24.お次、三条河原の幻

※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。


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 あの日見た地獄は忘れられない、忘れない。

 でも、あの腸を抉り出す様な激しい痛みは、もう無くなった。


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 私は太閤に仕える下士の娘だった。

 太閤…あの禿鼠が内府様のため京に邸を築くとの事で我が家もその手伝いに向かった。

 その時、あの禿鼠に呼び止められ、散々体を触られた。

 今思い出しても気持ちが悪い。


 その時、奴を呼び止め御普請の話を問うて下さったのが、甥の秀次様だった。

 去り際にこちらをチラと見て微笑んで下さった。

 私をあの助兵衛な爺ィから救って下さったのだ。


 その後、私は書を読み学を修め、より良い務めを得る様勤めた。

 天祐か、10年の後に良いご縁があって私は聚楽第に仕え、新たに関白に成られた秀次様に気に入られお手付きとなった。

 その時は、天にも昇る気持ちだった。


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 しかし、関白様は伏見へ出立され、その途中で突然出家遊ばされたとの報せが邸内に走った。

 私は目の前が真っ暗になった。

 これは、新たに子が生まれたあの禿鼠が関白様を責め殺したのだ、そういう噂が立つと私はこの邸を飛び出した。

 走っては転び、走っては転ぶ内に、誰かに抱えられた。


 気が付けば、小さな子供達を従えた亘(わたり)と名乗る学者に抱きかかえられていた。

 手当を受けながら私は関白様の非業を嘆いた。


 私は亘様の好意に甘え、暫く護児堂という孤児を集めた小屋の世話になった。

 堂にいた、年上のお延様も私を優しく迎えて下さった。


 その後、何度か邸の者が私を捕らえに来たが、亘様が追い返して下さった。

 そして私は地獄を見た。


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 亘様の言いつけで私は堂に籠った。しかし道行く人、出入りする人の声は聞こえて来る。


 私が邸を飛び出した数日後、多くの人々が鴨川へ走って行き「関白殿の女房衆が打ち首にされる」と口々に話しているのを聞いてしまった。

 恐ろしくなった私は布団に包まった。


 聞こえてくる筈の無い叫び声が聞こえてきた。

 亘様が駆け付け、私を布団の上から撫でて下さり、

「君には絶対に手を出させない!」と慰めて下さった。

 お延様も私を抱きしめて下さった。


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 数日後、私達は京を後にし、駿河へ旅立った。

 亘様が断ったが、私は「事の結末を知りたい」と言い張り、三条大橋へ向かった。


 そして、橋の手前に。


 盛り土と、その上に置かれた棺、そこに書かれた「秀次悪逆」の4文字。


 あの土の下に、あの棺の中に…

 恐ろしい叫び声が無数に聞こえ、私は気を失った。


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 気が付けば、私は普請中の聚楽第に父と共に居た。

 何故か、視線が低い。

 そう思って廻りを見ると、手足が子供の様に縮んでいた。

 隣にいる父が大きく見えた。


 そして目の前では…太閤が、誰かに頭を下げつつ普請の仔細を下人に命じていた。

 あの尊大で助兵衛な禿鼠が、まるで下人の様に腰を低く何度も頭を下げていた。


 そして秀次様が来ると、禿鼠が怒鳴った。

「内府様より落成を急げとの御下命じゃ!急ぐぞ孫七郎!」

「然と、筑前殿!」


 私は目の前の出来事が信じられなかった。

 茫然と邸を出ると、亘様がいた。


 私は父と別れ、亘様の下へ向かった。暫く茫然と立ち尽くしていると亘様は言った。

「もう、あんな酷い事は起きないよ」

「な、何が起きたのですか?」


「もうあの男は、あんな非道を行う事は無い。

 君が心を失う様な酷い事は起きる筈も無いんだよ」

「ですから、何が…」


「時を遡り、織田右大臣様を本能寺から助けた。秀吉は織田家家臣のままだ。

 あの男の好き勝手はもう出来ない。


 数年後にあの男は関白になる。鶴松様も産ませる。

 その時、私は全力で鶴松様を助ける。決して死なせはしない。


 秀次殿が自害される事も、彼の妻子が殺される事も、絶対に防いで見せる」


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 亘様の言う通りになった。


 禿鼠が老いて唐入りする事も無く、奴の子が幼くして死ぬ事もなかった。

 亘様が大坂の筑前守邸へ日参し、甲斐甲斐しく部屋を掃除した。

 おむつ替えを手早く済ませるため紙のおむつまで作り上げていた。

 女房衆の香や白粉を遠ざけ、側室の茶々達からは随分と嫌われたと笑っていた。

 冬には室内の湿気を保ち、時に換気する様心掛けた。


 勿論住み込みではなく、週に何度か邸を訪れ、家中の者に指導したのだ。

 茶々はこの指導を悉く破る様女中に命じたが、寧々様がそれを防いだそうだ。


 2年も過ぎ歩く様になると果物の汁や鱈の肝から得た油を与え、陽の下で遊ばせた。

 鶴松と名付けられたその子はしばしば病に罹る事はあったが一日二日で回復した。

 その都度加持祈祷をと大人数で乗り込む禿鼠と妾を亘様は蹴とばして追い出したそうだ。


 鶴松様は6歳で秀松を名乗り、利発で元気な少年となった。

 摂政となった秀次様だけでなく、私が子供の頃既に亡くなっていた筈の秀長様も秀松様の後見人となり、豊臣家の次代は安泰、あの禿鼠も随分と好々爺に見える様になった。


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 同時に護児堂の、亘様の子守りの評判は世間に広まった。

 禿鼠…いや、好々爺となった太閤が周囲に評判を広めてくれたお蔭だ。

 元々護児堂では安土に来る前からやっていた事だとお延様は半ば誇らしげに教えて下さった。


 亘様は多くの公家や武家の求めに応じ、諸家に子供の身の回りについて指南した。

 子供達を丹念に見て肺が弱いか胃が弱いか等を診て、薬を処方し、気を付けるべき事を教えた。

 更に鶴松様と同じ様に食や掃除に気を配り、余裕がある人には紙おむつが多く売れた。

 私達も手伝いに内職にと働き、護児堂は豊かになった。


 私は豊臣家へ、いや武家への奉公は諦めた。

 あんな思いはもうしたくない。


 亘様と共に護児堂で親の無い子供達の世話、読み書きの教え、そしてひ弱な子の手当てを求める人達の手助けに身を尽くす事を決めた。

 武家への奉公と、いずれは輿入りを望んでいた父も織田家お抱えの学問所であればと認めてくれた。

 私より「少し」年上になっていたお延姉さまと一緒に子供達と暮らしていくうちに、いつの間にか亘様を「時様」とお名前で呼ぶ様になった。


 私は、この優しくて妙な力を持つ不思議な人なら、あんな酷い事なんて二度となくて済むと、そう信じた。


 無論そんな訳は無い。

 世の中はもっと多くの人と大きな力がひしめいて、多くの人が死ぬんだ。

 でもその時は、そう信じたかった。

 結局多くの人が死ぬ戦はその後も起きた。


 だけど時様は、小さい可愛い子供達を、必死になって救い続けた。

 無益な殺生を避けるため、天下人を恐れず意見を申し入れた。


 私は、そんな時様とずっと一緒に居たいと願った。


 ただ、ちょっと最近忙しくなり過ぎたな。

 もうちょっと仕事が少なければ、もっと幸せに過ごせるのに。

 贅沢ながらそう思いつつ子供の世話を続けた。


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※戦国屈指の胸糞事件はかくして回避された様です。時間移動、便利。

 ただ鶴松を元気に育てるお世話作戦は地味~な努力が必要だった様です。

 赤ちゃんって、大変!(小4並感)


※鶴松死亡の原因は不明で、直接的には西瓜に中ったとされていますが、3歳になるまでに2度大病で伏せている様で、元々虚弱だったのではないでしょうか。


※秀吉を「猿」と綽名した所以は諸説ありますし、「禿鼠」ときつく言ったのは藤吉郎の浮気を叱った信長の手紙と言われており、果たしてお次が禿鼠と蔑称する事があり得たかは、史実の上では不明です。


※「元禄・慶長の役」「朝鮮征伐」という後世の呼称ではなく、当時の呼称に従って「唐入り」とします。

 それもこの物語では起きていない模様です。

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