風邪をひくという幸運

marica

本編

 私は今日寝込んでいる。風邪を引いたからだ。今家に居るのは私1人。だから、少しだけ寂しいような気がした。

 だけど、家族が帰ってくることはない。忙しい人達だから、私のことで迷惑をかけられない。それに、所詮は風邪だから。


 布団をかぶっていても感じる寒さに震えていると、突然ドアホンが鳴った。

 頑張って玄関まで迎えに行くと、友達がいて。右手に買い物袋を下げているから、お見舞いの品を持ってきてくれたのだろう。

 びっくりした。誰かが私のことを心配してくれるなんて思っていなかったから。


「今日は、どうしてここに?」


 扉を開けてそう尋ねると、彼はいたずらっぽく微笑んでいた。


「友達が風邪を引いたんだから、決まっているだろ?」


 ちょっとカッコつけた様子で言う彼だけど、私にはとっても似合って見えた。

 だけど、きっと普段なら鼻で笑っていたのだろうな。そんな気がする。


「ありがとう。何も無い家だけど、ゆっくりしていって」


「ああ。お前が寂しくないように、ゆっくりと過ごすとするさ」


 私の心は見透かされていたのだろうか。いや、風邪を引いたら寂しいなんて定番か。

 でも、悪い気分じゃない。私が苦しんでいる時に、誰かのぬくもりを感じられるのだと思えるから。


「別に、そこまで寂しくは……」


「なら、お前が治るまで面倒を見るよ。また元気な姿を見せてくれ」


 そんな言葉をかけられて、つい笑顔になってしまいそうな私がいた。元気になって欲しいと思われることが、こんなに嬉しいなんて知らなかった。

 ただの友達が訪ねてきただけでこれなのだから、私はよほど寂しかったのだろうな。自覚できた。


「うん。じゃあ、私の部屋はこっちだから」


「ああ。なにか欲しいものはあるか? 色々用意してきたぞ」


「なら、スポーツドリンクが欲しいかな。持ってきてくれた?」


「当然だ。風邪を引いた相手には、定番だろ?」


 確かにそうかもしれない。だけど、私はそんな定番も経験したことがない。今思えば、寂しい生活だったのかも。

 だって、風邪を引いてもずっと1人でどうにかしてきたってことだもんね。

 でも、今は彼がそばにいてくれる。こんな経験ははじめてだった。正直、部屋にまで入れちゃうのは警戒心が足りない気もするけど、嬉しいから仕方ないよね。


 スポーツドリンクを受け取って、ゆっくりと飲んでいく。以前飲んだときよりもおいしい気がして、風邪には効くんだという実感があった。

 こんな風にスポーツドリンクを飲むのもはじめてだったので、少し新鮮な気分だった。


「ありがとう。おいしかったよ」


「別にいいさ。そういえば、お前の家族はどうしているんだ?」


「あの人達は忙しいから……」


「そうか。なら、2人きりか。だからどうということもないが、はじめてかもな」


 そうかもしれない。彼とはある程度親しいとは思うけれど、他の誰かも一緒にいることが当たり前だったから。

 本当に私はどうかしている。彼との関係は浅いものだろうに、風邪を引いている瞬間に2人きりなのだから。でも、仕方ないよね。お見舞いに誰かが来てくれる。それだけのことがこんなに嬉しいんだから。


「そうかもね。変なこと考えないでよね」


「当たり前だろ。風邪を引いている相手に妙なことをするほど、人でなしではないつもりだ」


 なかなかに面白い言葉選びだな。人でなしときたのは。でも、彼の顔からは本音だと感じる。

 だから、このまま彼に面倒を見てもらおうと思えた。やっぱり、風邪を引いているのに自分でどうにかするのはしんどいから。


「じゃあ、汗を拭いてくれる?」


「分かった。顔と首筋でいいか?」


「そうだね。お願い」


 彼は丁寧に私の汗を拭いてくれて、本気で私のことを考えてくれていると思えた。

 こういう所を雑にする人もきっといるんだろうから。でも、彼は違う。知らなかったな。こんな人だなんて。


「楽になったか?」


「ちょっとだけ。ありがとう」


「当たり前のことだろ? 元気になったら、ジュースでもおごってくれよ」


「それくらいでいいなら」


 実際、ジュースくらいならいくらでも良かった。だって、彼が持ってきた荷物だけでも、ジュースよりもよほど高いだろうから。

 それに、わざわざ手間をかけてここまで来てくれたんだから。私の寂しさを紛らわせてくれたから。


「あの炭酸飲料、飲んでみたかったんだよな。ほら、最近新しく入ったやつ」


「なら、一緒に飲んで見る?」


 これまでだったら、きっと一緒にとは言わなかっただろう。でも、彼がお見舞いに来てくれたことは、それだけ嬉しかったんだ。


「悪くないな。まずかったら道連れだ」


「なにそれ。でも、おいしいかもしれないじゃん」


「だといいな。それなら、また自分で買ってもいい」


 ああ、人のお金だとまずくてもいいのか。ちょっと気持ちはわかる。やっぱり、この人はどこか軽薄だ。

 でも、わざわざお金と時間をかけてお見舞いに来てくれたのはこの人だけ。それだけで、普段なら気に食わなかったかもしれないことも、許せるような気分だった。


 それからも、軽くおしゃべりをしながら面倒を見てもらって、そろそろ暗くなりそうな時間になった。


「じゃあ、俺はそろそろ帰るよ。元気でな」


 彼は私に背を向けて、振り返らずに帰っていった。少しだけ名残惜しくて、つい手を伸ばしそうになってしまう。

 風邪を引いたときには悪い日だと思っていたけど、いいこともあった。

 また明日に彼と出会うことがほんの少しだけ楽しみで。人生というものは分からないものだな。

 明らかに不幸なはずの風邪をひくという事実が、楽しみを運んでくれるのだから。


 だから、また風邪を引いたとしても、今度は苦しいだけじゃないかもしれない。ちょっとした希望が、私の胸の中に浮かんだ。

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