予期せぬ来報
――――1週間前。
「え? 私に縁談のお話が?」
その日、ミレーユは休憩ついでに、次の刺繡の図案を考えていた。
お茶を準備する侍女、ルルの「すごい縁談がきたそうなんですよ!」の言葉に耳を傾けていたが、それがまさか自分の話だとは思っていなかったミレーユは、はて? と首を傾げる。
グリレス国第一王女、といえば聞こえはいいが、田舎の小国。
しかも、この世界ではカースト最下位の種族、
齧歯族は、ネズミを祖先にもつ。
――――遥か太古、動物は人へと進化した。
進化せず、動物のままのものもいるが、齧歯族は人へ進化した一つだった。
だが、しょせんネズミはネズミ。
魔力も能力も大したことがなく、戦うことなどできない。できることといえば、農作物を育てることくらい。
しかも近隣諸国が争いを起こせば、戦争に参加していなくとも強い余波を受けるほどの弱国。
現に、十年前にも隣国、ヘビを祖先にもつ
そんな貧乏国の第一王女であるミレーユに、縁談がくるなど今まで一度たりともない。
「そういえば、
サルを祖先にもつ霊長族の王から、側室に
「あんな下半身でしかものを考えられないジジイなんて論外ですよッ! 齢八十を超えてるくせに、孫よりも若い姫さまをめとろうなんてあつかましい! 下半身が腐って壊死すればいいのに!」
「ル…、ルル。ちょっと表現が……。もうちょっと抑えて、ね?」
ルルのあまりの剣幕に、ミレーユがたじろぐ。
内心、十三番目の側室でももらってくれるだけありがたいお話ね~、なんて思っていたことを口にしなくてよかったと胸を撫で下ろしながら、ミレーユはルルを落ち着かせるために、まだ口にしていなかった自分のお茶を差し出す。
普通の侍女ならば、すすめられても王女の飲み物を口にはしないが、ルルはなんの躊躇もなくコクコクと飲み始める。
「――ぷはっ、おいしいです!」
「ふふ。よかったわね、ルルがおいしく紅茶を淹れらるようになった証よ」
五つ下のルルは、少しおっちょこちょいで素直に本音をこぼしてしまうところがあったが、ミレーユにとっては可愛い妹のような子だ。
実妹が少し遠い存在なだけに、幼い時から屈託なく懐いてくれることが嬉しくて、つい甘やかしすぎてしまうきらいもあるが、できるだけ二人だけのときにしているので、誰かに見咎められることもない。
落ち着いてきたルルを眺めながら、ミレーユは「でもね、」と話を続けた。
「私はとうに結婚適齢期を過ぎているし、突出したところもない。そんな相手と縁談を組みたいと思うような方は、近隣諸国にはいらっしゃらないわよ」
齧歯族の老いは早く、寿命も短い。
十五歳にもなれば、大半の娘が結婚する中で、ミレーユの歳はもう十八。完全なる嫁き遅れだ。
これで器量か能力、どちらかに恵まれていれば希望もあっただろうが、ミレーユの髪は少し癖毛の灰褐色、瞳も黒。齧歯族に一番多い色で特色は皆無。顔立ちも十人並みで、瘦せすぎた体は豊満さに欠けていた。
そのうえ使える力も、自国ではなんの価値もないと笑われる程度のもので、魔力の総量もお粗末。
つまり、わざわざ王妃に迎えるような人材ではないのだ。
「近隣諸国ではありません、お話はドレイク国だそうです」
「え?」
頭をチラリとも横切らなかった王国の名に、ミレーユは聞き間違ったのかと思った。
「ドレイク王国……?」
遥か彼方の遠い地ではあるが、ドレイク王国の名を知らぬ者は、どんな弱国の王族にもいないだろう。
動物が人へ進化する発端となったといわれる、始まりの種族――――。
竜を祖先とする、まさにカースト最上位、神の種族だ。
その力は圧倒的で、凄まじい魔力総量は他の種族の
「ルル、ドレイク王国というのは、とてもうちのような小国を相手にするようなお国じゃないのよ……あ」
幼子を諭すような口調で発していた言葉が、途中で止まる。
思い出したのだ。一体なぜそんなことになったのか分からぬが、今年の豊作を願う祭り、
「祈年祭にいらっしゃった際、第一王女であられるミレーユ様に一目ぼれされたそうです。それでぜひ王妃として迎え入れたいと。そのための準備、資金はすべてあちらがご用意してくださるそうです」
「あら…まぁ」
あまり驚いていない声が、室内にこだまする。
なぜなら、なんとなく事の経緯が読めたのだ。
ルルは、どんなときもミレーユのことを“姫さま”と呼ぶ。“ミレーユ様”と、名で呼んだことには意味があるのだ。
「とても素敵なお話ね。まるで物語の主人公のようだわ。でも、ひとつ問題があるわね」
困った表情で、ミレーユは細面に指をあてる。
「――――私、今年の祈年祭には参加しなかったわよね?」
「はい、姫さまは体調不良でご欠席でした」
基本、健康が取り柄なミレーユだが、その日はひどい吐き気と頭痛でベッドに臥していたのだ。
本来なら、ミレーユは第一王女の責務として国賓を出迎えなければならなかったのに。
そんなミレーユに代わって国賓を出迎えたのは、他国に嫁ぎ、この日のために帰省していた妹、エミリアだった。
ミレーユと違い、十五歳でお嫁にいったエミリアは、白い髪に赤い瞳をもつ希少種アルビノ。しかも、齧歯族には珍しい癒しの魔法を使うことができ、別名“聖女の君”と呼ばれていた。
容姿も美しく、誰もが守ってあげたくなるような美貌は小国の第二王女とはいえ、多くの隣国から花嫁にと求められたほどだ。
あの日、大国ドレイク王国の若き王をもてなしたのは、エミリアだった。
後の話で、あの“神の種族”すらエミリアには始終笑顔で、とても紳士的だったとか。
エミリアと会話をする以外では、無表情で、少し不機嫌な雰囲気があっただけに、その温度差にさすが“聖女の君”だと誰もが褒め称えていた。
すべての情報をもとに総合すると、結論は一つ――――。
「つまり、私とエミリアを勘違いされていらっしゃるのね……」
各国の招待状には、出迎えは第一王女が行うことが記載されていた。
近隣の国の者なら、エミリアを見て、すぐに第二王女だと気づいただろうが、ドレイク王国は遥か遠い地の国。弱国の王女の違いなど、知るわけもない。
「でも、エミリアは名乗ったのではないかしら?」
ならば勘違いなど起らぬはず。ミレーユの疑問に、ルルが残りのお茶を飲み干しながら言う。
「あの時のエミリア様、けっこう舞い上がってましたから名乗ってなかったんじゃないですか? ドレイク王、めっちゃイケメンでしたし」
ルルも手伝いに駆り出されていたため、二人を遠くから見ていたらしい。だが、言葉に少し棘があった。
(私の看病ができなかったこと、まだ怒ってるのかしら?)
どうやら、『ルルは祈年祭よりも、姫さまの方が大事なのにーーっ!』と激しく憤っていたことを思い出させてしまったようだ。
「そ、そうね。あんな端正な美丈夫はこの世にいらっしゃらない。まるで生きた宝石のよう方だったって、皆が噂していたものね!」
だんだん目じりを上げ、頬を膨らまし始めたルルの気を紛らわすようにミレーユは声量を上げるが、効果は薄かったようだ。
「エミリア様より、姫さまの方が優しくて素敵だもん! それが分からない方なんて、宝石なんかじゃありません!」
ルルは怒り任せに、ふんっと首を背ける。怒り方が幼少期から変わっていない。
ミレーユは、つい笑ってしまう。
「ルルがそう思ってくれているだけで嬉しいわ」
「もうっ、本気にしてないですね! ドレイク王だって、姫さまの傍にいればきっと分かるはずなんです! だから、ドレイク王国には姫さまが嫁げばいいんですよ!」
「まぁ、それは詐欺行為よ」
「詐欺じゃありません! あっちが勝手に勘違いしてるだけですもん。ろくに調べもせずに間違うなんて失礼なのはあちらなんですから、シレっと姫さまが行かれても文句ないはずです!」
すごいいいように、さすがのミレーユも苦笑しか零れない。
「さすがにシレっとは行けないけれど。私もドレイク王にはお会いしたかったわ。あの日、体調が万全だったらと思うと残念ね」
「姫さまも、イケメン王に会いたかったんですか!?」
浮ついたところのないミレーユにしては珍しいと、ルルが身を乗り出す。
「そうね。厳密にいえば、現王様ではなくて先王様にだけれど。……お礼をお伝えしたかったのよ」
「お礼?」
「ルルはもう覚えていないかもしれないけれど、十年前の争いを終結させたのは、ドレイク王国のお蔭なの。遥か遠い国のお方なのに、たった一声で争いを終わらせてしまったのよ。あのお慈悲がなければ、私たちは餓死していたかもしれないわ」
当時、九歳だったミレーユはあの過酷だった日々を鮮明に覚えていた。争いに参加しているわけではないのに、日ごと人々の生活が苦しくなる。一日一食、それも少量の麦で食いつなげる日々。
王女の身でも食事はわずかなもので、それすら周りの家臣に分け与えていた。その名残か、いまだミレーユの食は細く、質素なものを好む傾向にあった。
「じゃあ、お礼をお伝えするためにもドレイク王国に嫁ぎましょう!」
「え、そこに繋げるの?」
「もちろん姫さまが嫁ぐときは、ルルもいっしょですから! 絶対に連れて行ってくださいね!」
「ルル……」
どこまでも付いていくと豪語してくれる気持ちは嬉しいが、それを叶えられるかは別だった。
「さすがに勘違いをされていらっしゃると分かっている所へ嫁ぐなんて無理よ。このお話は、お父様がきちんと訂正するわ。一目ぼれされた張本人のエミリアがもう他国に嫁いでしまった身だと聞けば、あちらも納得していただけるはずよ」
「むぅ…」
「ね。膨れた頬を治して、お茶を飲みましょう。私の好きなチュシャの実がおいしそうだわ……ぁ!」
ルルは納得できずに視線を床に落としていたが、突如声を上げたミレーユに慌てて首を上げる。
「姫さま、どうされました!?」
「見て、ルル! これ、中の実が二個はいっているわ!」
爪先が強化されている齧歯族は、固いチュシャの実もなんなく割ることができる。
きれいに割られた実の中には、確かに実が二つ。
それを嬉しそうにルルに見せてくるミレーユの瞳はキラキラと輝いており、本気で喜んでいるのが察せられた。
「はい。二個入っていたから、ルルにも一個あげるわね!」
ルルはチュシャの実を受け取りながら心のなかで拳を握りしめ、泣いた。
――――あああぁぁ、うちの姫さまの幸せがささやかすぎるぅぅううう!!
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