『人食い鬼ロベールと人形姫と手作りのお菓子』
ワカレノハジメ
『人食い鬼ロベールと人形姫と手作りのお菓子』
『人食い鬼ロベールと人形姫と手作りのお菓子』
序
どんよりとした鉛色の空の下、フランス最果ての地、内なる異郷、未だ神秘が色濃く残り、幻想的な雰囲気漂うここは、ブルターニュ地方。
ブルターニュの地には、かの有名な魔術師メルランが水の妖精である湖の乙女と出会ったという病気を癒やす魔法の泉、魔女が自分を裏切った男達を幽閉したという赤色頁岩に囲まれた帰らずの谷、巨人が森の民からもてなしを受けたが食事が気に食わずに四方八方に岩石を投げた跡といった、神秘に満ちた場所がある。
フランス革命の前夜にも、パリの社交界には、ルイ十五世に気に入られ、彼の傷ついたダイヤモンドを綺麗に消してみせた錬金術師、サン・ジェルマン伯爵がいた。
が、今となっては、魔術師の姿も魔女の姿もなく、革命の後、王はいなくなり、貴族は権力を失い、サン・ジェルマン伯爵もどこかへ行方をくらました。
そして、戦争に次ぐ戦争の末に、常勝の将軍が国民投票によって皇帝となった頃、人目を避け、影に潜んで生きる存在として深い森の奥に隠れて暮らすのは、
人食い鬼ロベールは、いつもお腹が減っていた。
見た目だけなら燃えるように赤い髪に空のように青い瞳をした青年にしか見えない。
だが、その身には人食い鬼の血が流れている為に、もう半分は、人間の血が流れているというのに、どうしても、人間が食べたくて堪らない時があった。
だからこうして、人けのない、誰もいない、深い森に身を隠しているのである。
いつものように黒い三角のフリジア帽を被り人食い鬼の角を隠し、茶色いジャケットを羽織ったサンキュロット姿で、霞がかった深い森の中を彷徨い歩く。
いくら林檎や無花果、胡桃に齧り付いても、野兎や猪を捕まえて、平らげたとしても、お腹が空いた。
——人間が食べたい。
何を食べても、どんなに食べても、満足できない。
——人間が食べたい。
何を飲んでも、どんなに飲んでも、満足できない。
——人間が食べたい。
何を食べても、どんなに飲んでも、真っ暗闇の夜の底に落ちていくかのよう。
——ああ、僕の心も、お腹も空っぽだ……人間のように誰かと話したり、笑ったり、泣いたりすれば、楽しいのかな?
でも、時々、どこかからやって来た旅人や行く当てのない人間が迷い込んでくるぐらいで、誰もこんな深い森の奥までやって来ない。
——ここじゃない、どこかに行けばいいのかな?
自分が自分らしく過ごせるところ……美しい海を一望できる小高い丘の上、一面に花が咲いたあの場所は?
——僕はあんなに、綺麗じゃない。
それじゃ、岩石に覆われた荒野の向こう、手付かずの自然の中で、湖面が陽射しに輝くあの場所は?
——僕はあんなに、綺麗じゃない。
誰にも気兼ねする事なく、自由気ままに過ごせるところ……綿飴のように柔らかそうな白い雲が浮かぶ、小鳥が遊ぶ空の上は?
——僕には空を飛ぶ力はない。
それじゃ、半島の先端にある岬の向こう、色とりどりの魚達が泳ぎ回り、きらめく宝石のように青い海の底は?
——僕には海に潜る力はない。
自分がのんびり過ごせるところ……いつも人々で賑わっているあの街や、深い森の外れにある、苔むした岩が並ぶ小川を隔てて、まるで鏡合わせのように、大聖堂を思わせる二つの校舎がある寄宿舎学校は?
——僕は半分、鬼の子だ。
それじゃ、人けのない夜の静寂の向こう、鬼火が誘う広大な泥炭地、底なし沼のまた底にある地獄の底は?
——僕は半分、人の子だ。
半分、鬼の子、半分、人の子——
——人食い鬼のこの手は今すぐにでも、迷い込んできた誰かの肉を簡単に引き裂き、骨を砕く事ができる。
……それじゃ、人間のこの手は、迷い込んできた誰かに、何ができる?
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