謁見
結局その晩は断罪されることもなく一夜を過ごしたミレーユは、次の日、陽のそそぐ中庭に設けられた季節の花が美しく咲き誇る庭園にいた。
ナイルが約束通り、お茶会という名目でドレイク王へのお目通りを叶えてくれたのだ。
それは大変ありがたく、感謝しても感謝しきれない。
だが――――
(す、すごく重々しい……)
長方形の長いテーブルの先には、ドレイク王・カインが鎮座しているが、お茶会というにはあまりにも距離の離れた座席配置。
そのうえカインの周りには、魔力、気力に溢れた勇敢な竜士たちが控えており、圧がすごすぎる。
(お会いできる機会をいただけただけでも、とても光栄で恐縮ではあるのですが……)
だが、これはもうお茶会ではなく、最高対戦指導会議くらいの空気感ではないだろうか?
そこでハッと気づく。
(そうよ、自分は招かれざる花嫁。あちらにとっては危険人物なのかと疑われても仕方のない身だわ)
これはミレーユから王を守っている故なのだろう。
どう見ても能力も魔力も大したことのない小娘でも、念には念を入れて臨戦態勢を崩さないところはさすがカースト最上位、神の種族。
王女という身であっても、普通に村におりて村人と話す最下位の齧歯族とは格が違う。
(そうよね。やはり大国は違うわよね)
しかしこうなると、どこまでも自分の存在のせいで手間をかけさせてしまっているのが申し訳ない。謝罪したくとも、口にすることで露呈に繋がる可能性を考えれば安易に頭を下げることも難しい。
せめて、こんなとき機転の利く能力があればよかったのだが、残念ながらそんなものあるはずもなかった。
肩を落とす濡れネズミのように、身を小さくしているミレーユをどう思ったのか、先に声を発したのは彼のほうだった。
「……なにか、困ったことなどありませんか?」
「え…」
声量は大きくないと言うのによく耳に響く声は、若々しくも落ち着きがあった。
仮式の時も返答程度の声は聴いていたが、言葉として発している声は初めてだ。
(困ったこと?)
一番困っているのはミレーユではなく、そちらの方ではないだろうか。
なんせ来たのが美しくもなければ若くもない、ついでに魔力も能力もたかが知れている、まったく知らない娘が来たのだから。
(あ…っ、もしやこれは遠回しに花嫁の行き違いの件を口に出されているのかしら!?)
気遣いの中に違う意図を含ませて、こちらの真意を探ろうとしているのかもしれない。
これは慎重に言葉を選ぶ必要がある。一番無難な返事は、「いいえ、ございません」だろう。多少頬が引きつりながらも、何とかほほ笑みながらそう返せば、カインは表情を変えずに「そうですか……」と小さく呟いた。切れ長の瞳が少し残念そうに伏せられる。
期待していた言葉でなかったのだろうことは明白で、ミレーユの胃が罪悪感にキリキリと痛む。
(申し訳ありません! でも、こちらからお伝えするわけにはいかないのです!)
格上の国と分かっておきながら謀っていることがもし知られたら、どれだけのお咎めを受けることになるか。齧歯族など、竜族が本気になれば一日どころか、一瞬で吹き飛んでしまう。
結局、双方それ以上の言葉をかけることができず、場に沈黙が落ちる。
ミレーユの方から頼んだというのに、これでは場を設けてくれたナイルの立つ瀬がないではないか。
夕べ聞き耳を立てた内容からして、今度こそナイルはミレーユが望まぬ花嫁だと知ったはずなのに、朝も昨日と変わらず対応をしてくれたというのに。
優しく『眠れましたか?』と気遣ってくれ、身支度を整えてくれた。他の女官にテキパキと指示をしつつも、ミレーユに直接触れる行為についてはナイルがすべて行い、用意されていたドレスや耳飾りを趣味よく合せてくれたのもナイルだ。
悲しいかな、ミレーユはドレスを見た瞬間、生地、緻密な刺繍、縫い付けられた宝石の数に完全に怖気づき硬直してしまったため、ナイルがいなければ、まず朝の身支度が終わらなかっただろう。
そんな如才なく動くナイルが、唯一迷ったのがネックレスだった。
なぜか胸元を飾るネックレスだけは何個か付け替え、結果的に「やはりネックレスはない方が、文様が映えて美しいですね」と言われて除外された。
文様が映えて美しいとは、どういう意味だったのかよく分からなかったが、耳飾りだけでも煌びやかで見事なダイヤがあしらわれているものを着けられていたので、これ以上身の丈に合わない装飾品が増えるのは遠慮したかったミレーユは、ホッとして深くは聞かなかった。
(ナイルさんにこれ以上ご迷惑をかけないためにも、早く本題に入らなければいけないけれど、どうお伝えすればいいのかしら?)
もんもんとするだけで、思考が定まらない。
喋らない男と、考えに集中し過ぎて下を向く女。お茶会はいつの間にか黙食のようになっていた。
そんな氷上のような空気を和ませたのは、宰相と紹介された男、ゼルギスだった。
「お二人共そのように緊張なさらずに、もっと気軽にお茶をお楽しみください」
彼は、カインの叔父にあたるらしい。確かに王族の血を引いていることが一目で分かるほど魔力に溢れていた。
容姿も美男子のカインと並んでも遜色のない端正な顔立ちで、短髪であるカインと違い、ゼルギスは流れるような長いブラウンの髪をもち、瞳は研磨された宝石をはめ込んだかのような美しい緑玉。その瞳が、フレームの細い銀縁眼鏡の奥で、ニコリと弧を描く。
威風堂々とした知的な雰囲気の彼だが、それにしてもやけに若い。齧歯族から見ても、二十台後半の外見だ。
(こんなお若い方が宰相だなんて、すごいわ)
それでいえばカインも年の数えは十八。エミリアの三つ上だと、祈年祭が終わった後の噂で聞いたことがあった。噂が本当なら、十分に若すぎる王といえる。
そんなことを考えていると、ゼルギスから気遣わしげに問われる。
「ミレーユ様、昨晩もあまり食がすすまれていなかったとお聞きしています。こちらの食事はお口に合いませんでしたでしょうか?」
「いえっ、もともと食が細いだけですので。お料理もとても美味しかったです!」
慌てて謝罪すれば、ゼルギスは思案するように指を顎先にあてた。
「でしたら、栄養価が高く口当たりのよいものをご用意いたしましょう」
「そのようなお気遣いは…」
「あちらのお国とは気温や気候も色々と異なることもございましょう。ただでさえ、竜族の婚儀は長丁場ですから。婚礼の日まではとくにミレーユ様のご体調には万全を期させて頂きます」
「あの……」
(なぜ? なぜゼルギス様は、こんなにも私を花嫁として扱われるの?)
まさか宰相の地位にある彼が、花嫁の行き違いの件を聞いていないわけがない。
これも先程のカインと同じく、真意をはかるための手法なのだろうか?
うまい口上が言えずにいるミレーユとは反対に、ゼルギスは笑みを深め、軽い調子で続けた。
「とはいえ、まだ夏至の婚儀までは時間がございますから、お部屋ではご自由にお過ごしください。なにかご趣味などあられましたらナイルに準備させましょう。どのようなものがお好きですか?」
考え込んでいたせいで、一瞬ゼルギスの質問を聞き流してしまいそうになる。
ミレーユは慌てて頭を働かせ、自分の好きな趣味を考える。
「趣味、ですか……あ、食料備蓄について計算するのが得意で」
す――と言う前に、自分の発言のマズさに気づき、サーっと血の気が引く。
間。
間。
間。
静まり返った静寂が、肌に痛い。
仮にも王女とあろう者が好む趣味ではないことは自分でも十分理解していたのに、つい答えを焦りすぎ、馴染みのものがポロリと零れてしまった。
恐る恐るカインに視線を向ければ、完全に表情を失った顔で固まっていた。
(ああああぁあ。どう考えても、この回答じゃダメですよね!!!)
カインから漂った魔力の渦は、ほのかに怒りの感情が混ざっていた。
偽花嫁以前に、この時点で切り捨てられる!? と、慌てて謝罪の言葉を続けようとしたが、
「
横に控えていたナイルが、涼やかな声音で賞賛の言葉をくれた。
母国では、王族間の会話に他者が入るのは許されない行為だが、ナイルはただの女官という存在ではないのか、誰も非難も目を向けることなかった。それどころか、ゼルギスも納得するように頷いている。
カインの表情は未だ固まったままだったが、思いもしなかったナイルの助け船に、ミレーユは思わず涙目で拝みそうになる。
(こんなに謀ってばかりなのに、なんてお優しい方なの!)
この恩に報いるべく、少しでも早く偽花嫁の女官から解放させなければ、とミレーユは一人意気込む。
しかし、
「では、本日のお茶会はここまでということで。陛下、そろそろ公務のほうに戻って頂きます」
「あ……ああ」
ゼルギスがお開きを宣言すると、カインも我に返ったように応える。
(え、これで終わりですか?!)
結局、偽花嫁の件についてはなにも言及されずに、あっけなくお茶会が終了してしまった。
昨夜までは、場を設けさえすれば花嫁の件を糾弾されると思っていたが、どうやら他力本願ではダメなようだ。
(ドレイク王国のような大国では、間違いを認知し訂正する行為自体が難しいのかもしれないわ。カイン様はまだ即位されて間もないとお父様も仰っていたし)
早々に花嫁の件で間違いがあったなど、やはり外聞が悪いだろう。
ならばこちらから、核心は避けつつも正解へ導かなければなるまい。
これ以上、ナイルたちに迷惑をかけないためにも――――。
(大切なことは、カイン様が一目ぼれされたのは第一王女のミレーユ・グリレスではなく、妹のエミリアだということをきちんと理解してもらうことよね。その上で、エミリアと再会を果たしてもらえれば……)
鈍っていた思考が、徐々に動き出す。
何かいい言い回しはないかと頭をフル稼働させていると、カインが席を立った。丁寧に、先に場を離れることを詫びて。
その気遣いに背を押され、ミレーユは思い切ってその後姿を呼び止めた。
「か、カイン陛下!」
名を呼べば、カインは驚いたように振り返った。ミレーユの声量に驚いたのか、灼熱の瞳が大きく開かれる。
「あ、あの、私にはアルビノ種の妹がおりまして……その、一度ドレイク国を訪れてみたいと、ずっと焦がれておりました。こ、婚儀の前に、妹が入国することをお許しいただけますでしょうか? 名を、エミリアというのですが……」
必要な情報はすべて入れ込んだ。
どうだ! と、ばかりに真っ直ぐにカインを見つめれば、ガーネットよりも煌びやかな瞳が一瞬まばたく。しかし、開かれた瞳はすぐに三日月のように細められ、薄い唇がふわりと笑みをつくる。
「それは――――歓迎致しましょう」
無表情な美形は、氷の彫刻のようでどこか冷たく恐ろしいイメージがあったが、一変して春の木漏れ日のようなあたたかいものへと変わった。
耳朶が震えるような声音は、聞いているだけで腰が砕けそうになるほどの威力があったが、ミレーユの意識は別の方向に向く。
(あ、れ……?)
なんだろう、この既視感は?
カインの優しくほほ笑む表情が、誰かに重なる気がする。
思い出そうと記憶を辿るが、その前にカインは公務へと戻ってしまった。
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