1-a,腐敗魔法の世界

 Ⅲ/01


 青い空、白い雲。

 水鳥たちが穏やかに暮らす湖。

 その岬。一枚の扉が現れる。

 温かみのある扉だけが佇んでいるのでどこからどう見ても不自然であった。

 やがて、ガチャ、とノブが下を向く。

 そうしてから扉はゆっくりと開いた。そばにいた小鳥たちが一斉に飛び立った。


「まだ『Ⅲ』だから綺麗ね。出てくる場所も良かったのかしら」


 顔を見せたのは少女であった。十歳ほどの幼い容姿で、長い黒髪とフリルの付いた黒のワンピースで黒を目立たせている。


「最近は人類の歴史が長い世界が多かったからねー。宇宙戦争も楽しいけど自然豊かなのも楽しいね!」


 その後ろから外へ飛び出したのも少女であった。こちらも十歳ほどの幼い容姿。しかし、黒い少女と違って白い長髪にフリルの付いた白のワンピースで白を目立たせている。

 そう――。色合いは反対だが、顔つきや身体つきはほぼ変わらない。誰もがすぐに双子だと気づくだろう。


「そうね。あとでお弁当でも用意しましょうか。ロロはおにぎりとサンドイッチのどちらが良い?」

「うーん……、おにぎりかなあ。酸っぱい梅干しが入ったやつ! ララは?」

「私はサンドイッチかしら。甘いタマゴがたっぷり挟まった」

「それも良いね! じゃあ私がサンドイッチを作るから、ララはおにぎりを握ってよ!」

「わかったわ。この辺りをお散歩したら部屋に戻りましょう」

「うん! こんなに綺麗な場所なら刻がひとつぐらい進んでもこのままだよ!」

「だと良いわね」


 姉である黒い少女のララと妹である白い少女のロロは仲睦まじい会話を交わし、ぐるっと湖畔に沿って歩き出した。

 そこそこ広い湖だがロロは楽しそうに両手を広げてかけ回っている。その様子も含めてララは自然を満喫していた。


「見て見て、ララ! 綺麗なお花が咲いているよ! 持って帰っていい?」

「この間持って帰って花瓶に生けておいた花を枯らしたのは誰だったかしら?」

「うっ……。わ、私……、じゃないよ! ララがお水をやり忘れたからだよ!」

「あら、そうだったかしら」

「むー」


 とぼける姉に妹はむくれてしまう。

 その表情のままロロはいくつか花を手折ってごそごそと手を動かし始めた。それに倣ってララも同じようにする。

 それから、湖面に浮かぶ水鳥が中央付近から端まで泳ぎ切った頃、


「できたあ!」


 笑顔のロロが手にした物を掲げて声を上げた。


「私もできたわよ」


 ララが微笑んで言う。その手にあった物を見たロロは自分の手を下ろして見比べた。


「うーん、やっぱりララの方が上手だね」

「そう? ロロのは味があっていいと思うわよ」

「ほんと! じゃあ交換ね!」

「はいはい」


 そして、ふたりは作った花冠を互いにかぶせ合った。ララの黒髪が花の色を際立たせ、ロロの白髪が花の色を映えさせている。


「よーし、あと半周歩いて次はお弁当を作ろう! あと、バドミントンもしようよ!」

「そうね。体を動かして遊ぶのも大事だわ」

「それとキャッチボールをしたり、ボートを漕いだり、ドローンを飛ばしたり、あとは魔道具を使った遊びなら――」

「ストップ。たくさん遊ぶのは良いけどたくさん道具を出すのはダメよ。片付けるのが面倒だもの」

「えー。まあ、『5:0』の部屋から『5:1』と『5:-1』への入口が塞がっちゃってるしね。その先の部屋に行くのに遠回りしないといけないから大変」

「そうよ。いつか掃除をする時にあれ以上物が積み上がっていたらもっと大変よ」

「うー、バドミントンだけにしておくー」


 渋々といった様子でロロは諦めた。

 この双子が掃除に使う時間がこれからも存在する膨大な時間に含まれているのかは不明だが。

 すると、ララは同じ大きさをしたロロの手を握った。


「さっ、一旦帰りましょ」

「うん!」


 少し不満そうであった妹の表情が晴れやかになり、姉もまた微笑む。

 そうして双子たちは湖畔を一周仲良く肩を並べて歩き、出てきた扉の中へ入って行った。


 Ⅳ/01


「くさいっ!」


 とても不快な臭いが扉を開けた直後ロロの鼻に入ってきた。反射的に勢いよく扉を閉めたが咳き込んでしまう。


「けほっ、けほっ。どうなってるの……」

「ちらっと見えた景色が明らかに腐っていたわね」


 ぱたぱたと自分の顔の前を手で扇ぎながらララは眉根を寄せていた。そして、部屋の壁にある『終末時計』に目を向ける。


「『Ⅳ』でこれだと、もうこの世界で遊ぶのは無理ね。せっかくお弁当を作ったのに残念」


 そう言ってから竹で編んだかごを机の上に置いた。


「せっかく上手にサンドイッチ作れたのにー! バドミントンもしたかったのにー!」


 悔しさでロロは両手に持つラケットをぶんぶんと振り回す。先ほど外から入ってきた臭いが散っていく。

 そんな妹を脇目にララは椅子に腰掛けかごを開いた。


「次の世界に期待するしかないわね。もうお弁当を食べちゃいましょ」

「うー。外で食べたかったのにー」

「次はもっと豪華にしましょうか。ウィンナーやかまぼこを入れたりしてね」

「ほんと! タコさんとかウサギさんの形にしてくれる?」

「良いわよ。ロロにはホットサンドを作ってもらおうかしら」

「うん、いいよ! ポテトサラダも食べたい!」

「あまり作り過ぎると余るわよ。このお弁当を食べたら具材のリストを作らないとね」

「りょーかい!」


 ラケットを投げ捨てロロは姉の座る机へかけ出した。そうして綺麗な三角形をしたおにぎりを取ると席に着いてかぶりつく。


「喉に詰まらせちゃダメよ」

「ふぉーふぁい――、んんっ⁉」

「ふふっ」


 梅干しの味にきゅっと顔が寄った。表情がコロコロと変わる妹を見ながら、姉は不思議な形をしたサンドイッチを口に運んだ。


 Ⅵ/01


「うーん……、うーん……。あっ! んー? うーん……」


 ロロがボードゲームの次の一手に頭を悩ませている鳴き声が響く部屋。

 ふと、対面で漫画を読んで待っていたララがあることに気づく。


「そういえばまだ『Ⅵ』ね。あんなに全てが腐っていたのだから生物が滅んで世界が終わると思ったけど」

「うーん、『Ⅵ』だねえ……。『Ⅵ』……、『6』……。ハッ! 『6八銀』だ!」


 パチン! と軽快な音が鳴った。盤面を一瞥した対局者は開いていた漫画をパタンと閉じる。


「ちょっと水晶で様子を見てみましょうか。扉を開けて確認するのはこわいし」

「待ったはなしだよ! まいったはありだよ!」

「どちらもしないわよ。『6七桂』に置いておいて」

「はーい。んー? でもここに置いたら私が取っちゃう……、あっ! 待った! 待った!」


 立ち上がって世界を映す水晶玉を取りに行ったララに大きな声で願ったロロであったが、姉の足も盤面の状況も止めることができなかった。


 Ⅵ/02


 青い空。白い雲。

 水鳥たちが暮らす美しい湖の周りを草木が囲んでいる。

 そんな自然豊かな場所に立った扉から出てきた双子は唖然としていた。


「水晶玉で見た通り、初めて来た時と同じ景色ね。ゲテモノみたいな色やゲテモノを煮込んだような不快な臭いが全くない……」

「なんでだろう……。よし、バドミントンをしよう!」


 口を開けてぽかーんとしていたのが演技であったかのような切り替えの早さでロロは手にしているラケットを振り始めた。

 しかし、ララはそういう気分になれないらしい。


「まずは調査をしましょう。それが終わったらバドミントンね」


 という提案に、


「えー! せっかく綺麗になったのにー! のんびりしてたらまたドロドロでくさーくなるかも!」


 ロロは駄々をこねて一刻も早く遊びたいと主張した。

 そんな妹に、ララは自分の探求心のため説得にかかる。


「その通りよ。また腐ってしまうかもしれない。だからその原因を突き止めたくならない? 謎解きゲームみたいでしょ?」

「うーん……、謎解きゲームかあ……」

「変なところを見つけるのは楽しいわよ。例えば」


 くるりと向きを変えたララは水辺へと歩いていく。姉の行動にロロは首を傾げてしばし待った。

 そうして、ララが戻ってくるとその手には湖の水が入ったビーカーがあった。


「これに魔力に反応する粉を入れてみると……」

「みると……」


 何もないところから取り出された薬包紙に乗った白い粉がビーカーにサラサラと落ちていく。

 すると、透明だった水がゆっくりと様々な色に点滅を始めた。それにロロは目を輝かせる。


「わあ、反応してるね!」

「そうね。でもこれだけじゃ元々魔力があった水なのか、腐っていたことによって魔力が残った水かはわからない。だからこの辺りを探索して証拠を集めるのよ」

「うわー、謎解きだけじゃなくてお宝探しみたいだね!」


 ロロの興味が完全に腐敗していた世界の謎解きに移った瞬間である。宙に放り投げられたラケットが柔らかな草の上に落ちた。


 Ⅶ/01


 無限に連なる部屋と外の世界を隔絶している扉の前に、全身防護服を纏いガスマスクを着用した小さな人影が二つあった。


「じゃあ、開けるわよ」

「ごくり……」


 ガスマスクの下で緊張した面持ちの浮かべながらノブに手を掛ける。そうしてゆっくりと扉が開かれた。


「うえー……、何度見ても気持ち悪い色……」


 ロロの感想は腐敗した世界に向けたものだ。終末時計の刻が進んだことにより自然豊かな自然は再び様変わりしていた。それを水晶玉で確認した双子は完全防備の服装に身を包んだ。


「採取するのは、そこのヘドロみたいな水と目が回りそうな極彩色の土と、あとはピンクに発光する汁を垂らしている木の枝で。ロロ隊員、気をつけて遂行するように」

「サー! ララ隊長もお気をつけて!」


 調査隊の役になり切った双子が腐敗した世界に足を踏み入れる。

 ロロが扉の近くで魔道具である密封できるビンに水を汲んだりスコップで土を回収する作業を始めた。ララは少し離れた場所にある木の方へ向かう。


「歩くたびに不快ねえ。早く小さい木から枝を折って戻――、ん、何かしらこれ?」


 目的の場所まで足を運んだララは、そこで大人の腕ほどの長さがあるホースのようなものを見つけた。眉根を寄せながらドロドロの地面に埋まったそれを手に取る。


「これは……、生物の死体……? うーん、気持ち悪いけどこれも調べましょうか」


 不快感より探求心が勝ったララは腰に取り付けた容器に死体を押し込み蓋をした。そして、最初の目的の枝も回収し、ロロと足早に部屋へ帰った。


 Ⅶ/02


「ロロ検査官、結果はどうかしら?」

「はっ、ララ室長。こちらです」


 様々な器具が散乱した部屋の一角で、革張りの椅子に腰掛けたララに白衣を着たロロが一枚の紙を手渡した。紙には現在の世界から持ち帰った試料の検査結果が書かれている。


「ふーむ」

「ごくり……」


 印刷された文字列に目を通したララが意味ありげに顎をさすった。役が変わってもわざとらしく喉を鳴らしたロロは次の言葉を待った。


「やっぱり腐敗は魔法のせいね。そして浄化しているのも魔法。しかもその魔法の発動元は同一のようね」

「なんでそんな魔法を?」

「そこまではわからないわね。でも、外の時間に存在し続けている何かが世界の環境を操作しているということがわかったわ。だから今度は直接魔法の発動元に行って調査してみましょう」

「えー、また調査するのー。バドミントンしたーい!」


 白衣の下からラケットを取り出してぶんぶんと振り回し始めた。そんな検査官に室長は優しい口調で言う。


「そうね、私も早くやりたいわ。でもねロロ、この不思議な魔法が手に入れば良いことがあるかもしれないわよ」

「良いこと?」

「そうねえ……、ガーデニングですぐにお花を咲かすことができるわ。毎日の水やりから解放されるかもしれない」

「ほんと――、ってそれララが喜ぶだけじゃん! 私は水やり好きなの!」

「あらそう。じゃあ腐らす方で……、納豆を家で作れるようになるかも」

「う、うーん、納豆か……。売ってない世界も多いから自分で作れるなら重宝するけど……」


 食べ物に目がないロロを誑かす姉はさらに追い打ちを掛ける。


「他にもわざと腐らせた料理はたくさんあるらしいわよ。まあ、珍味と呼ばれるものね。調べればいくつも出てくるはずよ」

「珍味かあ。珍しいものは食べてみたいなあ……」

「それで、どうする?」


 ララは不敵な笑みを浮かべながら革張りの椅子から立ち上がりロロと向かい合った。一瞬だけ目を逸らそうとしたロロであったが、姉が差し出した手を掴んで握手を交わす。

 固い床にラケットが落ちる音が響いた。と、同時に一切れの紙もふわりと落ちる。そこにはララが持ち帰った生物の死体について書かれていた。目立つ赤字で『gula(暴食)』と。

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