13 古の約束
隠世から派生した、とある隔離世の一角に、ひと柱の神が現れた。
野武士のような恰好をした神だが、ちょんまげは結っておらず、髪は無造作に切り揃えられ、ひげもない。代わりにといっては何だが、頭部には二本の角が生えていた。
この場所は、オールドファッションのログハウス……つまり、少しくたびれた感じのする年代物の丸太小屋で、備え付けられた煉瓦造りの立派な暖炉では、弱々しい炎が踊っていた。
部屋の広さは十畳を超えるぐらいだろうか。テーブルは切り出した木材って感じの無骨なもので、大きめのソファーも木製で、座面や背もたれには丈夫そうな布で覆われたクッションが貼り付けられてあった。
手作り感のある本棚はほぼ埋まってあり、窓辺には読書用の机らしきものが置かれている。その机に向かって新聞を広げているのは、この隔離世の主だ。
こちらも野武士のような着物だが、テラテラと光る滑らかそうな鱗に覆われた尻尾が生えており、手足の表面にも同様の鱗が見える。首は長くて二つに分かれており、二つの頭部は蛇そのものだった。
「蛇神の、ようやく姿を見せてくれたな」
「よく言う、余りにしつこいから
「おう、その通りだ」
視線を向けようともしないトゲトゲしい異形の蛇神に対して、慣れた様子でソファーに身体を預けた鬼神は親しげに話しかける。
「なあ、蛇神の、まだ呼びかけには答えてやらんのか?」
「それこそ、仕方のないことだ。
「それは口実だろ?」
「いいや、紛れもない本心だ」
「隠れた本心を抱えておれば、明かした本心は建前となる。悩みがあるなら、新しき土地神に明かせばいい。豊矛が認めた後継者なだけあって、なかなかに優秀だぞ」
「豊矛様……」
明らかに落胆した様子でため息を吐く蛇神。
「我とて残念に思ってはいるが、あれも付喪神の宿命。嘆いたところで仕方がなかろう」
「分かってはいる、分かってはいるが!」
不意に沸き上がった未だに整理のつかない激情を込めて、握りしめられた拳がダンと机に振り下ろされた。
蛇神──
かつてデイルバイパーと呼ばれていた頃、負の感情が暴走して現世を恐怖と混乱に陥れたことがあった。もちろん本意ではなかったが、妖怪の烙印を押された身では湧き上がる衝動に抗うことができなかった。
その時に現れたのが豊矛様だった。
豊矛様の力量ならば容易く討滅できただろうに、なぜか石に封印する方法を選んだ。当時は、封印されたことに憤りを覚えていたが……
どういうわけか、封印された自分が、蛇神として崇められるようになった。
そのおかげで魂に巣食う邪気が徐々に浄化され、やがて豊矛様から
また、双頭の蛇の姿が忌避されると悩んでいた時には……
「この御室川も中州によって分かたれておる。おぬしに似ているとは思わぬか? 分かたれた力は、やがて一つとなりて強き力を得るのじゃから……」
などという言葉で、豊矛様は励ましてくれた。
いまいち真意は分からなかったけど、容姿で悩むよりも、能力や実績を示して理解してもらう努力をするように、という意味だと受け取った。
だが、その豊矛様が身罷られ、心の拠り所を失ってしまった。
いつの話になるだろうか。
現世で双頭の蛇という妖怪の姿で生まれ、生き残るだけで精一杯の日々を過ごしていた時、フェイトノーラと出会った。
どうやらこの姿が珍しかったらしく、なぜか意気投合して共に過ごすようになった。だが……
当時、フェイトノーラは天界に所属する神だった。
その神が、世界樹システムに悪影響をもたらす妖怪を保護していると知られて、大問題になった。
「禍をもたらすものを祓わず、保護するとは何事か!」
神々の下した罰は、その妖怪を己が手で祓い清めよ、というもの。だが、フェイトノーラは決定に逆らって、妖怪を逃がした。
その結果、フェイトノーラは天界から追放されてしまった。つまり悪魔堕ちという処分が下されたのだ。
「ノーラ、もし僕が本当の妖怪になり果ててしまったら、キミの手で打ち滅ぼして欲しい」
かつて、そのような約束を交わしたことがあったが、その時は……
「おう、そん時ゃ任せろ、キッチリ冥土に送ってやる」
なんて、冗談めいた答えが返ってきた。
実際に起こるはずがないと思われていたかもしれないが、その時が来てしまった。
やはり妖怪の本能には逆らえなかったのだろう。
妖怪は、負の感情……いわゆる邪気というものを体内に取り込むことで、力を増していく。
フェイトノーラを悪魔堕ちさせてしまった影響が、最も大きかった。
元々の罪悪感もあるが、神々はフェイトノーラを見つけると、あざけり蔑んでいく。そんな感情でさえも、邪気として取り込んでしまう。
その結果、暴走してしまった。
結果、豊矛様に封印されたわけだが、その後、フェイトノーラは何度も封印石を奪いに来た。だが、豊矛様は、その全てを圧倒的な力で撃退した。
とうとう諦めたのか、フェイトノーラが現れなくなったまま時が過ぎ、妖怪は神に
そして現在に至るわけだが……
豊矛様が居なくなったことを聞きつけて、再びフェイトノーラがやってきたのだろう。
「もう豊矛様は……。ならいっそ、古の約束通り、フェイトノーラの刃で果てるのもいいだろう。最後に彼女の望みを叶えてあげられるのであれば、本望だ」
もう心が決まっているのだろう。
激情が去った後は、驚くほど心が穏やかだった。
そんな
「そんな望みと引き換えに、その悪魔は滅ぼされるわけか」
さすがにこれは聞き流せなかったのだろう。片方の蛇頭が振り返る。
「どういうことだ?」
「どうもこうもない。その悪魔、土地神の契約者に手を出しおった。もしこのまま命を落とせば、天界の者どもが喜び勇んでやってくるだろう。それに、今やお主も立派な管理者だ。それを害したとなれば、やはり浄化は免れまい」
「……なんてこった」
このまま自分が消えれば全てが解決すると思っていたのに、それをすれば、フェイトノーラも消されてしまう。
未だ自分の存在に囚われている彼女を救うため、命を差し出そうとしているのに、それでは意味がない。
「……わかった。その土地神と、今すぐ連絡を取ってみる」
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