第5話『ぶつかり合わなきゃ伝わらない』

 “困ります”


 そう言って走っていった小春の姿が、頭の中で何度も再生されている。


 つまり僕はふられたのだ。


 心を半分えぐり取られたような喪失感。それはもう永遠に満たされないの事を受け入れ絶望する。


 これが失恋なのだと、その日僕は知った。


 家に帰ってベッドに倒れこむ。


 幸い家の中は僕一人。誰にも涙を見られることは無い。


 まるで僕の涙腺に合わせるように外はいつの間にか大粒の雨が降り出していた。

 通り雨が多い季節だ。予報によれば明日は晴れるらしいから祭りには影響ないだろう。


 だけど僕にはどうでもいいことだ。


 もう神社に行くことは無いだろう。


 小さく部屋のドアを叩く音がした。


「お兄ちゃん、いるの?」


 ドアの向こうから瑠環が呼ぶ声が聞こえる。


 僕は夕飯を食べに行く約束があったことを思い出した。


 時計を見ると、もう20時を回っていた。


 玄関の鍵は閉めてないし、瑠環は普段からうちに出入りしているから心配して様子を見に来ても不思議じゃない。


 近所とはいえ、小学生が一人で出歩く時間じゃない。瑠環の家に誤りついでに送っていこうとベッドから身体を起こす。


 袖口で涙を拭ってそっとドアを開ける。そこには心配そうにした瑠環の顔があった。


「お兄ちゃん? 大丈夫?」 

「ごめん、ちょっと寝てたんだ」

「……お兄ちゃん、泣いていたの?」


 僕が隠したかったことは一発で見抜かれてしまった。


 目が赤くなっていたのか、声が少し震えていたからか、頬に涙の後でも残っていたのか?


 どっちにしても格好悪いったらない。この子の前ではいいお兄ちゃんでありたかったのだけれども、それも、もう台無しのようだ。


「……お兄ちゃんは、あの人の事が好きだったの?」


 予想外に踏み込んできた瑠環の言葉に僕は驚いた。


「……どうしてそれを?」

「みゅらちゃんに聞いたよ。お兄ちゃんがあの人に告白したって」

「……余計なことを」


 瑠環は僕が小春が好きで今日告白してふられたことまで知っているようだ。


 情報源となったポニーテールの少女に内心で舌打ちするが、憎めなかったのは誰かと話しを聞いて欲しかったからかもしれない。


 それが妹のような少女だったとしても……


 けれど、それが間違いだったとすぐ気づくことになる。


「あたしね、ずっとお兄ちゃんに伝えたいことがあったの。……もうちょっとだけ、もうちょっとだけ大人になったらって思っていたのに。もう言えなくなっちゃった」


 瑠環も泣いていたのだろう。その声は震えていた。


 傷ついていたのは僕だけではなかった。


 自分の気持ちだけで手一杯で大切なことを忘れていた。


「うん……ごめんな」


 瑠環の好意には、ずっと前から気がついていた。


 僕が小春と話をしていたときにやきもちを焼いていた事も、僕は気がつかないフリしていたんだ。


 瑠環の想いには答えられなかったから。


 自分の想いが叶うことががないと知ったとき、瑠環も今の僕と同じようにひっそりと涙を流したのだろうか?


 でもそれは、どうしようもない。どうしようもないことだった。


「……少し一人にしてくれないか?ちょっと色々あって、疲れたから、今日はもう休みたいんだ」


 しかし、瑠環は帰ることはなかった。代わりに、小さな、消えそうなくらい小さな声で言った。


「お兄ちゃんは、……小春さんに告白したんだよね?」

「うん」

「やっぱり気がついていなかったんだね……。あそこにいたのは小春さんの双子の妹の小和さんだよ?」


 なんの冗談を言っているのかと思った。

 驚いて瑠環の方を見ると、瑠環は淡々と事情を話し始める。


「小和さんがお兄ちゃんに告白されたって、小春さんもみゅらちゃんも驚いてたの。でもお兄ちゃん小和さんのこと知らないよね? だから変だなって」


 どうやら冗談では無いらしい。


 小春が双子? 


「……本当なのか?それ?」

「うん。小春さんが長女で、双子の妹の小和さん。その下に結衣さん。十名界神社の美人三姉妹って有名なの」


 知らなかった。だが、知ってしまったからには、ここで泣いているわけにはいかない。


「ごめん瑠環、神社まで行ってくるよ、教えてくれてありがとう」


 遅い時間だけど、すぐにでも神社に行って、小和さんに謝罪しなければいけない。そして、改めて小春に告白しよう。


 まだ、希望があると分かり、視界が明るくなった気がした。


 けれど次の瞬間、僕は瑠環に押し倒されていた。


「嫌っ! 行っちゃ嫌!」


 悲痛な声を上げる瑠環。


「……瑠環」

「嫌! ……お兄ちゃんずるいの、もう一回やり直しなんて、そんなの、ずるい……」


 瑠環は僕の胸に顔をうずめて涙を流している。そんな瑠環を見るのは初めてで、僕には、どうしていいのかわからなくなった。


 ただ、間違いなく言えるのは、僕が好きなのは小春だということだ。だから瑠環の気持ちには答えられない。


 瑠環が泣いているのを見ているのは辛いが、これはどうしようもない。


 瑠環は僕にとって妹のような存在で、この先瑠環を恋人として見ることはないだろう。


 だからといって、泣いてる瑠環を振り払うこともできず、僕は迷っていた。


「瑠環、どいて欲しい……」

「嫌っ!」

「瑠環!」


 聞き分けの悪い瑠環に、僕の語気も強くなる。しかしそれでも瑠環は僕を離そうとはしない。


「お兄ちゃん、鈍いふりばっかりしてずるいの。あたしの気持ちに気づいてるくせに、いつも気がつかないふりばっかり。あたしだけじゃない。みゅらちゃんのことだって……お兄ちゃん、昔みゅらちゃんのこと好きだったよね?」


 瑠環が気づいていたとは驚きだったが、確かに僕は昔水響に惹かれてた。男の子みたいな見た目で、悪戯好きだけど、強くて面倒見が良くて、一緒にいると楽しかったから。


「みゅらちゃんはずっとお兄ちゃんのことを気にしてた。2年間前、悪戯で傷つけてしまったお兄ちゃんと仲直りしたいってずっと願ってた。それにあたしとも……あたしも、お兄ちゃんを傷つけたみゅらちゃんを許せなかったからみゅらちゃんのこと避けてたの」


 神社で言ってた水響が叶えた願いってこのことだったのか。しかし、瑠環と水響の仲もそのとき途切れていたことを僕は初めて知った。


 学年は違うけど、僕の記憶の中には2人は仲良くしてる姿しかない。


「去年の相撲大会の1回戦。あたしとみゅらちゃんが当たったとき、みゅらちゃんから方から、仲直りをかけて勝負をしたいって言ってきたの」

「なんだよそれ。勝てばなんでも有りなのかよ」


 この町では揉め事は相撲で決めろと言われている。だけど言うなればそれは他人の気持ちを力でねじ伏せるのと変わらない。


 強ければ何でもあり。そう思ってるような水響の行為に怒りが湧いてくる。


「そんなわけない! でも、あたしもそのときそう思ったの。強ければ思い通りになると思っている、みゅらちゃんに腹が立って、負かしてやりたくなって、あたしは勝負を受けたの。それでその試合であたしが勝った」

「勝った? お前が?」

「うん……でも本当はね? 負けそうになったあたしは、ムキになって強引にみゅらちゃんを投げようとしたの。でもそんなの上手く決まるわけがなくて、そのままだったらあたしは大怪我してたと思う。その時みゅらちゃんはあたしを守るためにわざと投げられたの。おかげであたしは軽い捻挫だけで済んだ」


 ……それは確かに水響らしい。


「昔遊んだ山の上のお社覚えてる?」

「うん」

「みゅらちゃん、会場を離れてひとりでそこで泣いてたの。勝負の中であたしの拒絶に気がついたから。それに勝負に負けて、あたしとの仲が戻ることがなくなったって、それで泣いてたの。そんな……、そんなみゅらちゃんだったから、あたしは許したの」


 本気でぶつかり合ってこそわかることがある。まるで少年漫画ような話だ。


 この町の子達は強くてまっすぐで、いい子なんだけど、一途で頑固で、言葉だけでは伝わらないらしい。ぶつかり合わなきゃ分からないらしい。


 ならば僕もその流儀で語るべきなのではないだろうか?


「瑠環、僕と勝負しよう。僕が勝ったら、このまま神社に行かせてもらう。瑠環が勝ったら、今日は諦めるよ」

「勝負?」

「うん。諍いは相撲で決めるのが掟なんだろう? だったらそれで決めよう」


 瑠環は僕の顔をじっと見つめる。僕はその目を逸らさずに受け止めた。


「瑠環が強いのは知ってるよ。だから挑戦させて欲しい。僕の気持ちを確かめて欲しい。でもそうだね。僕は初心者だし、一発勝負じゃなくてどっちかが降参するまででどうだろう?」


 はっきり言って瑠環に有利な勝負だった。普通に試合なら僕は瑠環に勝てない。瑠環がこれまで積み重ねてきたものが僕が男だからと、その程度の事で覆りはしない。


「それなら……でも、あたしが勝ったら……ううん、なんでもないの」

「……瑠環?いいんだな?」

「うん。いいの」


 瑠環は何を言いかけたのだろう? いや、たぶんそんなのどうでもいいんだ。


 自分の気持ちと相手の気持ちをぶつけ合う。そのための勝負なんだ。


「後で泣いても知らないからな?」

「もうふたりとも泣いてるの」

「それもそうだった」


 瑠環は2歳も年下の女の子だ。でも武道というのは年齢や性別よりも経験がものを言う。確かに相撲は体格的に差があればどうしても覆さない場合もあるが、僕と瑠環にはそこまで差は無い。


 背丈は僕の方が高いけれど、たぶん体重はほとんど変わらない。

 乙女の体重をなんで知っているかといえば、ごく最近、僕の体重を知った瑠環がやたらショックを受けていたからだ。


 そのとき、とても面白いことになっていた瑠環の表情から察するに、僕とほとんど変わらないか、少し重いくらいだったのかもしれない。

 一応瑠環の名誉のために言っておくが、もやしっ子な僕よりは健康的な身体つきをしているというだけで、瑠環は決して太ってはいない。それに発育具合も良好だ。


 僕たちは素足で庭に出た。


 雨はまだ降っていたが、勢いは弱まっている。


 うちの庭は相撲をするには十分な広さがある。それにひとり日本に残る条件として掃除もこまめにやっていたからゴミや小石も落ちていない。


 汚れることを気にしなければぐっしょりと濡れた土を踏む感覚は悪くない。


 そんなの気にする方が野暮だとう。


「さあ、始めよう」

「うん」


 瑠環と対峙して腰を落とす。蹲踞の姿勢は剣道でもやるけれど、袴を履いてないとどこか違和感が有った。


 地面に手を付く。


 この町の神様。僕はこれから真剣にこの子と勝負します。だからどうか明るい結末を、僕たちにください!


 お互いが両手をついた瞬間が勝負開始の合図だ。


 ガツン!


 組み合った瞬間、瑠環の頭が激しく顎をうって僕は怯んだ。


 こうして組み合って気が付くこともある。小さくて大人しそうに見えていた瑠環は、思った以上に大きくて、そして強かった。


 瑠環は僕の体をがっちりと捉えて、じっくりと押し上げるように力を加えてくる。僕もなんとか抗おうとするが、瑠環の体は動じない。体を安定させる姿勢、より強く力を加える方法、相手のバランスの崩し方という技術をしっかり習得しているのだ。


 無理だ、勝てない。敵わない。


 気持ちが折れたとき、まるで心を読んでいるかのように瑠環は腋の下から通した左腕でだけで僕のからだを引き寄せ、一気に地面に投げ倒す。


 雨に濡れた地面は柔らかくて痛くはないが、とても気持ちが悪かった。


 あまりに呆気ない敗北。


 情けないとか、悔しいとか、そんな気持ちはわかなかった。


 ただ、恥ずかしい。


 僕は心のどこかで瑠環が手を抜いてくれると期待していたのだ。


 瑠環はきっと僕の気持ちを優先してくれると、都合の良い展開を期待していた。

 でも違った。瑠環は本気だった。力尽くで自分の意思を貫くために僕を打ち負かした。


 本気でぶつかってくる瑠環に、甘い考えを持って勝負に挑んだことが恥ずかしくて、思い知らされた気がした。


 なんてことだろう。僕は小春にも瑠環にも水響にもふさわしくない……僕は彼女達をまともに受け止めることができないのだから。


「……誰にも渡さない。お兄ちゃんは絶対誰にも渡さないの」


 瑠環はなにやらぶつぶつとヤバ気なことをつぶやいている。

 しかし、もう勝負は始まってしまった。菜は投げられているのだ。今は、嘆いてる場合じゃない。


 まず、こいつをどうにかしないと……


 脳筋娘共め。意地でも追いついてやる!


「降参するまでだって言っただろう?」


 僕は渾身の気力を振り絞って立ち上がった。


 はっけよい!


 再び組み合うが、やはり力量差は歴然だ。速攻押し倒されそうになる。だけど今度は気持ちが折れることはなかった。頭は冷静に勝機を伺う。


 瑠環はTシャツにレギンスという動きやすい格好だが、こっちとしては掴むところが無いのが厳しい。それでも、瑠環の腹の下に腕を回して強引に持ち上げようと力を込めた。


 確かに瑠環の力は強いけど、身体は小さくて軽い。なりふり構わなければ持ち上げることも、投げることもできるはず!


「お、お兄ちゃんダメっ! 危ないっ!」


 瑠環が静止をかける。しかし僕は構うことなく僕は瑠環投げようとするが、投げきれずもつれ合うようにして倒れた。

 瑠環は途中からわざと倒れたように思えた。僕が無理に力を使ったことで怪我をすることを心配したのだろう。


「ぐっ!」


 腕がなんか嫌な音を立てて痛みが走ったけど、とにかく1勝取り返した。


「お兄ちゃん初心者なのに無茶しすぎ! 下手すると大怪我しちゃうんだよ!」


 確か、意地になって無茶した経験が、瑠環にもあったんだったな。しかし、僕は瑠環ほど純真じゃなかったようだ。右腕を痛めたようだが、そんなの気にならないくらい僕は今気分がよかった。


「フハハーン、負け惜しみかな?だったら僕の勝ちってことで、今からちょっと小春のとこいってくる」


 踵を返してリビングに戻ろうとすると、強い力で、後ろからぐいっとシャツを引っ張られた。

 振り返って見た瑠環の満面の笑みは、さっきまで泣いていたのが嘘のように晴れやかなものだった。


「もっとやろうお兄ちゃん。立てなくなるまで可愛がってあげるの」


 それはもう身の毛がよだつほどに……


 その後2回、3回、と瑠環は容赦なく僕を地面に投げ倒した。どうやら本気で立てなくなるまでやるつもりのようだ。

 右腕の痛みも増してきて瑠環のスタミナが切れるのを待つことも難しい。間違いなくこっちが先に潰れることになる。


 しかたなく、こっちもとっておきを使う。

 視線は相手に向けたまま、こちらの狙いを悟らせないようにする駆け引きは剣道と変わらない。

 正面から行くと見せかけて当たる瞬間にさっと躱す。


「ひゃうっ!」


 勢い余ってうつ伏せに倒れる瑠環。


 ……今の顔からいったな。なんか今日学校で同じようなことがあった気がする。


 しかし、これでまた1本取り返した。


 今度は、濡れた地面に足を取られて足首を捻ったようだったが、それも気にならなかった。


「お兄ちゃんずるい!」

「そうだよ、悪いか?」


 ずるいもんか。頭を使って何が悪い。けれど理屈なんてどうでもいい。説明するのも面倒だったし、瑠環の頭も少しは冷えただろう。


「ぐすん、お鼻打った……」

「大丈夫、怪我はしてないよ。……たぶん」

「お嫁に行けない顔になってたらどうしよう」

「その時は僕が……」

「本当!?」


 いい食いつきだ。


「……誰かいいやつ紹介してやるよ」

「ばかっ!!」


 瑠環が飛びかかってくる。僕はそれを受け止めようとして、しかし足に力が入らずそのまま押し倒されてしまう。

 ……そのまま何秒かが経過した。

 雨が冷たかった、濡れた地面が冷たかった、右腕と右足が痛かった。それでも瑠環の重みと体温が心地よかった。


「……だめだ。起き上がれん」

「エヘヘ、あたしの勝ちだね」

「ああ、瑠環は強いな」


 僕の負けだ。ぐうの音も出ない完敗だ。


 泥だらけで、身体はぼろぼろ。今日はもうどこにも行けそうにない。


 僕の告白のやり直しは瑠環に完全に阻止される結果になったわけだ。


 瑠環の頭を撫でてやろうと腕を上げようとしたが、そこに鋭い痛みが走る。


「痛っ……」

「大丈夫?お兄ちゃん?」


 瑠環が飛び起きて、心配そうに僕の顔を覗き込む。とはいえ、瑠環も顔も泥だらけで服もずぶ濡れだ。 痛々しい姿に、こっちの方が心配になってしまう。


「こんな所で寝ていたら、風邪ひいて死んじゃうよ? 早くお家に入ろう?」

「そうしたいんだけどな、さっきから手も足もめちゃくちゃ痛くって動かないんだ」

「わわっ!お兄いちゃん足が変な方向に曲がってるよ!?」

「なんだって!?」


 さっき瑠環を避けた時か!? 首だけ動かして足元を見ると、確かに右足首が本来あってはいけない方向に向いていた。


 神様? これは何の報いなのでしょうか?

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