政略結婚から始まる公爵夫人
水瀬真白
第1章 始まりを告げる鐘
第1話 冷血公爵との婚約
「アリシア、お前の婚約者が決まった」
十八歳になってしばらくしたある日。
帰宅した父に執務室に来るように命じられて来たらそう告げられ、息を止めた。
婚約者。ついに私にも婚約者ができたらしい。
「そうですか。ちなみにお相手は?」
「相手はランドベル公爵家の当主、シルヴェスター殿だ」
「ランドベル公爵家、ですか」
相手の家を聞いて驚く。婚約者は我が国の中でも有数の大貴族であるランドベル公爵家の当主だったから。
ランドベル公爵は国王陛下の懐刀と知られる「冷血公爵」で忠臣として有名だ。
そしてそんな人が私、アリシア・フォン・エインズワーズの婚約者だという。
「我が家にしては格上では?」
エインズワーズ家は長い歴史を誇る名家だけどそれでも伯爵家。父は宰相補佐官を務めているが格上……それも財力・家柄・血筋・権勢とどれを取っても最上級の名家のランドベル公爵家とは驚きでしかない。
思ったことを口にしたら父が答える。
「アリシア、よく聞きなさい。──この婚約は王命だ」
父の言葉に息を呑む。
王命。それは、国王陛下からの命令ということ。
予想外の言葉に呆然とする私に父が説明する。
「公爵は外交官で独身だろう? だから同じ派閥で身分が釣り合い、同じように語学が堪能な娘を選んだ結果、我が家が選ばれたようだ」
「……なるほど」
父の言い分に納得する。
確かに公爵は独身だ。令嬢に人気だが女性に興味を示さず、ダンスの時間も誰とも踊らない。
公爵は陛下の忠臣でもあると同時に友人でもある。ずっと独身のままでいる公爵を案じたのかもしれない。
そして、白羽の矢が立ったのが我が家ということか。
父は宰相補佐官をして宰相閣下に覚えめでたい。私も王立学院では語学の授業を多く受講していたため語学に通じている。
年齢も公爵が二十五歳、私は十八歳。決しておかしくない年齢差だと思う。
「すまない……アリシア」
「謝らないでください、お父様。公爵家なんてすごいじゃないですか」
謝る父に向かって苦笑して否定する。
正直、この結婚に嘆いているわけではない。
政略結婚なんて貴族の中ではよくあることだ。あまり自分を責めないでほしい。
「だがアリシア、これは完全な政略結婚だ。それは分かっているだろう?」
「ええ、分かっています。これが紛れもない
心配を顔に書いている父を安心させるために小さく微笑む。
「公爵が冷血なのは敵に対してのみです。政略とは言え、陛下が下された王命ですから私を蔑ろにはせずに一応妻として扱うでしょう」
「……アリシアはそれでいいのか?」
未だに心配が消えない父が問いかけてくる。
父と母は恋愛結婚をして今も仲がいい。そのため、政略結婚より恋愛結婚してほしいと私に婚約者を作らなかった。
だから突然逆らえない政略結婚をすることになった私を不憫に思っているのかもしれない。
だが決まってしまったことをいつまで言っても仕方ない。好きな相手がいなかったし悲しくもない。
それより驚いたのが相手がランドベル公爵だ。公爵は有名で噂はいやでも入ってくる。
陛下の懐刀の外交官。冷静沈着、外交能力は優れて戦争中は大国二カ国と軍事同盟を締結して経済支援を確約し、外交面で自国が有利になるように尽力した人物。
さらに剣術は軍人に匹敵すると言われていて、陛下からの信頼の厚い公爵閣下。だけど、敵には容赦しない冷血公爵。それが、シルヴェスター・フォン・ランドベル公爵だ。
「構いません。好きな人もいなかったので。むしろ優良物件では?」
「……お前は見た目と違うな。年齢より大人びていて落ち着いていて、妙なところで逞しいな」
「ふふ、最後のところは褒め言葉として受け止めておきますね」
父の言葉に思わずころころと笑う。確かに私は見た目と中身が違うと思う。それは否定しない。
淡いプラチナブロンドに紫色の瞳は世間には大人しい、人形のように見えるようだが、内気でもなければ人見知りではないのが実情だ。
「はぁ……、公爵とは一週間後に会う予定だ。その後、準備を進めて二ヵ月後には結婚だ」
「まぁ、早いですね」
短くても半年は婚約期間であるのが普通だが、二ヵ月とは。随分早いなと思う。
「アリシアも分かっているだろうが、
父の言葉に納得する。確かにこの国は安定していない。それは理解しているため、にこやかに微笑む。
「いいえ、大丈夫ですよ」
「……話は以上だ。下がりなさい」
「はい、それでは失礼します」
父に促され、礼をして退室する。
今頃、父は落ち込んでいることだろう。仕事では厳しいが家庭では家族思いな人だったから。
父もこの婚約は望んでいなかったのは明白だ。優秀な人だけど子どもを使ってまで出世を望む人じゃないのは娘の私がよく知っている。
だけどこれは王命。だから仕方ないと考える。
「姉様姉様!」
「ベルン」
執務室から出て廊下を歩いていると年の離れた弟のベルンが駆け足で走って来る。
「こら、ベルン。屋敷の中では走ってはダメよ」
「うっ、ごめんなさい……」
注意すると父と私と同じ紫色の瞳が気まずそうに目線を下げる。
その姿に少しかわいそうに思い、柔らかい茶色い髪を撫でると嬉しそうに目を細めて甘えてきて、姉離れできていないなと思う。
まぁ、十歳も離れているからかついつい甘やかしてかわいがってしまう私も悪いと思う。
でも私はあと二ヵ月で結婚する。きっと嫁いだらすごく落ち込むだろうなと考える。
「姉様、父様とは何を話してたんですか?」
同じ色の丸く大きな瞳が私を見ながら何を話していたか問いかけてくる。
黙っておくのはかわいそうだ。早めに私がいなくなることを理解させておくのが賢明だろう。
「ベルン、よく聞いて」
「姉様?」
きょとんとした顔がじっと私を見るベルンにはっきりと伝える。
「姉様ね、結婚することになったの」
「え」
「二ヵ月後に結婚するから、分かってね」
「え」
ぽかんとした表情を十秒くらい浮かべていたけど話を理解したのか、わなわなと肩を震え出す。
「え……えええーーー!!?」
そしてベルンの大きな悲鳴が屋敷を包み込んだ。
***
ベルンに報告して一週間後、婚約者になった公爵と対面する日になった。
「お忙しい中、伯爵邸にお越しいただきありがとうございます、ランドベル公爵」
「いいえ、エインズワーズ伯爵こそお忙しいのに私の予定に合わせてくださりありがとうございます」
父の言葉に硬質な、重低音の声が返事する。声から既に冷たい雰囲気が窺える。
「こんにちは、エインズワーズ伯爵令嬢。私はシルヴェスター・フォン・ランドベル。公爵位を授かっている」
すっと目を細めて公爵が私を捉える。まるで、私という女を吟味しているみたい。
まぁ、陛下からの命令だけど私のことは事前に調べているだろうけど。
夜空を溶かしたような黒みがかった紺碧の髪は美しく、深い、深海のような青い瞳は全てを見透かしそうな雰囲気を持つ。
美しくて端整な顔立ちは令嬢の心を掴みそうだけど、その表情筋は死んでいるかのようにピクリとも動かない。ここにベルンがいなくてよかった。いたら氷のような冷たさに怖がっていたかもしれない。
そんなこと考えているなんておくびにも出さずにニコリと微笑む。
「こんにちは、閣下。ガルド・フォン・エインズワーズの娘、アリシア・フォン・エインズワーズと申します」
美しい所作で私も挨拶する。ちなみにガルドとは父の名だ。
挨拶すると公爵が父と話し始めたので父に任せる。どうせこれは政略だから構わない。当主同士で会話した方が実があるだろう。
隣で聞いていると母が心配そうに視線を送るので平気だと口角を上げる。
「──では伯爵。ご息女と二人で少しお話ししたいのですがよろしいでしょうか」
父との会話が終わり、公爵が私の方を見て提案する。
「……アリシア、大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
尋ねる父に返事して父と母が応接室から退室し、室内にいるのは私と公爵と公爵の従者の三人となる。
口角を少し上げて微笑みを維持しながら相手の出方を待つ。
「堅苦しくなくていい。気にしない」
「ご安心を。これが普段のものですので」
正確には外向き用の。しかし、言うつもりはない。
「ならいい。突然の婚約、驚いただろう」
「確かに驚きましたが、政略結婚ならこのような例があるのでそこまでは」
「そうか。悪いが話しをしたくて伯爵夫妻には退室してもらった」
「そうですか。どのようなお話しで?」
紅茶を一口含みながら尋ねる。見当はついている。婚約したら話すと思っていたから。
案の定、公爵は私の予想通りの内容を話し始めた。
「これは王命による政略結婚だ。公爵夫人として大切にするがそれ以上は求めないでほしい」
「分かってます、これが政略結婚であることを。そして──閣下には忘れられない人がいることも」
微笑んだまま、私もすぐに言葉を返す。
こんなこと言うのは失礼かもしれないが有名な話だ。公然の秘密で、貴族ならみんな知っている内容だ。
シルヴェスター・フォン・ランドベル公爵にはかつて侯爵家出身の、身分相応の婚約者がいた。
だけど婚約者は七年前に病に倒れ、五年前に死別している。
婚約者を愛していた公爵の悲しみは深く、亡くしたと同時に隣国と戦争が起きたこともあり、以降は仕事に明け暮れる日々を送っていたらしい。
そして現在。隣国との戦争が落ち着いていて公爵と婚姻を結びたい貴族が殺到しているけど、公爵はずっと結婚を延ばして仕事に没頭し続けていた。
そんな公爵に陛下は国の安定のために妻を迎えるように命じたというわけだ。
「それならいい。跡継ぎの件だがそのうち優秀な分家筋の子を養子にする気だから気にしなくていい。社交も王家主催と外交を伴うパーティー以外は好きにして構わない。……何か聞きたいことはあるだろうか?」
私の言葉に公爵は怒りを見せることなく淡々と結婚後の話をして尋ねてくる。……つまり、必要なパーティー以外は自由?
「必要なパーティー以外は自由で構わないということでしょうか」
「ああ。公爵夫人としての財産もあるからその範囲内であれば好きにして構わない。足りなければ連絡してくれたらいい」
質問に淡々と答えてくれる。なるほど、本当に必要なパーティー以外は自由にしていいらしい。
「他に聞きたいことは?」
「……それでは一つ。私が公爵夫人の役割をこなしたら我が伯爵家を庇護してくれますか?」
「庇護か」
「はい」
声に感情を乗せることなく公爵が呟く。きっと年下の私がこんなこと言い出すとは思っていなかったのだろう。
だけど私も引けない。政略だとしても公爵家の力は大きい。婚姻で公爵家と関係を持てたら実家にも色々と利益を得られる。
父のためにも、将来跡を継ぐベルンのためにも庇護を受けたいところだ。
「そうだな、こちらのみ要求を突き付けるのも悪い。伯爵家が不利益を起こさない限りは庇護をしよう」
「ありがとうございます」
礼をしながら安堵する。よかった、父なら失敗しないだろう。
「他に何かあるか?」
「いいえ、特には」
「そうか。何かあれば手紙を出してくれたらいい」
二ヵ月後には夫婦になるというのに非常に作業的だ。当然か、政略結婚なのだから。
「結婚式については後日手紙で伝える。ではこれで失礼する」
「それでは正門までお見送りします」
話し終えると表門まで同行し、公爵家の馬車が出発するのを見送る。
「……よし、お父様とお母様に会いに行くか」
優しい両親だからきっと心配している。だから安心させるために会いに行こう、そう決意して屋敷の中へ踵を返した。
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