価値観の相違 Ⅰ
「ミレーユ様、こちらが我が国に七つある国庫の一つ、《穀雨(こくう)》でございます」
「まぁ……!」
重い鉄製の大扉が開くと、そこは先が見えぬほど広やか空間だった。
一歩足を踏み入れれば、国庫内を覆うひんやりとした空気が頬を撫でる。
「すごーい! 広いですぅ!」
横にいたルルが興奮したように両手をバタつかせる。
放っておいたら駆けだしそうな勢いだが、ルルが沸き立つのも分かるほどの規模だった。
無柱空間の国庫内は、背の高い棚が整列されてもなお圧迫感のない天井高があり、広さは自国の王城ほどある。
その広い棚すべてに大小さまざまな木箱が所狭しと並べられている様も圧巻だった。
ナイルは七つある国庫のうちの一つだと教えてくれたが、この穀雨が最大規模なのではなく、国庫すべてが同じ規模だというのだから、ミレーユは感嘆のため息を吐くしかない。
(まさか食糧備蓄について計算するのが得意だなんて失言のお蔭で、国庫の中を見学させてもらえるなんて)
貴重な体験を与えてくれたことへの感謝は尽きない。
それに、数日前のカインとのやり取りが頭から離れず、ふいに思い出しては羞恥に悶えていたので、今日の見学は気が紛れて助かった。
(本当にすばらしい設備だわ……)
うっとりと惚けるように辺りを見渡すミレーユに、一人の女性が歩み寄る。
白い衣装に赤い帯が映えるドレスに身を包んだ女性は、ミレーユの前まで進むと腰を深く曲げた。
すかさずナイルが紹介する。
「ミレーユ様、この者が七つの国庫の統括長でございます」
「お初にお目にかかります。鳥綱族、ドリス・イーナと申します」
(え……鳥綱族の方?)
鳥綱族と一口にいっても、その祖先は多岐に渡る。
カラスや雀といった一族ならば見知っているが、ドリスの祖先は鶴だという。
(鶴を祖先にもつ鳥綱族の方に出会ったのは初めてだわ)
本で読んだ程度の知識だが、それによるとあまり一か所にはとどまらない一族であり、美しい見目を持つ者が多いと記されていた。ドリスはまさにその通りの女性だ。
白と黒が交じった髪は一房だけが赤く、瞳の色は暗褐。角張った太い黒縁メガネをかけていても、彼女の美しさは十分うかがえる。ミステリアスな容姿をもちながら、どこかおっとりとした雰囲気をもつ美女だ。
「どうか本日はよろしくお願いいたします」
ミレーユは挨拶を返しながらも、一つ疑問に思う。
(女官の方々は皆さん竜族の方ばかりだったけれど、他種族の方もいらっしゃるのね)
しかも国庫の統括という、重大な役目を任せられているとは。
自国ならば、女性というだけで役職には就けない。他種族ならば尚のこと。
そんなミレーユの疑問を察したのか、ナイルが説明してくれた。
「我が国は、才能ある者は種族を問わず登用いたします。彼女は、《冷却の術》に優れていること、研究熱心であることが認められ、先帝王の時代から任を務めております」
ドリス以外でも冷却の術を長時間放出できる魔力量を持つものは他にも多数在籍しているが、その中でも彼女が長として認められたのは、その研究意欲の強さだという。
「とても博識でいらっしゃるのですね」
王女として自国の歴史や必要最低限の知識は学んできたが、竜族のような大国に認められるほどの学など持ち合わせていないミレーユは、尊敬の念でドリスを見つめた。
「いえ、そのような大層なものではございません。はじめはこの七つの国庫に張り巡らされた《保持の術》を研究したかっただけなのです。それが、いつの間にか統括長ということになってしまい……」
ふふふ、とどこか遠い目をしてドリスが笑う。
謙遜とは少し系統の違う、疲労が滲み出る笑みだった。
「我ら竜族は、戦う以外ではあまり役に立たないので、ドリスのような生活魔法が使える者は重宝されます。適材適所ですね」
「地位と俸給が多く与えられるのは光栄の至りです。ですが、わたくしとしましては、もっと研究の方に力を注ぎたいものです」
「研究、ですか?」
それは主にどのような研究なのだろう。
さきほど口にした、保持の術という聞き覚えのない術も気になる。
つい知的好奇心から問えば、ドリスはキラキラと瞳を輝かせ、おっとりした雰囲気からは想像できぬほどの勢いで捲し立てた。
「ミレーユ様も保持の術も気になられますか⁉ いえ、そうですわよね! 気にならないはずがございませんわ! 確かにわたくしは物を冷やすことを目的とする冷却の術を得意としておりますが、それだけではこれだけの食糧を長い期間保存することは難しいのです! ですが、この国の七つの国庫には最初から保持の術というものがかけられておりまして。保持の術というのは、食品の腐敗を遅らせる効果がある術なのですが、いえ、もちろん保持の術そのものは珍しい術ではございませんが、この国の保持の術は――――」
「ドリス、わたくしは貴女の見解をミレーユ様に説明しろとは命じておりません」
怒涛の勢いで説明を始めたドリスを、ナイルが冷ややかに制す。
冷却の術が使われている倉庫内よりも冷たい声音だが、ドリスは意にも介さずナイルに食ってかかった。
「まあ、これだから竜族は! この保持の術の仕掛けに興味を持たぬなど、貴女たち一族くらいのものですよ! もっとありがたみというものを知るべきです!」
「恩恵については感謝しております。ですが、ミレーユ様にそれを押し付けるのはお止めなさいと言っているのです」
「ミレーユ様も他種族の方ですもの! きっと深くご興味を持たれ、ご理解いただけるに決まっていますわ!」
「ですから、そのように押し付けるなと」
口論を交わす二人は、気心の知れた間柄なのだろう。
ナイルに対し、こうもポンポンと発言する人物をみるのは初めてだ。
そんなヒートアップする二人の会話を止めたのは、国庫の中を一通り見学し終わったルルだった。
「姫さまも冷たくする術ができるんですよぉ」
いつもの陽気な口調で話に割って入ると、二人の会話がピタリと止まる。
「まあぁ、なんと素敵! わたくしと同じ術をお持ちなのですね!」
「軽率にミレーユ様に詰め寄るのはお止めなさい!」
嬉々としてミレーユの両手を握るドリスにナイルの喝が飛ぶが、彼女の行動がそれで止むことはない。
一方ミレーユは、ドリスからこれでもかというほど期待値高めの瞳で見つめられ、狼狽しながらも強く否定した。
「いえっ、私は魔力量も低いですし、冷却といっても石の力を借りなければ成立しない術で……。とてもドリスさんのように長時間魔力を放出できるような力など持ち合わせておりません!」
「――――!?」
必死になって訴えれば、なぜかドリスの表情が強張る。一瞬、凍結したかのように動かなくなったドリスだったが、すぐに真顔に戻ると、ミレーユの掴んでいた手をゆっくりと離した。
「それは……。石の力を借りるとは、具体的にどのような方法なのでしょう?」
問う声は、先ほどの明るい張りのある声と違い、どこか硬い口調だった。
興味は失ったが、こちらへの儀礼的な問いかけだろうと、ミレーユは自分の術をたどたどしく説明した。
傍らにいたナイルは、ドリスの瞳が完全に研究者としてロックオンしていることに気づいていたが、ミレーユの説明を遮るわけにもいかず、気遣わしげな視線で場を見守る。
「――――つまり。石に術を付与し、石の力によってその後も力を保つということですか?」
ミレーユの説明を、一つ一つかみ砕くようにドリスが問う。
「はい……」
確かにミレーユには、ドリスが有しているような冷却の術に似た力がある。
けれどそれは己の魔力を放出することによって保たれるものではなく、石に魔力を加えることによって力を発動させるものだった。
いわば、石がなければ使えない不完全な術だった。
皆が当たり前に自分の魔力で力を放つというのに、石に力を付与しなければ術すら成立しない。
その異質さと貧弱さは、父からも半端者と蔑まれるほどだ。
身内すら眉を顰める力量のなさを口にするのはひどく恥ずかしかった。
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