20 ペットの起こした微かな奇跡
栄太の肉体が限界を迎えたのは、魂の残滓が枯渇したためだろう。
つまり、タイムリミットが来てしまったわけだ。
今すぐにでも魂を戻せば、まだ助かる可能性はある。
だけど、
「でも、まだ消滅はしていません。それは間違いないです」
連絡用隔離世で、シズナはそう断言する。
現身を失ってしまったものの、シズナの……調律の女神アリスティアの根源は天界にある。だから幽世での活動は可能だ。
ただし、再び現身を得るには時間が必要な上に、栄太の協力が必要となる。
そこでふと気付く。なぜ自分には栄太が無事だと分かるのか……と。
「…………!!」
祝福を与えた相手の状況が分かるのは、契約者の魂の一部を取り込んだから。
だったら……
「私は栄太に祝福を与えています。それを解除すれば、ほんの僅かでも魂の一部を返すことができます。すでに私は現身を失いました。栄太が目覚めなければ、再び現身を得ることは難しいでしょう。ですから、今から預かった魂の一部を返しに行ってきます」
決意に満ちた表情でシズナが宣言すると、それにユカヤも同意する。ただし……
「それでしたら、私も同じです。光の祝福だけ解除したら、また不安定になるかもしれません。解除するなら闇の祝福も同時に、ですよ。姉さま」
「でも、それだと……」
「姉さま、落ち着いてください。今、兄さまの魂は行方不明なんですよ? なのに、どうやって姉さまは返すつもりなんですか?」
ユカヤの指摘にシズナは言葉を詰まらせる。
この場で解放したとして、その魂の欠片は果たしてどこへ向かうのか……
「だったら、解放した魂の行き先を追えば、栄太の魂が見つかるんじゃない?」
「それは危険すぎる賭けですね。そもそも、兄さまの魂が魔界にあるのでしたら、行き場を失くした欠片は消滅するだけですよ?」
だから、この場でシズナから魂の欠片を預かり、現世の優佳が栄太の身体に戻すと提案する。
「だったらボクのも、エイ兄に返すよ」
「いいえ、鈴音には最後まで栄太の傍について、見守ってあげてください」
「ユカ姉、今から病院に来るの?」
戻す魂は多いに越したことはないが、管理者と付喪神では違いがある。だけど、それを説明している時間はない。
それよりも、鈴音なら病院に居ても誰も気にしない。首から下げた許可証があれば、よほどの犬嫌いでもない限り咎められたりはしないはずだ。
「……そうね」
今から病院に向かって、事情を説明して中に入り、ひと目を忍んで栄太に魂の欠片を返すとなったら、手間や時間がかかりすぎる。
だからといって、病院の人たちがいる栄太の病室にいきなり現れたら、大騒ぎになるだろう。いざとなれば、それでもいいとユカヤは思っているが……
「じゃあ、私と姉さまの分をコマネに預けますね。あとは頼めますか?」
「………うん、わかった。じゃあ、ボクが返してくるね」
さっそくシズナとユカヤは祝福──契約を解除して、預かっていた栄太の魂の欠片を取り出すと、それをコマネに預けた。
死刑を宣告するかのようなアラーム音が響き、医師や看護師が慌ただしく病室へと入ってきた。
力無く横たわったまま微動だにしない栄太だが、再び容体が悪化したのだと、美晴は気付いて身体を強張らせる。
看護師に案内されたのは、休憩スペースではなく空いている病室だった。
人数が多く、有名人がいるからと、気を利かせてくれたのだろう。たしかに不特定多数が通りがかる通路脇の休憩スペースでは、騒ぎが起きかねない。
美晴も空のキャリーバッグを抱えて、空き病室へと入った。
鈴音がバッグの中で休んでいることになっているが、用事があるからと言ってどこかへ行ってしまった。すぐに帰って来ると言っていたが、それまでバッグの中がぬいぐるみだけなのを、他の人に気付かれないようにしなければならない。
だけど……美晴もだが、みんなそれどころではなかった。
次に何かあれば……と言われていた何かが起こってしまったのだ。
椅子に座った美晴はひざの上にバッグを乗せ、抱きかかえるようにして不安を押し殺していた。
すると、不意にバッグに重みが加わり、鈴音が小声で話しかけてきた。
その指示通り、美晴はごそごそと動き始めた鈴音をバッグから出してあげると、トイレに行ってくると言って病室を出ようと扉を開ける。
その瞬間、扉の隙間から走り出た鈴音は、栄太のいる病室へと向かった。
栄太の病室では懸命に延命処置が施されていたが、まだ誰も口にしていないものの、すでに諦めムードが漂っていた。
そこへ子犬が飛び込んできて、ベッドに飛び乗る。……と同時に、栄太に向かって「わんっ!」とひと声吠えた。
当然、すぐに鈴音は捕まったが……
「あっ、やっぱり。この子、患者の家族です」
面識のあった看護師は、鈴音を抱きあげると、目を合わせて注意を与える。
「鈴音ちゃん、心配なのは分かるけど、今は入ってきたらダメなんだからね。でも、扉は閉まってたのに、どこから入ってきたの?」
「くぅ~ん……」
悲しそうに目を伏せる。
その時、看護師のひとりがモニターに表れた変化に気付いて、声を震わす。
「せ、先生! これ……患者の心拍が、呼吸も……」
再び生命活動を始めた患者に、驚きの声が広がる。
とはいえ、依然として、危険な状態なのは変わらないが……
「この犬が頑張れって、ご主人様を励ましに来たのか……」
誰からともなく、そんな声が上がる。
医療従事者にあるまじき発言だが、もう、そうとしか考えられなかった。
犬の声が患者に届き、最後の気力を振り絞って踏みとどまったのだと。
再び栄太の病室へと入る許可をもらった美晴たちは、医師から説明を受ける。
今回は奇跡が起きたが、何度も起こることではない。だから、今のうちに……、まだ患者の命がある間に、言葉をかけてあげてください……と。
つまり、残酷な言い方をすれば、悔いのないよう別れの挨拶を済ませておくようにと促したのだ。
それを聞いた一同の心には、なんとか栄太が命を繋いだという安堵感よりも、最悪の事態はもう避けられないのだという絶望感にも似た無力感が広がった。
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