第一話 金髪のパニュルジュと銀髪のベルトラン

 第一話 金髪のパニュルジュと銀髪のベルトラン


 昔、フランスの最果て、ブルターニュ地方に住む、仲睦まじい夫婦のもとに、一人の美しい娘がいた。


 ある日、娘が家の手伝いで、岩に覆われた荒野と美しい湖沼の間に広がる深い森に薪を取りに行くと、人食い鬼が彼女の美しさに惹かれて姿を現し、力尽くで攫った。


 人食い鬼は頭に角が生えた、身長二、三メートルはある巨人で、棍棒を武器として使い、深い森や山の奥を棲み家としている。


 人間よりも体が大きくて、力が強いだけでなく、人間や動物に化ける事もできる。


 昔から人食い鬼を敵に回すのは、武勇に長けた騎士であっても命懸けの事だった。


 娘の父親は、家の事は妻に任せてあちこち探し回り、山中の洞窟で、愛する一人娘をようやく見つける。


 ——私は人食い鬼の妻となり、鬼の子どもを産みました。


 娘は母親の自分と同じ人間の血が半分、夫である人食い鬼の血が半分、その身に流れる、『ロベール』と名付けた、頭に角が生えた可愛くも恐ろしい男の子を紹介した。


 父親はやっと見つけた娘とロベールを連れて、人食い鬼のいない間に船に乗り込んで逃げようとした。


 だが、洞窟に戻ってきた人食い鬼は、妻である娘が逃げ出した事にすぐに気づいた。


 人食い鬼は彼らの後を追いかけ海の水を飲み干し船ごと捕まえようとしたが、ロベールが機転をきかせ一行は無事に逃げ出した。


 ロベールは母親の生まれ故郷の村ですくすくと育ち、燃えるように赤い髪と空のように青い瞳をした、端正な顔立ちの美しい少年となる。


 ただ、燃えるように赤い髪から、鬼の角が一本、覗いていた。


 少年は年齢を重ねるにつれて鬼の角が立派になっていくのをひしひしと感じ、自分が人食い鬼と人間の娘の間の子である事を意識させられた。


 そう——本当なら父親である人食い鬼のように山奥の洞窟の中で、影に潜んで生きる存在なのだという事を。


 鬼の角は人の目に触れないように帽子を被るか削ればなんとかなったが、食欲は抑え難かった。


 ロベールは、半分、人間だったが、時々、どうしても人間が食べたくて堪らない時があったのである。


 ——ああ、どうしても人間が食べたくて堪らない。


 どうする? どうすればいい?


 ——母さん、どうしても人間が食べたくて堪らない時があるから、いっそ、僕を殺してくれないか?


 ロベールは狂おしそうに頼んだが、母親には息子の命を絶つ事はできなかった。


 ロベールはそれなら仕方がないと、人里離れた誰もいない深い森の奥へと自ら姿を消した。


 そもそも、誰もいない、誰もやって来ない深い森の中なら、いくら人間を食べたいと思ったところで、自分から探しに行かない限り、どうしようもないだろうと考えての事だった。


 お腹が空けば、茸に、果物、木の実を採集し、時には獣を捕まえて食べた。


 だが、時折、どこかから旅人や迷子、行く当てのない人間が迷い込んでくる事がある。


 ——うーん。


 ロベールは自分の両手を見つめ、手のひらを開いては閉じて、考え込んだ。


 ——どうする?


 人食い鬼のこの手は今すぐにでも、迷い込んできた誰かの肉を簡単に引き裂き、骨を砕く事ができる。


 ——どうすればいい?


 人間のこの手は、迷い込んできた誰かに、何ができる?


 ——どんなにお腹が空いても人間を食べる訳にはいかない。母さんが悲しむ。僕は片方、人間なんだ。半分、鬼でも、もう半分、人間らしく生きなければいけない。


 例え森の中で獣と同じように暮らしていたとしても、この身に人食い鬼の血が流れ、影に潜んで生きる存在だったとしても、人間のように生きる事を忘れてはならない。


 ——普段、自分一人で過ごしている時も、誰かが迷い込んできたとしても、何か人間らしく楽しい事をしよう!


 ロベールは季節の草花や果物を見ようと散策したり、人物や風景を切り取るスケッチ画を趣味とした。


 フランスの北西部に位置するブルターニュ地方は大西洋の北風を受け、いつも空は曇り雨の日が多く、寒い地方として知られる。


 とは言え、ブルターニュの地にも春はやって来る。


 深い森には、春、色鮮やかな花があちこちに咲き、一年で最も草花が多い時期である。


 夏はあまり雨が降る事はなく鬱蒼と茂る森が日陰を作り、春よりも少ない草花がますます隠れてしまう。


 秋になると草花が姿を消し、茸や木の実が目立つようになる。


 冬は雪こそ積もる事はないが冷え込みがかなり厳しく、氷点下に至る事も珍しくない。

 ロベールは普段は季節の草花をスケッチしたり、誰かが迷い込んできた時はカーシュれん・カーシュをしているつもりになって、一人でよく遊んだ。


 金髪のパニュルジュと、銀髪のベルトランは、目の色と髪の色以外、瓜二つの見た目をしていたし、昔から何をするのも一緒だった。


 彼女達には生みの親はいても、育ての親はいない。


 二人は生まれた時から、大人だったからだ。


 フランスはグルノーブルの発明家、ジャック・ド・ヴォーカンソンの工房で、金髪のパニュルジュと銀髪のベルトランは作られた。


 彼女達はそれぞれ、晩餐の給仕をする自動人形と、食卓の掃除をする自動人形だったのである。


 だが、当時の役人がヴォーカンソンは神を冒涜していると主張し、彼の工房ごと自動人形を破壊するように命令、それを知った彼女達は主人の元から姿を消した。


 手に職を持っていたから生活するのに困りはしなかったが、自動人形であるが故に古くなって壊れる事はあっても年老いて死ぬ事はない為、人目を気にして一つの土地に長くいる事はできなかった。


 彼女達がフランス各地を転々としている間、人々はいつしか自由と平和と博愛を求めて革命を起こし、軍人として頭角を表してきたコルシカ島出身の小貴族が皇帝の位につき、世は帝政時代を迎えた。


 貴族は贅沢な暮らしをする事が難しくなってきており、以前ほど簡単には勤め先を見つける事ができなかった。


 それ故、新時代に湧き立つ人々の目を避け、影に潜んで生きる為に、神秘的な雰囲気が漂う霞がかった深い森にやって来たのだが。


 金髪のパニュルジュは、朝、深い森の中にある源泉の近くで休んでいた時、木々の合間に、鉛筆片手に野に咲く薔薇を静かにスケッチしている、燃えるように赤い髪に空のように青い瞳をした美しい青年を目にした。


 パニュルジュの胸が、突然、高鳴った。


 彼女は一目で恋をしたのだ。


 だが、銀髪のベルトランは、ちょうど、よそ見をしていた。


 今度は銀髪のベルトランが、夜、草むらに寝転んでいた時、月夜の下で野苺を毟って無心に食べている、燃えるように赤い髪に空のように青い瞳をした美しい青年を目にした。


 ベルトランの胸が、突然、高鳴った。


 彼女は一目で恋をしたのだ。


 だが、金髪のパニュルジュはちょうど目を閉じて横になっていた。


 次の日、金髪のパニュルジュと銀髪のベルトランは、自分達が恋をした、赤毛に青い瞳をした青年について話した。


 金髪のパニュルジュが、彼は麗らかな陽射しが似合う人だったと言えば、銀髪のベルトランは、彼は神秘的な月明かりが似合う人だったと口にする。


 二人はお互いに主張を譲らず、赤毛に青い瞳をした青年を探して、深い森の中を行く。


 彼女達は一日中、深い森の中を彷徨い歩いて、夕暮れを迎えた時、ようやく見つけた。


 ——彼だ。


『あの人が私の片思いしている人なの!』


 二人とも同じ台詞を口にして、同じ方向を指差した。


「私が好きになった人は、麗らかな陽射しが似合う赤毛のあの人!」


 金髪のパニュルジュは、夕焼けに滲んだ赤毛に青い瞳をした青年の姿を、キラキラとした目で見つめた。


「私が好きになった人は、神秘的な月明かりが似合う青い瞳のあの人!」


 銀髪のベルトランは、黄昏時に沈んだ赤毛に青い瞳をした青年の姿を、うっとりと見つめた。


 ——じゃあ、あそこにいるあの人は誰?


 金髪のパニュルジュと銀髪のベルトランは、お互いの彼に関する印象に小首を傾げた。


 何か確かめるように、赤毛に青い瞳をした青年の姿をじっと見つめる。


「ねえ!」


「そこの貴方!」


 彼女達は思い切って、赤毛に青い瞳をした青年に話しかけた。


「……あれ、見つかっちゃった」


 赤毛に青い瞳をした青年は独り言のように言って、バツが悪そうに笑った。


「あの朝、私が見かけた貴方は誰?」


「あの夜、私が見かけた貴方は誰?」


 二人は興味津々といった風に質問をした。


「あの朝、君が見かけた僕は、人間」


 赤毛に青い瞳をした青年は明るく答えた。


「あの夜、君が見かけた僕は、人食い鬼」


 今度は、寂しげな顔をして言った。


 金髪のパニュルジュと銀髪のベルトランは不思議そうな顔をして目を見合わせた。


「……僕は人食い鬼と人間の娘の間の子なんだ」


 赤毛に青い瞳をした青年は悲しそうに言った。


 彼女達は赤毛に青い瞳をした青年の悲しそうな顔を見て、この人は、半分、人食い鬼、半分、人間である自分の事が、好きじゃないのかも知れない、と思った。


 金髪のパニュルジュと銀髪のベルトランは少し考えた後、二人とも悪戯っぽく微笑んで、


『ふーん、それじゃどっちも私が好きになった貴方だね!』


 と、赤毛に青い瞳をした青年の事を、真っ直ぐ見つめて、明るく元気よく、宣言するように言った。


「僕の名はロベール・マケール。君達はどこから来たの?」


 赤毛に青い瞳をした青年——ロベールは嬉しそうに自己紹介をした。


「私の名はパニュルジュ・タタン!」


「私の名は、ベルトラン・タタン!」


 彼女達は歌うように自己紹介をした。


「私達は、発明家のジャック・ド・ヴォーカンソンが十八歳の時、貴族から依頼され、初めて作った、晩餐の給仕をする自動人形と——」


「食卓の掃除をする自動人形なの」


 その後、当時の政府の役人がヴォーカンソンは神を冒涜していると主張し、彼の工房ごと自動人形を破壊するように命令、彼女達は彼の元から去り、フランス革命の余波を受け、ここまで辿り着いたのだという。


「二人はこれからどこに行って何をするの?」


「これから? そうね、昔、パリにいた時は貴族のお屋敷に勤めて給仕をしたりお掃除をしていたけど」


「フランス革命の後は貴族も権力を失って贅沢な暮らしができなくなってきて、私達も勤め先を変える事が難しくなってきたのよ」


 気がつくと、深い森に夜の帳が下りていた。


「そうなんだ、世の中変わってきているんだ」


 ロベールは世間から離れて深い森の中でずっと暮らしていたから、何も知らなかった。


「私達、お先真っ暗、何もない」


「ええ、お先真っ暗、何もない」


 彼女達は夜の闇の中でお手上げという仕草をした。


「うーん……二人は貴族のお屋敷に勤めていたのか」


 ロベールは腕組みをして、考え込むように言った。


 彼女達の勤め先は貴族のお屋敷なのだから、きっとさぞや立派な作りをしたお城のような場所だったに違いない。


「——このままじゃ一休みする場所もないし、お城でも作ろうか?」


 ロベールはふと、いい事を思いついたとでもいうように言った。


 そして彼女達の返事も待たず、その辺の荒地に転がる無数の岩石を運び出し、丁寧に削り出しては、一個一個積み重ね、本当に小さなお城を作り始めた。


 金髪のパニュルジュと銀髪のベルトランはロベールがせっせと働く様子を見ているうちに、主人に仕えていた時、自分の職務を全うしようと、主人や客人が必要としている事に考えを巡らせ行動に移し、相手の笑顔と満足に至った時、自分達が感じた幸せ、喜びを思い出した。


「——ロベール様、小腹が空いてきたんじゃないですか?」


「私達、お菓子でも作りましょうか?」


 金髪のパニュルジュと銀髪のベルトランは深い森の中にある木の実や果物を使ってお菓子を作り始めた。


 桃が採れたら砂糖と水で甘く煮てコンポートにして、胡桃を集めたら生地の上に載せてタルトを焼いた。


 一年に一度のお祝い、十二月二十五日のノエルには、サーモン・マリネに生牡蠣、七面鳥、フォアグラはもちろん、自家製のビッシュ・ド・ノエル。


 ロベールは金髪のパニュルジュと銀髪のベルトランに出会った事で、一人で生きていた時より楽しく幸せな気持ちを味わっていた。


 ロベール達、三人が完成した小さなお城で、毎日、お菓子を食べて楽しく過ごしていると、お菓子の甘い匂いに釣られて、時々、どこかから旅人や迷子、行く当てのない人間が迷い込んできた。


 ロベールは今日まで誰とも関わって来なかった分、人間とは何なのか知りたい、と思った。


 誰かの人間らしいところに、少しでもいいから触れてみたい。


 その為にはどうする?


 どうすればいい?


 人食い鬼のこの手は今すぐにでも、迷い込んできた誰かの肉を簡単に引き裂き、骨を砕く事ができる。


 人間のこの手は、迷い込んできた誰かに、何ができる?


 そうだ! 人間の血肉を食らって食欲を満たすよりも、人間の心情、心の襞に触れて、毎日を楽しく、幸せに暮らそう!


 ——僕の小さなお城に、彼女達が作ってくれたお菓子をたくさん並べて、目で見て楽しく食べてみて幸せになる、お菓子を売ろう!


 今日からここは、人食い鬼ロベールの小さなお城のお菓子屋さん!


 浮世の塵に塗れて彷徨い歩いてきた、旅人や迷子、行く当てのない人達がお菓子の甘い匂いに釣られてやって来る、『お菓子メゾン・ド・ガトーの家』!


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