37 目覚め
目を開け……ようとしたら、頬にひんやりとしてツルツルとした感覚が広がった。
それに、胸にちょっとした圧迫感と、その周囲が筆で撫でられるようなくすぐったい感触が……って、考えるまでもない。
ゆっくりと目を開けると、やはり鈴音が俺の上に乗って伏せをしたまま、頬を舐めていた。
これで、目が見えること、頬に感触があること、ついでに匂いや音も感じ取れることが分かった。
「ヨォ、ズズベェ。ェンギゾゥダダァ……」
普段通りに声を出したつもりだったが、なんだが雑音だが濁音だかが混ざったガサガサの声になっていた。
しかも、咳込んでしまったが、その咳にも全く力がない。
「エイ兄!!」
「兄さん!!!!」
声を上げて俺の名前を呼んだ鈴音にギョッとしたが、それよりも大きな美晴の声でかき消されたようだ。
軽く睨もうとしたけど、鈴音は改めて「わんっ」と吠えて、さらに執拗に俺の頬を舐めまわす。
そこへ、医師たちがやってきたのだが、その時には、美晴や
あの親父が、ひと目を憚らず……っていうか、元々周りの目を気にするタイプではないが、これほどまでに号泣してくれるとは思わなかった。
検査結果は危険な状態を脱して安定しているらしい。それどころか、死の淵を彷徨っていたとは思えないほど、状態は良好のようだ。
ただし、やはり左脚には後遺症が残っていて、松葉杖が必要ってことだが。
肉体的損傷は無く、全くの原因不明らしいけど、ふくらはぎから先が全く動かなくなっていた。
とはいえ、これだけで済んだのは奇跡だと言われた。それもこれも、あのワンちゃんと、謎の光のおかげだろう、なんてことも……
鈴音のおかげってのは、たぶんその通りなんだが……
「謎の光……ですか?」
魔素の影響や後遺症で喉がぶっ壊れたのかと心配したが、そうではなかった。
喉の洗浄と、ほんの少し水を飲ませてもらって、多少マシになった声で質問すると、看護師さんが少し興奮した様子で話し始めた。
「ええ。鈴音ちゃんがベッドの上で、必死にあなたに呼びかけてたんですよ。そしたら、繰形さんの身体が光って、しばらくしたら目を覚ましたんです」
「へえ……不思議なこともあるんですね」
この看護師は俺の担当らしく、その場面をたまたま病室で見ていたらしい。
なんだそれは……とは思うが、ひとつだけ心当たりがあった。たぶん、ネボコが俺の魂に入ったからだろう。だけど、まさかそんなこと言えるわけがない。
もしかしたら臨死体験として納得してくれるかもしれないが、それを事実だとは誰も思わないだろう。
「本当に不思議なワンちゃんですよね。もしかしたら、神の使いだったりして」
それを聞いてドキッとする。
看護師の様子からは冗談っぽく聞こえるけど……
うっかり屋なところがある鈴音だ。一体、何をやらかしたのかと不安になる。
それに、鈴音が神様で、俺が神使だったりするのだが、真実を知ったらどう思うだろうか。
「鈴音は神社で世話になってますから、何かあるのかもしれませんね」
ちょっとした悪戯心で、そんなことを言っておいた。
「福さん、患者の負担になるようなことは、控えるように」
「あっ、はい。すみません」
無駄話だと思われたようで、先輩看護師に窘められて謝っている。
そのネームプレートには、ひらがなで「ふくみゆき」と書かれていた。
「ふく、というお名前なんですね」
「珍しいですよね。それに親が
「でも、ふくさいわいって読めば、良い巡り合わせって意味になりますね」
「そうなんですね。いいことを聞かせてもらいました」
「福さん!」
再び先輩から少し厳しめの声が飛んできたので、俺の質問に答えてもらってたんだと、いちおう弁明しておく。
結局、様子を見るということで、俺はもう一日入院することになった。
親父なんかは、すぐにでも退院させたかったようだが、それを母さんが説き伏せて、院長に『この際徹底的に調べて下さい』と言って、ポンと札束を渡したらしい。
入院費や諸経費を差し引いた分は、全て寄付すると言い残して。
俺にだって、この程度のトラブルに対応できるだけの貯金はあるからと、遠慮したんだが……
「普段、親らしいこと何もしてやれてないんだから、これぐらいさせなさい」
そう言って、強引に押し切られてしまった。
それに……
「夜霧
そんなことを、ソッと俺に耳打ちした。
まあこれは照れ隠しで、先の言葉が本心だろうけど。
「有名人も大変だな」
「そうよ。だから先に謝っておくわね。迷惑かけちゃうけど許してね☆」
ウインクが様になってる母親っていうのも気恥ずかしいが、息子の俺から見てもカッコイイ母親だ。
その横で、なぜか
あれだけ賑やかだったのに、面会時間の終わった途端、病室が空虚になった。
これでやっとゆっくり休めるってもんだが、やっぱり少し寂しい。
そんなことを思っていたら、人の姿になった鈴音が姿を現した。
「よう、やっぱり来たか」
「ハル兄、大丈夫?」
「まあ、見ての通りだ。まだ身体が怠いが、しっかりメシ食って寝りゃ直るだろ」
「足……」
さっきは犬の姿だっただけに、人前では話せなかった分、焦れていたんだろう。
たぶん、
「これはまあ、自業自得だからな。これで秋月様を守れたって思えば安いもんだ。それに時間が経てば戻るらしいから、気にするな」
「でも、ボク……。ミハ姉からも、エイ兄のこと頼まれてたのに……」
「鈴音はちゃんと俺のこと、守ってくれただろ? あれがなかったら足だけじゃ済まなかったからな」
シュンと落ち込んでる鈴音の頭を撫でてやる。
まあ、自分でもかなり無茶をしたと思うし、バカなことをしたとも思うが、全く後悔はしていない。
右手じゃなくて良かったとは、心底思ってるけど……
これで仕事ができなくなれば、路頭に迷うことになる。
俺と鈴音は、互いの情報を交換することにした。
視界で簡単に聞かせてもらったけど、やっぱりちゃんと聞いておきたい。
最初こそ鈴音は俺の世話を焼こうと人の姿になっていたが、特にすることもない上に看護師が来るたびに隠れないといけないから、すぐに犬の姿のままベッドに潜り込んできた。
そのまま語り合いながら、夜が更けていった……
目を覚ますと犬の姿の鈴音が、なぜか困った様子でしおらしく頭を下げていた。
「どうした、鈴音? 何かやらかしたのか?」
その呼びかけにも「クゥ~ン……」と困ったような鳴き声を出している。
ゆっくりと手を伸ばして、頭を撫でてやる。
「繰形さん、おはようございます。鈴音ちゃんも」
呆れたような看護師さんの言葉で俺は状況を理解し……
「そうか、俺のことが心配で様子を見に来てくれたのか……。えっと……福さん、おはようございます」
などと言って、その場を取り繕おうと試みたがダメだった。
とはいえ、注意は受けたものの怒られたりはしなかった。
どうやら鈴音は、躾が行き届いている、賢くて気遣いのできるワンちゃんだと認識されているようだ。なんなら病院で飼いたいとまで言われてしまった。
ただ単に、この看護師が犬好きだからってわけではないだろう。本当に、俺が寝込んでいる間に何があったのか気になる。
「ペットを宿泊させる時は、ちゃんと申請を出しておいてくださいね」
また精霊にでもお願いして、こちらに都合のいいように状況を整えたのかもしれないけど……
心優しい看護師さんは、手早く書類の代筆をして、事前に申請が出ていたことにしてくれた。
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