが、その寸前で男が私のカメラに興味を持ち、話題はカメラに変わってしまった。
「私もこうしてカメラを持ち歩いてるんですよ」
男は首につるされた、黒く、重々しいカメラを自慢げに持ち上げ、煙草のヤニで黄ばんだ歯をニっと見せて笑った。随分と新しいカメラだったので、「いつからカメラを趣味にしているんですか?」と聞くと、男はここを訪れると決めたときからだと、答えた。
私は、カメラという共通の趣味で心が緩み、今まで撮ったこの島の風景や、大好きな島民の写真を自慢気に見せびらかし、ついに、この島の南端には素晴らしいスポットがあるから写真を撮りに行こうだとか言ってしまった。
男は「とてもいいですね」と快く受け入れてくれて、二人で南を目指して歩き出した。
キラキラと星が青く映し出されている海面と白く柔らかな砂浜は男を興奮させた。額から汗を吹き出しながら、靴を脱ぎ、目を輝かせて前進する男を見て、私はこの島にはこんなにも素晴らしい景色があって誇らしいと再度思った。砂浜を男と二人で歩いているとなんだか、私はこの男のことを知りたいと思ってしまった。
「どこから来たんですか?」
「横浜です」
運命だと思った。私も横浜出身であったから、嬉しかった。ここで、はしゃぐのは恥ずかしいと思ったので、私は気持ちを堪え、ひょうひょうとした態度を装って「同郷ですね」と男に返答した。
そこからスポットまでは、話が弾み、島では感じられない速度で時間が経過していった。いつしか、南端に着くないでほしいと願うほどであった。
あっさりと着いてしまった。二人で断崖絶壁の海岸に腰掛け、今まで歩いて見てきた海面以上にきらきらとした海を見渡し、ひたすらに水平線を眺めた。いつも見ている景色よりも、今、私の目の前に広がっている景色は、神々しく、いい香りすらすると思った。
男の方をちらりと見た。視界にわずかに入ったカメラを見て、写真を撮りに来たことを思い出した。
「この景色をバックに写真を撮りましょうか?」
「いや、いいよ。風景なんか興味ないから。私はただの女オタクですから」
と、男は言うとカメラの画面を私に見せた。そこには夥しい量の裸体の女たちが映っていた。中には血だらけで助けを求めるかのようにこちらに手を伸ばしていた。
「私は、女を乗り継ぎ、あなたに会いに来たのだよ」
海面は星一つなく、ざわめいていた。
せわしない喧騒にチョットだけ 高幡夢道 @TAKAHATA0207
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