庇護者の誓い
(とりあえず大切なことはお伝えできたはず…よね?)
中庭から部屋へと向かいながら、ミレーユはいまいちど確認する。
妹の存在、エミリアの名も伝えることができた。アルビノ種と言えば、髪の色、瞳の色は瞭然。
これできっと祈年祭で出会った少女の正体が分かったはずだ。
(あんなに嬉しそうにほほ笑んで下さったし!)
カインのあの笑顔は、一目ぼれした女性の身元が分かったことによる喜色に違いない。
重責を一つまっとうした安堵から、ミレーユの顔色は昨日よりもずっと血色の良いものへと変わる。これで無事エミリアが到着すれば、お役目御免。肩の荷も下りるだろう。
(でも、エミリアが来るまで、私はこのままなのかしら?)
すぐに国に返される感じもなく、エミリアのことを深く聞かれることもなかった。自国であったらなら、きっとこう動くだろうと思われるものが、この国ではまったく違う。これは圧倒的強者の余裕の現れなのか、それとも異文化故か。
(それにしてもカイン様の笑顔……どこかで……?)
昨日初めて会った方。たが、あの笑顔をどこかで見たような気がしてならない。
「ミレーユ様?」
「……、はい!」
カインの眩しすぎる笑みへの既視感がどうしても引っかかり、必死に考え込んでいると、ナイルに名を呼ばれ、大袈裟なくらい肩が跳ねた。
声をかけられただけでそこまで驚く必要はないと自分でも分かっているが、さきほどからずっとカインのことを考えていたことがなぜか気恥ずかしく、落ち着かなかったのだ。
「な、なんでしょう?」
「実は昨日ご紹介させて頂きました女官ですが、こちらの不手際で少々数を減らしての対応となりますこと、どうかお許しください。ミレーユ様にはご不便のないよう取り計らいますので」
ナイルはそう言うと、深謝を表すように膝を曲げ頭を下げた。
確かに朝の支度を手伝ってくれた女官の数が、昨日とは異なっていたのは気づいていた。
――――今日お越しになられた王妃様の女官候補たちが、総入れ替えするみたいよ。
聞き耳を立てていたこともあり、特段驚きはしなかったが、逆になぜいまなのかと不思議に思う。朝でもよかっただろうに。
(もしかしてカイン様との謁見まで待っていて下さったのかしら?)
人数が減ったとはいえ、カインとの謁見の為にナイルは完璧な支度を整えてくれた。その上お茶会でのフォロー。ナイルに対して感謝しかないミレーユは、柔らかく笑む。
「私は一向に構いません。皆様お忙しいでしょうし、これ以上お手を煩わせたくはございませんわ」
「こちらの鍛錬が足りず、ミレーユ様にはご迷惑をお掛けいたします」
「……鍛錬、ですか?」
随分と変わった言い回しだ。こういった表現は、ドレイク王国特有のものなのだろうか、それともミレーユに気づかれぬように言葉を濁しているのだろうか。
心中では首を傾げながらも、ミレーユはナイルに感謝を伝えることを優先した。
「ナイルさんには、何かとお心にかけていただきありがとうございました」
「まあ、もったいないお言葉ですわ! 人数に劣らぬよう、今後もわたくしが誠心誠意、死力を尽くして努めさせていただきますので、どうかご安心くださいませ!」
(し、死力?)
なにやら物騒な物言いが含まれていた気がするが、それよりも――
「あの……ナイルさんも代わられるのでは?」
茶会で発言を許されるほどの人物だ、てっきりナイルを筆頭に総入れ替えがされるのだと思っていた。
「いえ、わたくしは代わらずお仕えさせていただきます」
言葉は柔らかいが、『当然です!』という強い意思表示が見受けられる。
(いいのかしら……?)
ナイルは、自分を偽の花嫁だと知ってもなお追い返されるまで面倒を見てくれるつもりなのだろうか?
正直彼女が傍にいてくれるのはとても心強いが、同時に心苦しくもある。
混乱しているミレーユの横で、もう一人の女官がナイルに何か耳打ちした。ナイルはそれに深く頷くと、ミレーユに厳かに客人の来訪を告げた。
「お客様? 私にですか?」
自分を訪れるような客人などいるはずがない。何かの間違いではないかと伝えれば、「お国の方だそうです」との返答に余計混乱した。
ミレーユは、体一つで放り出されたようなもの。いまさら国の者を寄越すとはあまり考えられない。
(父上が使者を送ったのかしら? でも、出立の感じからして、あちらにそんな余裕はなかったはずだけど……)
首を傾げながら案内された部屋に入ると、そこで待っていた人物に、ミレーユは驚きの声を漏らした。
見慣れた小さな背と、肩までしかない黒髪。くるっとした大きな瞳はよく見慣れたもので――――
「姫さまぁ…」
「ルル!?」
ルルだった。
こんな遠い地にいるはずがないルルの姿に、ミレーユはナイルたちの存在も忘れ駆け寄る。
「ど…、どうして……っ? ルル、どうやってここへ?!」
父が送り出したのにしてもおかしい。ドレイク王国は、遥か彼方の地。強い魔力で強化された馬ならば数日で到着できるが、齧歯族の馬では何か月もかかる距離だ。昨日の今日で着くはずがない。
驚愕と戸惑いに思わずルルの両肩にふれると、ルルは我慢していたものを押し流すように声をあげた。
「ひ…、姫さまが、ルルのこと置いていったぁああああ!! ずっと一緒にいるっていったのにぃいいい!!」
顔を上げ、子供のように涙を零す。ルルの泣きかたは幼い時とまったく変わっていなかったが、ミレーユを慌てふためかせるには十分な威力があった。
「ご、ごめんなさいっ、置いていったわけではないのよ……!」
泣き声が広い室内に響くのを、ナイルたちが唖然として見つめていることは察していた。
所作美しい彼女たちからすれば、ルルの行いは本当に侍女かと思われるようなものだろうが、いまのミレーユにはそこまで気を回すことができない。
なんとか必死に宥めすかすと、ルルがやっと涙を止めてくれた。
「ルル……、どうやってここまで来たの?」
優しく問えば、ルルはまだ少ししゃくりあげながらも、ミレーユがドレイク王国へと発った日のことから語り始めた。
「姫さまのお部屋に行っても、姫さまいらっしゃらなかったから、おかしいなって思って……っ。それで、いろんな人に聞いたら、姫さまは朝、ドレイク王国の方とお城を出られたって……」
可哀想だとは思ったが、ミレーユはルルに説明することなくドレイク王国の馬車に乗った。
事前に伝えれば、きっとルルは自分もついて行くと言うだろうことが分かっていたから。
だが、これはただの旅行ではない。
見知らぬ土地に、しかも偽物の花嫁として行くミレーユの同行などさせられるわけがなかった。
「もしかしたらルルのこと忘れてるだけで、すぐ戻ってきてくれるかもって、ずっと外で待ってたけど……、何時間経っても戻ってきてくださらなかったから……ッ」
グリレス国はドレイク王国と違い、一年中気温の低い地だ。冬は積雪で前が見えぬほど。いまの時期でも日々冷たい雪が降り積もる。そんな寒空の下で、ルルが一人ポツンと待っていたのかと思うと胸が痛い。
「ごめんなさい、ルル……」
「そしたら、見たことのない紋章の大きな荷馬車が通ったんです」
荷を引いているのは、この辺では王族ですら所持していないような立派な六頭の白馬。荷台に描かれている紋章には竜。
それを見たルルは、瞬間的にその馬車を追った。道幅が狭かったこともあり、ゆっくりと進んでいた荷馬車に乗るのは簡単だった。
「まさか、その荷馬車に乗ってここまで来たの?」
「元始ネズミですから、隠れるのは得意です!」
泣いていた顔が、やけに自信満々に輝く。それに反し、ミレーユの方は顔色を真っ青に変えた。
「ルル、それは……」
まごうことなき密入国だ。
国にもよるだろうが、自国では申請なき入国は制限されている。密入国は、理由があっても許されるものではない。ドレイク王国の法律ではどう裁かれるのか。知識がないだけに、気が気でないミレーユの顔色は悪くなる一方だ。
(ルルと二人だけの時に聞くべきだったわ!)
ナイルたちの前で聞く話では無かったと、ミレーユは慌てて後ろを振り返る。
が、予想に反して彼女たちの瞳に非難の色はなく、それどころか慈愛に溢れた瞳でルルを見つめていた。
「まぁ、なんて健気な……」
ナイルが眦に涙をため、人差し指で拭う。他の女官たちも同様に、そっと瞳に指を当てていた。
(け、健気で許して下さるの??)
だがすぐに『いや、そんなわけがない』と我に返る。
「あの、順序が逆になってしまいましたが、ルルの入国をお許し頂けませんでしょうか!?」
ルルが罪に問われることだけはなんとか回避したいと必死に懇願すれば、ナイルは不思議そうに首を傾げた。
「罪など何一つございませんわ。ルル様は、陛下の許可は得てこちらにお通しされたお方です。いったい誰が罰せられましょう」
「……え?」
思いもよらなかった回答に、ミレーユは目を丸くする。
「お許しを……いただいているのですか?」
「はい。客人同様にもてなすよう指示されております」
「あ、ありがとうございます……?」
礼を言いつつも、ミレーユの頭は混乱していた。
あっさりと許されていたこともそうだが、客人同様にとはどういうことなのか?
普通、侍女を客人同様にもてなせと指示するものだろうか?
これが正使や特使ならまだ分かるが、ルルは彼にとってはただの召使だ。
(寛大なご処置は、カイン様のお人柄なのかしら? それとも、エミリアに心惹かれていらっしゃるが故に、国の者には優しく接してくださっているのかしら?)
「ミレーユ様も、ルル様とご一緒ならお寂しさも軽減して、お食事も進むのではないでしょうか。先程もほとんど口にされていらっしゃいませんでしたし、すぐにご準備致しますので」
え? と思うよりも先に、ナイルたちが動く。昨日と同じく、素早い動きで軽食やお菓子が載ったスリーティアーズが置かれ、昨日とは違う柄のティーカップが二人分。
鮮やかなブルーと金彩模様が美しいティーカップを見たルルが、「わぁ…」と一言発したまま固まる。
細かく繊細な文様と色彩豊かな花々が、手の中に納まるサイズのものに見事に描かれているのだ。一つの芸術品が目の前に置かれれば、ルルでなくとも固まるだろう。
その心境を誰よりも理解しているミレーユだが、フォローする暇もなく、あれよあれよという間にセッティングされ、気づけばテーブルには見事なお茶会が広がっていた。
「それでは、なにかありましたらすぐにお呼び下さいませ」
美しい一礼を残し、ナイルたちが退出する。それを立ち尽くして見送っていると、ふいに袖を引っ張られた。
「姫さま……、ルルのこと嫌いになったんですか?」
いつの間にか横に来ていたルルが、泣きそうな顔で力無げに袖を握っている姿に、つい強い否定の言葉が零れた。
「そんなことあるわけないじゃない! ルルは、私にとって大切な家族よ! 誰よりも大切な……」
曲り形にも王女の身分で、誰よりもなどという言葉を使ってはいけないことは理解していた。けれど、父よりも、実の妹よりも、ミレーユはルルが大事だった。
「ルルがいてくれたから、私は……」
知らず、下唇を噛んでいた。
大好きだった母亡き後、孤独なミレーユの心を慰めてくれたのはルルの存在があったからだ。
ミレーユの母は、エミリアの出産後すぐに息をひきとった。
最愛の母を失った悲しみは大きく、ミレーユの心にはいつも雨が降っていた。しかし父や臣下たちは、希少種アルビノであるエミリアの誕生を喜ぶあまり、悲観するミレーユの心までは感知してくれなかった。
それどころか、母の死の原因となった妹をミレーユが迫害するのではないかと危惧し、姉妹を完全に離してしまう。母が守り、命をかけて生んだ妹を邪険にするなどあるわけがないのに。
けれど、その声が届くことはなく、ミレーユは一人孤独な日々に耐えた。それを慰めてくれたのは、数か月後に産まれた乳母の娘、ルルの存在だった。
自分と同じ黒の瞳。その瞳と同じ黒の髪。ミレーユをじっと見る大きな瞳が可愛くて。ルルの小さな小さな指が、自分の人差し指をギュッと握る姿に、ミレーユは母が亡くなってから初めて笑うことができた。
産まれて半年以上が過ぎても、未だに顔も知らない妹よりも早く出会えたルル。ミレーユにとっての妹は、ルルだった。
小さなルルを抱き上げた時、自分が守ってあげたいと思った。守ってあげなければと誓った。
誓ったのだ――――。
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