ヒトガチャ

ブロッコリー展

第1話 近未来ぼっち

 ボールの行方はボールに聞いてくれ。


 ナックルボールの球筋は予測不能。


 ピッチャーの手元を離れたナックルボールは、時速70キロから100キロ程のスロースピードで揺れながら落ちる。ときにはキャッチャーだって捕ることができないくらいの変化だ。バットにかすることすらできずに三振した相手バッターは、首をひねりながらベンチに戻っていく。


 僕はそんなナックルボールが大好きだ。


 誰にも予測がつかないボールだなんてすごくワクワクする。


 予測がつかないという意味では僕の未来だってそうかもしれない。僕のこれからの人生だって誰にもわからないはずだ。少なくともそう思っていたい。


 でも、ひとつだけ、はっきりとわかっていることがあるんだ。それは今まで一度も友達ができなかったこの僕に、これからさきも友達なんてできやしないってことだ。


 なぜって、それは……、簡単に言うと、僕がそういうヒトとして生まれ、今がそういう時代だから、だ。


 二一世紀の後半に入り世の中はゲノミクス全盛。神の領域に迫るテクノロジーである生命科学が人類に変革をもたらして、世の中は様変わりした。


 なーんて言われても、もちろん僕らネイティブ世代にはぴんとこない。だから教科書にある、生まれる前におきた第三次世界大戦のことも……。


 その戦争では激しい生物戦が何年もの間展開され、世界は大混乱したそうだ。戦後、新秩序が生まれ各国の国境線が変わり、僕ら国のトップもある独裁者に変わった。尋常ではない強権統治でこの国のなにもかもが変わったらしい。たくさんのデザイナーベイビーやクローンが生まれ身分制度や差別や偏見が生まれ、分断が起こった。


 パクスなき……世界。そんな頃、この世界に僕もAIDで生まれた。


 ちょうどその頃から僕ら児童たちには健全な育成のための三つの規制がかかるようにった。


『検索制限』と『疑問制限』それから『友達制限』だ。


 なにかを検索してはいけない(仮想空間内でなにかをさがしてもいけない)し、なにかに本質的な疑問を持ってはいけない(疑問を持つと子供の脳に生じる化学物質を定期的に調べられる)し、生命科学上の生まれ方のことなる子との交友を禁じられていた。学校はとてもギスギスしていて友達ができる環境じゃなかった。さらに、僕のDNAコンピュータ(デオキシリボ核酸がコンピュータ内のシリコンと入れ替わったもの)を学校で接続したときに管理ミスで遺伝子情報が流出する事件も起き、耐えかねて、五年生になってから学校に行かなくなった僕は、リモート授業さえも抜け出して、いつも町の北にある公園で大好きなナックルボールの投球練習にをするようになった。


 ズコンッ、ズコンッ、と今日も僕の投げるへなちょこボールが壁当て用の壁にあたる鈍い音が人影まばらな公園に響きわる。


 冬枯れの芝と青い空、そして冷たい空気。ここは僕のホームグラウンド。生きた心地がする。


 学校がまるまる一つ分入るくらい広いこの公園は細長い形をしていて、周りを木々で囲まれている。一つしかない入り口から見て、一番奥に池があり、その手前の広場がここだ。練習相手の壁から一八メートル離れたところ、──ちょうど、野球場のホームベースからマウンドまでの距離と同じくらいの場所に大きなマンホールがあり、それをマウンドに見立ててそこから投げる。円い鉄の蓋には町の花であるチューリップ模様だ。


 僕なりに毎日頑張って練習してるつもりだけど、ナックルボールはなかなかうまく投げられない。ただのスローボールになっちゃう。ARコンタクトレンズをつけているので。相手バッターを助っ人外国人に設定して投げ込むと確実に地の果てまでかっ飛ばされたりする。


 ちなみにゲノム編集組とそうでない者との不公平感の解消のためスポーツ界は仮想スポーツに偏りかけたけど、子供の発育に良くないとのことでちょうど中間の半仮想スポーツが今や児童スポーツの主流だ。デジタル機器を使うのがOKだし、ボールだってDXされてる。裏技だけど、このARコンタクトをつけてるときにこめかみを二回タップすると30秒後の予測プレーが見れたりもする。


 いつの日かナックルボールが投げられる日が来ることを信じて今日もひとり、北風の吹く一月の公園で練習に励んでいる。


 ズコンッ。ズコンッ。ズコンッ。


 投げた数だけ鈍い音が響きわたる。


 我ながらナックルボールの『ナ』の字もないボールだ。


 跳ね返って転がってきたボールをAIグローブ(どんなキャッチングでも吸いつくようにボールが収まるグローブ)で拾い上げる。そして思う。


(どうしてだろう…、どうしてナックルボールはあんなに摩か不思議な動き方をするんだろう……)


 もちろんこれは疑問制限違反。また学期末に怒られる。それでも僕は手に持ったボールを見つめながら考え続ける。そもそもナックルボールの握りは一風変わっている。親指と薬指でボールを支え、残りの指の間接を曲げて握り、離れ際に、曲げていた指でボールを弾くようにして投げる。その投げ方に原因があるのはわかるんだけど、じゃあ、なぜ、指で弾くようにして投げると揺れながら落ちるんだろうか。気づくと疑問の渦に巻き込まれてしまっている。


(つくづくこの時代に向いてないヒトだな僕は……。友達なんて夢のまたゆめだ……)


「どうせ僕はひとりぼっちだよ」


 やりきれなさをぶつけるつもりで思いっきり直球を投げた。

 

ズコンッ。


 勢いよく壁に当たったボールは跳ね返って戻ってくる途中でイレギュラーバウンドして、池の方へ転がって行ってしまった。バウンド自動調整機能が壊れしまったみたいだ。


「やべー」


 慌ててボールを追いかける。ちょっと追いつけそうにない。池ポチャを覚悟しかけたそのとき、何者かが池の手前でボールをガッチリと掴み、拾い上げた。


 真っ白な体に黄色いくちばし、黒く小さい目、水掻きのついて足。


 ──もうわかると思う、そう、アヒルだ。


 救世主であるこのアヒルはこの公園に一匹だけの存在。ボールはまるでトングにつままれたミートボールみたいにくちばしの中に収まっている。


「ありがとう、助かったよ」と僕がお礼を言うと、アヒルはくわえたままで僕のところまで持ってきてくれた。おしりを振りながらよちよちとやってくるその歩き方がかわいい。僕がしゃがんでグローブをさしだすと、アヒルはその中にボールを吐き出すように入れてくれた。


 ボールの重さから解放されたアヒルは、「クエ、クエ」と小さく鳴いてから、思い出したように羽繕いをはじめた。


 このアヒル、一見どこにでもいるごくふつうのアヒルに見えるかもしれないけど、驚くなかれ、僕のピッチングコーチなのです。


 もちろんコーチといっても技術的な指導をしてくれるわけじゃないし、ボールだって投げられない。だけど僕が学校に行かなくなり始めた頃からずっとアヒルはすぐそばでナックルボールの練習を見守ってくれた。


 とにかく僕らはすごく気が合うんだ。それはお互いにひとりぼっちだからかもしれない。なにかいい名前をつけてあげようと思っていたんだけど、なかなかしっくりくる名前がみつからなくて、未だに「アヒル」って呼んでる。


 そうそう、これは当たり前といわれるかもしれないけど、アヒルは空を飛べない。アヒルという動物は人間が飼いやすいように、マガモを改良してつくられた種だからだ。それから、アヒルの鳴き声は二種類。ガーガーと鳴くのが雌で、クエクエと鳴くのが雄。だから僕のコーチは雄のアヒル。


 これは以前、人から聞いた話だけど、川や公園にいるアヒルの中には人間に捨てられてしまったアヒルがけっこういるらしい……。もしかするとこのアヒルもさみしい想いをしていたのかもしれない。


 心ない人はこのアヒルがクローン製造施設から脱走してきたものだとか、バイオエラー系だとか言ったりするけどそんなはずないと思うし、もしそうだったとしても、僕らの友情になんら変わりはない。


 僕も出自ではいろいろと差別は受けてるけどアヒルと練習してると全部忘れられるのです。


「おーし、コーチも来てくれたことだし、もう少し投げ込むかな」


 僕は気合いを入れ直してから、練習場所まで戻り、そのあと夕方までアヒルと練習を続けた。その頃になってくると公園の中はだいぶ人が増えてきたみたいだった。


「そろそろ帰ることにするよ」と僕はアヒルに言った。アヒルも「そうだね」という感じで軽く羽を広げて応えてくれた。


(それにしても今日はよく投げ込んだなぁ)


 ナックルボールはまだまだだったけど、ストレートのキレは良かった。それから投球練習前のランニングもいつもより長めにやったしね。


 ぐーっと伸びをして広場をあとにした。


 公園の入り口へとつづいているイチョウの並木を進む。木々には葉はもうなく、寒さにじっと耐えているように見える。


 歩を進める僕の後ろをアヒルがおしりをふりながらついてくる。


 途中にあるオブジェの前で僕らは立ち止まった。僕の体よりも大きいもので正八面体の形をしている。手で触れると堅くてひんやりとした質感。実はこのオブジェ、ちょうど僕が学校にいかなくなった頃にできたもので、それ以前にはこの場所にはなにもなかった。そしてこのオブジェのすぐ横のスペースはもう長い期間、工事用の立ち入り防止柵で囲まれている。


(いったい、いつになったらこの柵はとりのぞかれるんだろう……。何かさらに新しいオブジェでもでもつくってるのかなあ)


 ──疑問が発生した。ただこれは物事の本質に対するものじゃないから規制の対象外だろう。


 毎日この公園に来ているけどまだ一度もこの柵の内側で作業をしているところを見たことがない。


 そんな僕の疑問を監視するかのように冷厳とオブジェはそこに立っている。


「クエッ、クエッ」が少し遠くで聞こえた。気づくと、アヒルはさっさと先に行ってしまたみたいだった。急いでそのあとを追う。


 いつものように僕とアヒルは公園の入り口のところで別れた。もと来た道を戻っていくアヒルの後ろ姿をしばらく見ていた。


 ふいに強い北風が目の前を吹き抜けた。ブルッと体をふるわせた僕は家路についた。

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